見出し画像

幸せな道のり

 朝からそわそわしていた。
『お母さん』と呼ぶには少し勇気がいる。
小学校に上がる歳で別れて以来、約3年ぶりに会う約束をしていた。
別れる前のことを思い出すと、地球にただ一人取り残された寂しい気分になる。
その暗闇が迫ってきそうになる時、施設の先生の優しい声が聴こえてくる。「そのままの美工を見てもらいなさい」車窓から見える、晴れた空がすべてを明るく照らしていた。
 電車から降りて待ち合わせの場所へ向かっていると懐かしい声が聞こえた。
「みく!」
振り向くと穏やかな微笑みがあった。私も笑いたかったが、その人の顔色を伺って声も出なかった。何か言わないとと思ったが、考える間もなく見覚えのある女性が近付いてきて「久しぶりね」と言って私の肩に手を掛けた。その人は、私のお母さんだった。「ここから近いの。歩いて行きましょ」と言って先を歩き出した。私は一言も話さないまま、お母さんの後を付いていった。
 空は晴れているが風が冷たい。お母さんの伸びた髪は巻かれていて歩く度にふわふわ揺れ、昔よりもキレイに見えた。そのふわふわに気を取られていたせいで、立ち止まったのに気付かず、お尻に激突してしまった。思わず、ハッとして目を瞑り、衝撃がくるのを身構えた。しばらくして目を開くと優しい眼差しの顔があった。「大丈夫?早く歩き過ぎたわね。手を繋ぎましょ」と言って微笑んでくれた。差し出された手を握り、歩き出す。その手は私より冷たかったけれど、柔らかく包み込むようでお母さんの温もりを感じられた。横顔を見上げると口紅がキチンと塗られ、頬も紅潮し、瞳は未来を見ているように輝いていた。なんとなくお母さんは今幸せなのだなと思った。
 着いた場所は一軒家の立派な家だった。ここでお母さんは新しい生活をしている。新しい家族と共に。その中に私は居ない。けれど、お母さんが幸せであればいい。
 目を開けると、天井があった。しばらく動けずに天井を見つめていた。再び目を閉じようとしたが、もうあそこには戻れないと思いそこを眺めていた。お母さんは一度も会いにきてくれなかった。大人になった今も私は面影を追っている。
胸の高鳴りが目覚めた後も続いていた。


#創作大賞2023 #オールカテゴリ部門#短篇


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?