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23卒限界オタク就活生の奮闘記

やっぽ!🐥

これを読んでくださっている方は、就活真っ只中、もしくはこれから先に待ち受けてる就活が恐ろしいと感じている方がほとんどでしょうか?

毎日お疲れさまです。たくさんの不安やプレッシャーに押しつぶされそうな毎日を送っているかもしれませんが、安心してください。このnoteを開いた時点で、貴方は一歩先に進めています。

以下、わたしの就職活動に関する記録が連なっていますが、この一文だけでも頭に入れて置いていただけると幸いです。

はじめに

わたしは今年の10月上旬に、おしまい活動という名の就職活動を終わらせた23卒オタクです。
ジャニーズでは

Travis Japan 川島如恵留さん
なにわ男子 大橋和也くん

の2人を主に応援しております。よろしくお願いします。

これから話す中にもありますが、わたしは大学3年の10月にジャニーズ沼に落ちたド新規ちゃんです。ジャニーズにハマるまでは、邦ロックやK-POPアイドルなど幅広くオタ活をしてました。

ある日、TwitterのTLに流れてきた先輩ジャニーズオタクの方のブログを拝見した際にすごく勇気づけられ、自分の活動記録で似たようなタイプ・境遇の方の希望になってもらえたら、という一心でこのnoteを書きました。

わたしの他にも「#ジャニオタと就活」を読まれている大学3年生、または下の学年の方がいらっしゃるかもしれませんが、こんな風に思う方もいるんじゃないでしょうか。
「そんなに何十社もエントリーするものなの?そこまでやる体力とメンタルないよ…」と。

これ、わたしです。大学3年の秋頃にこのハッシュタグの存在を知って皆さんのはてブロ等を拝見していたのですが、どの方も精神力が高すぎる…

わたしは、沢山エントリーして勝率を上げるという戦法ではなく
やみくもに受けるのではなく、1社1社に真剣に向き合うという戦法を取っていました。
その分時間がかかるため効率は悪かったのかもしれませんが、就活が終わって2ヶ月経った今でもわたしはこのやり方で後悔していません。

人には人の乳酸菌というように、その人に合った就活の進め方が必ずあるので、くれぐれも周りと比べて「もしかして、自分って全然ダメ…?」と思い込むことだけはないようにお願いします。

前置きが長くなってしまいましたが、今回はこのようなわたしのマイペースな就活記録を紹介していこうと思います。実際に動き始めるのは大学3年 3月からなので、わたしがオタクになる過程に興味が無い方は以下の目次から飛んでください!
最後までお付き合いいただけると幸いです。よろしくお願いします!

わたしのスペック

・関東圏私大Fラン英文科
・アルバイトは高1から続けているパン屋のみ
・バイトを通じて接客が向いていることに気付き、小売業を中心に職探し
・インターンは夏冬ともに参加数0
・大学1年から学園祭実行委員会に所属
・日本語教員養成課程を履修(のちにリタイア)
・英文科なのにTOEIC未受験
(4年の6月にハングル検定4級を受験したが特に誇れるものでもないので履歴書等には書かなかった)

エントリー数は50社ほどだったはず
実際に選考に参加したのは10社未満

穏やかに過ごしていた大学生活。周りも別に就活の話をしてくることがなかったので、特に焦りもなかったんですよね。

というか、学部で1番近い友人にぬるっと「就活も始めなきゃだよね〜」と探りのようなものを入れた時に「○○(名前)にも就活の話されたんだけど『その話しないで』って言ったんだよね笑」と返されてしまい(⁉️)、そこから彼女とは就活に関して何も話さなくなりました。

わたしは2つ年の離れた弟がいるのですが、わたしが長女ということもあり親も「就活」に関してほとんど知識がありませんでした。
ですが、マイナビやリクナビなどの企業からのダイレクトメール(ハガキやデカい厚紙のやつ)が届く度に「これ行った方がいいんじゃない?」と渡してくれたり、お前サボり気味なんじゃないの?って時に「そういえば就活どうなってるの?」というように声をかけたりしてくれました。

親に干渉されることに対して嫌悪感を抱く人も一定数いるかもしれませんが、わたしはこの点に関してはすごく有難く感じていました。

具体的なスケジュールについて

ここからは、具体的な就活の内容を時系列順に追っていきたいと思います。

「就活」自体を体感したのは大学3年の4月。なんだよ、お前も早くから…と思われるかもしれませんが安心してください(?)。
本当に何もしないまま大学3年を終えるので。
(意識高めのナマケモノなんです…)

わたしの大学には、「自己分析とは?」「履歴書・ES(エントリーシート)の書き方」「ガクチカって何?」というような就活のいろはを、マイナビやリクナビのような企業から来てくださる方々による講演形式の授業がありました。

春休みに学校からハガキが届き「これ受けた方がいいんじゃない?」と親に言われたこともあり履修を決めたのですが、この時点では特に自分のやりたいことは見つかってないし、なにより1限2限ぶっ通しの講義で、中村海人さん以上に朝が弱いわたしにとっては苦痛でしかありませんでした。

元々、わたしは文章を書くことが好きで(よく周りのオタクに担タレと言われます)(嬉しい)これはちょっとした自慢なのですが、どの企業もES添削なしで提出し全て書類選考を通ることができました。運が良すぎた。
でも本当はキャリアセンター(どこの大学にもあるはず)で添削をしてもらうべきです。これはくれぐれも真似しないように…

ネットで調べるだけじゃ分からないよ〜という方は、自分の大学でこのような講義があるか確認をして、もしあるのであれば受けてみるのもアリかもしれません。

大学3年 6月

このあたりから、夏のインターンシップ(職業体験のようなもの。以下、インターン)に関する情報が飛び交うようになりました。
「インターンだけなら…」と思い、中学生の時から読んでいた音楽専門マガジンを出版している会社のインターンに応募したのですが呆気なく不合格…夏フェスの運営やりたかったな〜(泣)
この不合格がだいぶショックだったためインターンに対するモチベがダダ下がりしてしまい、調べることも少なくなっていきました。

大学3年 7月

春学期も始まって3ヶ月。ここで、自身が履修している日本語教員養成課程が、この時間割のままでは課程修了できないことを知りました。そんなこと、ある。
わたしの学科に合わせた時間割で授業できないなら最初から取得できるなんて言わないでくれ〜(泣)
これにより、外部で同年10月に開催される『日本語教育能力検定試験』の受験を決意することになります。

同時にこの試験のために夏のインターンは参加しないと決めたのですが、勉強に専念したかと言われるとそういう訳でもありませんでした。どこまでも怠惰な人間…
この試験も呆気なく不合格だったので、合否が出た同年12月の時点で、普通に仕事探さなきゃな〜とぼんやり思うようになります。

大学3年 10月〜12月

完全に「就活?なんですか、それ。」の時期でした。自己分析なんて一切せずここまで来てしまった…

そんなことより(⁉️)、高2の時から好きだったバンドがガチ地元に来るということで満を持して初参戦してきました。本当に嬉しくてすごく幸せな時間だったな…
そしてこの1週間後、人生最大の転機が訪れます。

人生初のジャニーズ沼に落ちました。

10月15日放送のMステでたまたまワイプに映った大西流星くんを見て「なにこの可愛い子‼️もしかしてなにわ男子❓」となりバンド垢でツイートをしたところ、既に有識者であったフォロワー数名が「これを見ろ」「これもいいぞ」とたくさん宣伝してくれたおかげで今のわたしがいます。
なんというか、この辺りから本格的に何もやってなかった気がする…

なにわ男子のデビューも無事に見届け「大橋くんに会えるのいつかな〜」なんて思っていた矢先の同年12月。高校時代の友人宅でのお泊まりがきっかけでTravis Japanの沼に落ち、川島如恵留さんにガチ惚れ。
拝見した先輩のブログにもありましたが、如恵留さんが毎月14日にアップする定期更新「のえまる」は聖書であり、わたしの心の支えです。これSPIに出ます。(出ません)

ここから本格的にわたしのジャニオタ生活が始まり、就活は二の次となってしまいました…

大学3年 2月

文字通り、本当に何もせずにカウコンを見て年を越し、期末テストも終わって春休み。
徐々に「もしかして俺ってやばくね…❓」と焦り始めます。どう考えても遅い。遅すぎる。
2月の中旬にようやく、3月1日(企業エントリー解禁日)に開催されるマイナビ主催のクソデカイベントに参加しよう…と重い腰を上げたと思ったのですが、ここで緊急事態です。
なんとわたし、2月中旬の時点でリクルートスーツがありませんでした‼️‼️‼️デデーーーン
急いでスーツを作りに行き、なんとか無事に前日までに確保…母にブチギレられましたが、これに関しては100割わたしが悪かったと思います。

そしてこの時期、Travis Japan 松田元太くんの主演映画「君が落とした青空」の公開が近く、そのプロモもあってトラジャのメディア露出がたくさん‼️
如恵留さんの個人のお仕事に至っては追いきれなくて1本だけ録画を落としてしまったもんな…音楽番組にも何度か出演していたため、「今年もしかしたら…?」なんて淡い期待を抱いていました。(盛大なフラグ)

そして、いよいよ日付が変わったら…な2月28日のわたしの小規模垢のツイートがこちら。

いまも同感である。

大学3年 3月

3月1日。企業エントリー解禁日は日付が変わる瞬間まで起きる、みたいな謎の風習があるそうですが、わたしは早々にお布団に入り眠りにつきました。

同日、いつもお世話になってるコンサート会場で大規模のマイナビ主催合同企業説明会があったので、それに参加しました。
慣れないヒールと初めて着るスーツに身を包みながら、イヤホンで爆音VOLCANOを決め込み向かいます。「これが終わったら帰りに如恵留さん表紙の週刊朝日をお迎えしに行くんや…」の一心で、だだっ広い会場をさまよっていました。

わたしがお話を聞いたのは、広告会社と地方銀行と、あともう一社(忘れたごめんなさい)。
webテストの対策講座や就活メイク講座などもあったのでそれにも参加して、この日は終了。
初めて就活らしい就活をしたので、これだけで満足してしまい、週刊朝日を抱きしめながら帰宅。
焦らなくていい。これから少しずつ就活頑張っていこう、と思ったこの2日後。3月3日に事件は起こりました。

「Travis Japan、無期限アメリカ留学発表」

正直言うと、本気で自害してやろうかと思いました。この日は完全にツアー発表がされると思い込んでいたし、その現場を就活のモチベにする予定でインライも視聴していました。
インライ終了後、号泣しながらひなケーキに食らいつき、温かいお風呂に浸かってる時もワンワン泣きました。そして、ようやく寝る直前に
「7人が知らない土地で頑張るんだ。わたしも彼らに恥じない大人に絶対なるぞ。」というマインドに切り替えました。今思うと、この3月3日からわたしの就活は本格的に始まったような気がします。

大学4年 4月

3月下旬にノリで出した新規開業ホテルのESが通ってしまい、人生初の就活面接をぶっつけ本番で参戦‼️結果はもちろんお察しの通り。
ここで、自分はグループ面接に向いてないということに気付きます。
下旬にはドラッグストアを受けましたが、面接は上手くいったものの、SPIが壊滅的(主に非言語)だったためお祈りメールすら来ず、ここで人生初のサイレントお祈りをくらいます。「もうぜってー行かねー!」と言いたいところですが、いつもお世話になっているのでこれからも有難く利用させていただきます。

大学4年 5月

ドラッグストアの面接日、駅で時間を潰している間に全国展開している食品販売店のESが通ったことを知り、後日人生初のグループディスカッションに参加。
(ちなむとこの翌日しっかり好きバンドが出演したフェスで推しの誕生日祝いをしました。手越の歌めちゃ上手かったな。)

ロールプレイング形式のもので、グループで回答を選択肢から1つを選び、それに沿って物語が進んでいくというもの。リーダーや書記などの役職は作るな、というルールもあったからか受け身な人たちが多かったので積極的に話すように意識しました。
ですが、話しすぎと思われたのかこちらもグループディスカッションで呆気なく敗戦…
この辺りから、「こんな俺を雇ってくれる企業なんてあるのだろうか…❓」とネガティブモードに突入し、就活のモチベも下がっていきました。

不真面目就活生なので、入社を決めた企業から内定をいただくまで自己分析をしっかりやっていないのですが、この時期にようやく「自分は小売業を中心に職探しをする」と決めていたようなきがかします。

大学4年 6月〜8月

7月は中学生の時からずっと好きなバンドの活動休止後初の復活ライブに参戦したり、別のドラッグストアの選考を受けて呆気なく一次面接で敗退したりと、本当に何の進歩もない日々が続いていた夏。
なにわのデビュー魂が決まりました!(大歓喜)

どこでも飛んでやると意気込んではいたものの頭の片隅には就活が浮かんでいたので(えらい)、近場の東京と静岡のみ申し込みました。
そして、静岡は見事当選‼️就活を忘れてしっかり楽しんできました…大橋くん最高アイドルだったなあ。

物心ついてからは初めてのジャニーズの現場。目に入るもの全てが新鮮で輝いていて、とても幸せな時間を過ごせました。
(実は嵐のドリアラ東京ドームに入ったことがあるのですが、Nakedで 松本潤が上裸でムビステ乗っていたことだけをやけに覚えています)

先程も記述したように、わたしは不真面目就活生だったので、就活期間中もしっかりバイトしていました。ですが、8月の上旬〜中旬にかけて、勤務先のパートさん・アルバイトが爆発的にコロナ感染してしまい、時短営業のしわ寄せをもろ被りしました。

怒涛の勤務が続き精神が終わっていた時、わたしの自担である川島如恵留さんが、自身の定期更新にてわたしが送った質問を採用をしてくださりました。本当に幸せだった…
バイトに関わることだったので、人生で初めてフードコートで涙を流しました。詳しくはこちらのnoteに書いているので、もし気になった方がいればぜひ。

大学4年 9月上旬〜中旬

ここに来て、なぜかいきなり在宅勤務に憧れるようになります。本当に急すぎる。
目に入った企業は営業だったのですが、土日祝休みで試用期間3ヶ月後はスキルによって在宅勤務が可能という中小企業。人と関わることは好きだったのでアリだろ、と思い完全に興味本位でエントリーし、1次面接へ。

面接当日。開始30分前にトラジャのAGTセミファイナルの様子が公開され、完全に予選通過の時のノリで情報を仕入れようとしたのですが
「なんかブザー鳴ったらしい」「かなりダメ出しされてる…」というのを身内とのグルチャで伝えられ、メンタルよわよわのまま一次面接へ…

ただでさえよわよわだったのに、人生で初めてプチ圧迫面接のようなものを受け本当にこの日は疲労困憊でした。
その日の夜「形がどうであれ営業はやめよう」という決断に至ったので、今は落とされてよかったなと思っています。

「年内に内定もらえればいいかな〜」という焦りゼロのマインドだったのですが、この辺りから「そろそろわたしと価値観が合う企業見つかっても良くないか…?」と思いながらマイナビを見る日々を過ごしていました。
そんな時、自宅の近くにはないのですが少し遠出をする際にいつも利用していたお店の名前が目に入りました。
わたしは関東在住(東京ではない)ため、オタ活のことも考えて全国転勤はしたくなかったのですが、その会社も関東にのみ店舗を構えていたため、「これ、かなりアリでは…?」と迷いなくエントリーすることに。

大学4年 9月下旬

選考当日夜中の2時まで手書きした履歴書(ガクチカ・自己PR込み)を持ち、いざ一次選考へ!
一次選考はグループワークと聞いていたのに、わたし以外にいたのは男の子1人のみ。グループとは?
自己紹介を軽くすませ、ワークに入っていったのですが、お題が難しかったためたくさんアイデアを出すことはできませんでした。
ですが、その分「○○さんのこれをこうしてもっと良くできそうじゃないですか?」と提案をしたり、「ここまでの意見をまとめると〜」などサポートに回ったりすることに徹しました。
前日までスプラ3をやっていたのが活かされていますね。イカだけに‼️☝️

とまあ冗談はここまでにして、この日の一次選考は終了。久々の対面形式だったというのと、この後に17-21時でバイトに出勤したので疲れきって爆睡。

そして翌日の朝。朝の9時頃。
目覚めてからいつも通りロック画面に映る通知を一つ一つ眺めていると、友人からの「起きたらメール開いて」というLINEと、その下にあるこんな時間(4時)に送られてくるなんて明らかにおかしい局メの通知がありました。

もうお分かりでしょうか。

起きたら自軍のデビューが決まっていました。

上手く頭が働かないまま情報局の動画を見て、満面の笑みの7人の姿を見て「よかったねえ…よかったねえ…」と完全に禰豆子のように涙を流していました。寝起きドッキリか何かか?

この直後になんの気なしにメールを開いたのですが、なんと昨日面接を受けた企業から一次選考通過のメールが!
思わず母と「ウオ〜⁉️」とハイタッチ。気が早い。
「急ではありますが、翌日に最終選考を行いたいのですが…」という旨のメールだったので、いきなりでしたが「その日時でお願いします!」とお返事しました。

そして最終面接当日。

最終面接前に採用担当の方と1対1で緊張を解すための面談をしたのですが、面接担当の常務がまさかの大遅刻…
「いや〜すみませんね💦」というノリで入ってきたのに、面接ではゴリゴリに詰めてきて本当に泣くかと思いました。
この時点で手応えは全くなかったので、また一からや…と半泣きでバスに乗り+81のParty Startersに励まされながら帰宅。

自担は出演していないけど本当に大好きな動画です。


大学4年 10月上旬

面接終えてから3.4日ほどだったかな。完全に終わった…と思いながら1人で朝食をむさぼっていたある日の朝、先日受けた企業から内定のお電話をいただきました。

わたしにとってはじめての内定。親が帰宅した後、内定をもらったこと、この後どうするか…等の話をしたのですが、正直わたしは
「就活をさっさと終わらせたかった」の気持ちが一番に浮かびました。
選考で人事の方や常務の方とお話する中で、わたしが大切にしていることと企業が大切にしていることがピッタリと重なったように感じる節が何度がありました。
母親も「あなたの人生なんだからあなたが好きなようにしなさい。」と背中を押してくれたこともあり、わたしはここで就活を終了することに決めました。

やっておけばよかったこと

あまりたらればのようなことを考えるのは好きではないのですが、この期間だけはさすがに色々と思い浮かべてしまいました。なので、「最低限これはやっておこう」という点をいくつか、これから就活をする方々にお伝えしたいと思います。

・自己分析をちゃんとする

note終盤に差し掛かってますが改めて伝えたい。おそらく、自己分析は就活においてかなり重要です。
自分の就活における指針になるものなので、「自分はなにがしたいのか」「どういうことに興味があるのか」ということはハッキリとしておくべきだと思います。軸がブレそうになった時も、それを見返せばきっと立て直すことができるはずなので。
ちなむと、わたしは先述した大学の就活講座の「マインドマップを書いてみよう!」の回で「オタク」「アイドル」「ライブ・コンサート」以外に何も書くことができなくて、オタクしかやってこなかった自分を人生で初めて恨みました。

・SPI(および適性検査)の対策は早めに

わたしは適性検査で通過を逃した企業がほとんどだったような気がします…
わたしの高校は自分で時間割を組むタイプの学校で、大学も英文科だったため高校1年生以降は数学に全く触れてきませんでした。
なので、図表の読み取りや割合の求め方などは完全に頭から抜けていました。ちゃんと勉強するべきだったな…

すべてが終わった今、問題集をしっかりと読むとなんとなく理解ができたので、皆さんならきっと大丈夫です。とにかく問題を沢山解きましょう。
わたしが買った適性検査対策本のリンクも貼っておくので、よければ参考に。
(アフィリエイト等はないので安心して押してください)

・インターンは行ってもいいし行かなくてもいい

一部の先輩方には怒られるかもしれませんが、あくまでもわたし個人の感想です。
インターンで得られることはたくさんあるかもしれませんが、1dayのインターンで得られることなんてESのネタくらいだと思っています。
既に「この業界でしか働きたくない!」って人は無理して興味のない分野にまで手を広げない方がいいと思います、余計にこんがらがってしまいそうなので…

・キャリアセンターに行こう

わたしは予約を取るのが億劫で(どこまでも自堕落)面接5日前など本当に追い込まれた時の面接練習での利用しかしなかったのですが、大概の大学のキャリアセンターの職員の方はみんな優しいです。
大学4年の3月になっても志望業界が絞れてないわたしが駆け込んだ際にも、丁寧に優しく相談に乗ってくださりました。(帰りに飴ちゃんもらった)

ESの添削や面接練習はもちろん、少しでも不安に思ったことや疑問に思ったことがある時にはぜひ利用してもらえたらいいなと思います。

・"なるべく"1社以上内定をもらう気持ちで

わたしははじめての内定をいただいた瞬間に就活を終えてしまったのですが、それは時期的なものも相まったうえでの決断です。
「内定もらえた!ここに決めちゃおう!」と早まるのではなく、いくつかいただいたうえで自分で、または親御さんと一緒にじっくりと見極めてみてください。
「あの時急いで決めなければ…」という後悔に繋がってしまうことが何よりも辛いですから。

・現場にはちゃんと行け

これでラストです。ようやくオタクらしいアドバイスが来ましたね。
ジャニーズの現場は基本土日なことが多いですもんね。就活は主に平日の5日間に行われます。
土日に説明会や選考がある企業はほとんどないです。
つまり、現場に行けということ。

しっかりと楽しんで、自担からたくさん幸せをもらってください。
「就活の活力にしよう」なんて無理に考えなくていいです。わたしはそれが癪だったので、何もかも忘れて「オタクサイコーーー‼️‼️‼️‼️‼️‼️」とバカ騒ぎしました。

さいごに

以上がわたしの就活記録です。本当に滅多にない低レベルの就活だと思うので、先輩方のような的確なアドバイスはできなかったと思います。
でも、誰かの心に寄り添えるものにはなれるんじゃないかなと思いながらこのnoteを書いていました。

どうか一度の不採用で落ち込んだり、すべてが終わりのような思考に至ったりしないでください。
貴方を必要としてくれる企業は必ずあります。こんなわたしでも存在したんですから!

最後に、わたしが就活中に親の声よりも聴いた大好きな人たちの曲を紹介してお別れしたいと思います。これがジャニーズ1の就活ソングである説をわたしと身内はこれからも推していきます。

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました!!皆さんの就活とオタ活が明るいものになりますように。

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