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僕が「自己評価がかなり高いこども」だったことは間違いないと思います。
両親に誉められて育ったことは大きいでしょうが、それだけではポジティブというより単に自己評価が高いちょっと勘違いした人になっていたかもしれません(「そうそう!」っていう 心友たちの声が聞こえる気がします)。

中学時代に数学の山本先生(女性です)がとてもよくしてくれたので、数学が大好きでした。先生が好きだと勉強もやる気が出たりする。だから先生の存在はとても大きい。先生の人格によって生徒の勉強に対する意欲は変わると思っています。

だから幼稚園では保育士さん、小・中・高では先生、大学では教授になる方々には、教科を教えるという目的だけで無く「将来の日本を背負っていく子供達を一人前に育てている」という高い志を持って頂きたい。これは親にも言えることでしょう。

僕は中学生になって初めて英語に触れたのですが、自分が外国で働くなんて思いもよらず、 特に優秀な成績を残す訳でもなかったけど、英語は好きな教科の一つでした。本格的に英語の 勉強を始めたのは大学生になってからなので「英語の勉強は大学からでも間に合う。幼い頃は 国語(日本語)の勉強と読書が一番大事」だと思っています。

読書であれば松下幸之助さんや渡邉美樹さんが書いた本、司馬遼太郎の「竜馬がいく」等の小説、日本の歴史などを読んで欲しいですね。なぜなら「英語は手段」で、その目的である「何を話すか、どう考えるか」の能力を養うのは国語だからです。英語をスラスラ読めても、知識が無いと内容を理解できません。

文系の人が理系の人の為に書かれた文章を読んでも分からないのと同じこと。たとえ英語がペラペラに話せても、中身のない人間になってしまってはその子が可愛そうですし、日本の為には国語と読書の能力をつけてあげることが大事だと思います。

僕の高校生活では、大学受験が人生における一つの転機でした。3年生になるとみんな大学受験に向けて一生懸命勉強する訳で、僕も志望校に合格しようと頑張った。でも受験勉強が辛かったのと、自分に対するコンプレックス(思春期ならではかな?)も入り交じり「なんで僕だけこんなに辛いんじゃろ~!」(広島男児)と悩んでた時に、ふっと考えたことがあります。

「きっと世の中(人)の役に立っていないから、こんなに辛い経験をするに違いない!」

なんでこんな考えに至ったのは覚えていませんが、もしかしたらお寺の「日曜学校」の影響があったのかもしれません。

「神仏が自分に試練を与えているのはなんでだろう。もし自分がもっと世の中の役に立ったら、自分の辛いことは無くなるんじゃないだろうか?」

根拠は何も無いのですが、そう考えることで自分を納得させようとしていたんだのかもしれません。そして結果的には、こう考えてから人生の転機が訪れたような気がします。

大学に入ってからはボランティアサークルに入って活動したり、留学生との交流イベントを開いたりと、次第に興味が外国へ移っていきます。幼少時代の親の教育、辛い経験をして弱音を吐いてしまった挫折と当時のコンプレックスが自分の進むべき道を照らしてくれたんですよね!

「自己評価がかなり高いこども」プラス「挫折とコンプレックス」イコール「世の中の役に 立とう」。これが今の僕になるスタンスだったんだと思います。

「どうやったら世の中の役に立てるかな?」→ボランティア活動や英語勉強を始めるキッカケ。

「どうやったら周りの人を元気にできるだろう?」→ポジティブな人といると元気になれる、だから自分もポジティブになろう。

「どんな人がポジティブな人なんだろう?」→ただ前向きなだけじゃなく、目的に向かって努力する人。何度も挫折や失敗を経験しても、最後は努力が実って結果を出す人。

こんな人に自分はなろう、というのが僕の起源です。

2011年5月出版の『誰かにとどけ、僕の応援歌』より

お読みいただき、ありがとうございます。より多くの皆様に、僕の応援歌がお届けできるよう精進して参ります!