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確かにそこにあった、人々の暮らし 〜追廻住宅の展覧会〜

先日、せんだいメディアテークで追廻住宅に関する展覧会を見てきました。


追廻(おいまわし)住宅とは、仙台で戦後に被災者や引揚者を支援するために一時的に作られた住宅地だそうです。


居住期間の終了後、市は住民を退去させて新たな観光スポットになるような公園を整備しようとしたそうなのですが、住民が反対し続け、市と何度も協議を繰り返しつつも独自の町を作っていったとのことです。


私はその存在を、全く知りませんでした。


今年の年明け、"最後の住民が退去した"というニュースをたまたま見て知りました。


ニュースを見た時、まず"追廻"っていう地名が酷すぎるし、今は令和なのに"終戦後"とか、いつの時代の話をしてるの!?と、ものすごく驚きました。


それから少しして、追廻地区は緑化フェアの会場になり、私も行きました。



会場は花と緑がいっぱいで、すごくきれいでした。



そのあとは特に何もなかったのですが、秋に入った頃にSNSで今回のイベントの情報を知り、私は昔の写真を見るのが好きだし、緑化フェアの会場が昔どんな姿だったのかを見てみたいと思いました。


展覧会の会場に入ると、まずは江戸時代だったか戦国時代から終戦までの追廻地区の歴史が紹介されていました。


追廻地区は仙台城のふもとということもあり、護衛のために重要な場所だったようです。


明治維新のあとも、軍の施設として使われることがほとんどで、会場では第二次対戦中(確か)に追廻で射撃の練習をしている映像も流れていました。


ブースは終戦を境に分けられており、次のブースには追廻住宅ができてから現代までの年表が一直線に置かれていました。


それがめちゃくちゃ長くて、書かれている出来事も膨大で、要所要所だけ読んでいっても結構な時間がかかりました。


さらには、年表の横には10年おきくらいのペースで撮った航空写真が時系列で並べられており、その向かい側には立ち退き問題などで新聞に取り上げられた際の記事が貼られていたので、ここを見るだけで20分くらいは経過しました。


ブースの最後の方では、集団移転の計画の記録も紹介されており、仙台市内のいろんな場所が候補地に挙がっては却下になっていたらしく、本当にこのブースだけで、追廻地区の住民がどれだけ大変な思いをしながら暮らしてきたのかがよくわかりました。


年表のブースを抜けると一気に広い空間になり、たくさんの写真や元住民から得たエピソードが展示されていました。


しかも、ただ展示するのではなく、あちこちにレトロな家具やお祭りのお神輿が置かれ、昔の暮らしを再現するような内装になっていました。


そんな中でたくさんの写真などを見ていると、かつての追廻住宅にタイムスリップしたような気分になりました。


また、やわらかい色合いの照明も手伝って、人の温かさとか、"古き良き時代"という感じが見事に表現されていました。


ちなみになぜか、1箇所だけ写真撮影OKの場所があったので撮りました。↓




追廻に住んでいた人の苦労とか思い出とか、本当のところはその人たちにしかわからないし、たとえ同じ時期に住んでいた人同士でも、考えることや感じることは様々だったのではないでしょうか。


だから、部外者がそれを勝手に評価するべきではないと思うし、企画した人たちの意図はそこではないはずです。


もちろん、色々なことは感じたわけですが、実際に会場でさまざまな写真を見て私が思ったのは

人の暮らしがある場所っていいな

ということでした。


写真に写っている人たちからあまり悲壮感は感じなかったし、数々のエピソードも「今となっては懐かしい」というスタンスのものが多かったからかもしれません。


私はこの展示会に行って、追廻住宅の歴史を知れたことももちろんよかったのですが、それ以上に、今は無くなってしまった町の暮らしを垣間見ることができたことに感動しました。


ところで、追廻地区は70年以上経ってようやく市の希望通りに"青葉山公園"の一部になったわけですが、その計画に携わってきた人たちはこれで満足なのでしょうか。


ふと、そんなことが気になりました。



というわけで、期待して行った展覧会は予想以上に素晴らしいものでした。


実は会場に行ってから有料(500円)ということを知ったのですが、個人的に1,000円出しても良いと思えるくらい満足でした(笑)


あと3週間くらいやってるから、もう一回行きたいかも…

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