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1/13 プレイバック・シアターの感想②

↑の記事の続きです。


プレイバック・シアターで楽しかったこととか衝撃的だったこと、印象に残ったことなんて、言ってしまえば「全て」なんですけど、その中でも今回特に書きたい!と思うのが、


桜の木の役をしたことです。


桜の木って幸せなのかな

そのとき私はプレイバック・シアターを観る側だったんですけど、"桜が咲いている中、幸せを噛みしめながら歩いている人たち"という場面が出てきて、「観てる人たちは桜の木になってあげてください」ということになりました。


だから、客席にいた人たちと立って両手を挙げ続けたんです。


最初は何も考えず、ただの背景になったつもりでした。


だけど、だんだん幸せな気持ちになってきました。


幸せそうな人たちを見守るのはそれだけでも幸せだし、さらに向こうからも穏やかな表情やポジティブな言葉をもらえるわけです。


私たちは毎年、桜を見て幸せな気持ちになるけど、もしかした幸せな気持ちになるのは桜も同じなのかもしれません。


それは、今まで全く考えなかったことでした。


初めての感覚に私は感動して、涙が出てきました。


実際にそのときの会場内は、すごく暖かい空気が流れていたと思います。


数人の人間が変装も何もせず両手を挙げて立っているだけなのに、不思議な一体感があって、本当に桜が満開のときみたいな感覚になりました。


物の気持ちを考えることは、他者理解につながる?

この日は合間にさまざまなワークを行いましたが、その中に「物の気持ちになって喋る」というものがありました。


自分が物に扮しているときも、他の人が物に扮しているときも、今まで経験したことのない世界を見ている気持ちになりました。


桜の木をやったことも合わせて、私は「なんか今まで以上に他者のことが理解できそう」と感じました。


「えーっ、こんな目線なの!」、「えーっ、こんな風に考えるの!」と驚いたことで、人間は各自いろんな背景があっていろんな発言や行動をしているのだ、と思えたのです。


自分から見て理解できない人、不快に感じる人ーー言ってしまえば「嫌いな人」も、何かしらあってそうなってるんだろうな、と。


そう考える余裕があれば、他人に感情を乱されて疲れることも今までより減るかもしれません。


ただ、気づいたからといってすぐに日常で実践できるようにはならないと思うし、これからも未知なる人種との出会いはたくさんあるだろうから、全く動じなくなるなんてことはないと思います。


でも、自分の中にそういう視点があるというだけで、心のあり方は変わるはずです。


ここまで感じたからこそ気になるのが…

まさか今回、物や植物の立場になってみるという経験で、こんなに感銘を受けるとは思いませんでした。


世の中に自分の知らないことがまだまだたくさんあるというのはわかっていますが、新たな発見って何度してもびっくりするし、おもしろいと感じるものです。


…だからこそ、実は今回のプレイバック・シアターで一つだけ後悔していることがあります。


「観てる人は桜の木をやってください」の前に、「観てる人は奈良公園の鹿になってください」っていうのがあったんです。


そのとき私は音楽を担当していて(※プレイバック・シアターはキャストの他に、簡単な打楽器でBGMや効果音をつける役の人もいる)鹿になれなかったのです。


しかも、職業柄"ベストなタイミングで音を入れてやる!"と躍起になってしまい、キャストの方しか見ていなかったのです。


そのあと桜の木になってこんなに感動したもんだから、鹿もやったらどんな気持ちになったんだろう!?と気になって仕方なくなりました…


たかが鹿なんですけど、私にとっては"されど鹿"です。


しかも、有名な奈良公園の鹿ですよ。


私も鹿になりたかった。


でも、二度と同じシチュエーションには出会えない。


だからプレイバック・シアターはおもしろいのだと思います。


その日その時、そのメンバーでしか見られないものを見に、また行きたいです。


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これまでに私が書いたプレイバック・シアターとアプライド・ドラマの記事をマガジンにまとめてみました。


くだらない感想ばかりで参考にならないかもしれませんが、よかったらご覧ください。


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