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「しらふ」で文章を書けない

僕がnoteに何かを書こうと決意するときは、だいたい自分の中で「ふつう」の精神状態ではない。どこか精神的に酔っ払っていて、自暴自棄なところがないとできない。それは自分の言うこと為すこと全てが、愚かさにまみれていて、根本的に「間違っている」ような気分がずっとしていて、書くことは自分の愚かさを晒すことに他ならないと感じているところがあるからだ。

しかし、ひとは酒に酔うと、自分の「愚かさ」を晒す覚悟みたいなものができる。日頃、頑張って抑圧して外に出さないようにしている自分の中の「おかしいところ」「狂っているところ」「愚かなところ」を開放する準備ができる。そして、「しらふ」に戻ったあと、自分の愚かさを晒してしまったことをひどく後悔する。僕がnoteを書く過程も、これに近い。だから、「書くこと」は僕にとって、全く合理的な営みではない。それでも、僕にとって生きることは愚かさに留まることと等しいので、愚かさを晒している瞬間こそ、もっとも「生きている心地」がする。だからやめられない。

もし、「自分は実は狂っているのではないか」「自分はおかしい人間なのではないか」と感じているひとがいたら、僕はそう感じているあなたが好きだし、「しらふ」でないあなたを見るのが好きだ、と言っておきたい。あまり酒癖が悪いのは勘弁だけど、お互い「しらふ」でいることに疲れたときは、喜んでお酒につきあいたいと思う。

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