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精神病院入院一日め


練炭自殺を試みた日のこと
の、つづきです。

この一連の自殺未遂の振り返りの文章はいずれ本にまとめたいと考えています。
前回の記事とこの記事の間に「宇治徳洲会病院編」があり、書き終えておりますが、それはいずれまとめる際に加えようと思い、ネット公開は控えます。


精神科の病院に移送された。
救急車に乗っての移動。見たことのある外の景色を遠いものとして眺める。

とてもいい天気のお昼前で、外来には誰もいなかった。
すこし埃っぽいような空気と秋真っ只中の日差しが心地よい。

静かだった。

いつも外来にはたくさんの人が座って診察を待っているから、
とても新鮮で非日常の感覚だった。

救急病院の喧騒から離れられたことは嬉しかった。
病院は山の中にある。
どのくらいの期間かわからねど、ここで過ごすのだと腹を括るしかない。

指示されて主治医を待つ。

主治医はいつも通り落ち着いていた。
救急病院から渡された資料を読み、
「ああ、確かにそのままだったら本当に死んでいましたね」「危なかったですね」
と言われた。
私の行動はちゃんと死ねるものだったようだ。

その日のことを話してくれますか、どうして死にたくなったのですか、と言われ、

花屋に行きたくなって…と、順に追って話をした。

私など、重症の患者ではないので、
主治医はいつも電子カルテをほとんど打たない。
しかしその日は、私のひとつひとつの言葉を、かちゃかちゃとせわしなく叩き込んでいた。

私はそれがとても嬉しかった。
私だってやればできる、というような気持ちになった。

入院は両親と主治医が既に話し合っており、医療保護入院だった。
私に拒む権利はない。
「どれくらいの期間入院することになりますか」と聞くと、
「宗岡さんの場合長く入院しても仕方がないのでひと月くらいと考えてもらえれば。そのまま部屋に返すには親御さんも心配であるだろうし、少し気持ちを落ち着けるためと思ってもらえれば」
と言われ、すこし安心する。
何年も閉じ込められることはない。
主治医のことは信頼している。

このとき、誤嚥性肺炎を起こしていますね、ということを伝えられる。
私はまだ胸が苦しくて話しづらかったが、抗生剤はもういいだろうということで無くなった。

あとどれくらいで死んでいましたかね、と聞くと、
言葉を濁すように、「例えば朝までそのままだったとしたら死んでいた可能性が高いと思います」と言われた。
まだ死にたい気持ちがある、死ねなくて泣いた、と言っている患者に、当然だが、
具体的な時間は教えてもらえなかった。

主治医とともに病棟の方へ移動する。
何年も通っているが踏み入ったことのない敷地だ。
その間に、
「お薬だけど、弱い抗うつ剤と眠剤の代わりの安定剤を少し出しますね」
と言われる。

具体的にはレクサプロとセロクエル。
本当は強い薬が欲しかったし、大好きなマイスリーが欲しかったが同意するしかなかった。

救急病院でちっとも眠れなかったことが本当に辛かったのと、ODをはじめてしたことで、薬が出ないのではないかという不安があったため、出るだけマシかと思った。

病棟へ入ると色々な世代の患者が目に入る。精神科病棟に入るのが初めての私は、みんな気がおかしい人たちばかりなのだーーーと思った。

個室の部屋に通され、荷物を渡し、説明を受け、採血をする。

とても古い施設だが清潔に保たれている。
新しく立て替えられたのに不潔さを感じる救急病院とは真逆の感じだった。
私はここに好感を持った。

採血をするのだが、看護師が3度失敗する。
ベテランなのに本当に恥ずかしい、自信を無くしてしまう…という看護師に私も笑ってしまう。
すみませんととにかく謝られるので面白かった。
よく笑う人だった。
こういう失敗が許せない人もいるだろうが、私は人間味を感じほっとする。

救急病院ではたくさん採血をしたし点滴も打ったが、失敗されたのは一度だけだった。
そのときの看護師さんもベテランだったので、この世の終わりのような形相ですみませんと言われ、こちらが申し訳なくなってしまったものだった。

くらべてこの病院のこのゆるい感じ。
違う看護師を呼んできます…と言われ、
違う看護師に採血してもらうも、途中で止まってしまう。
本当にすみませんとたくさん言われ、
三人で笑い、もう一度採血をした。

昼食が運ばれてくる。
鯛の上にキノコと野菜のあんかけがかかっていて、とても美味しかった。汁物も美味しかった。
救急病院の食事は、(それでもマシだとは思っていたが)おかゆなのに、謎に低クオリティの唐揚げなど病人食とは思えない献立が続いていたので、ほっとした。
私はしばらくここで過ごさねばならないのだから。


しばらく経つと、担当の看護師がやってきて詳しい説明と病棟内の施設の説明をされる。

私が一番に質問したことは、毎日お風呂に入れるかどうか?であった。
もちろん、入れますよと言われる。
大きな湯船(これは本当に、タイルばりの銭湯のような湯船で、私はその雰囲気がとても好きだった)にお湯が張ってある日と、シャワーのみの日が交互にあるけれども、毎日入ることが出来ると言うことだった。
私は本当に嬉しくてそれだけでもありがたかった。

お風呂に入れる、
静かな環境で、眠ることができる薬がもらえる。

それが本当に本当にありがたかった。
見知った病院で、施設も清潔で、外の環境も静かだ。
ここに通院していて、本当に良かったと思った。


部屋は観察室、という部屋だ。
トイレと手洗い台があり、小さな窓がある。

窓は5センチほどしか開かないし、その先のベランダには鉄格子がはまっている。

ドアには当然取手がない。
外から鍵がかけられている。
アルミの板のようなドアで、色んな人がドンドンドンドン中から叩いたのだろう、ボコボコとへこんでいる。
タスケテテ、とかろうじて読める字が彫ってある。


トイレには見える部分にタンクがなく、水を流すレバーが、押すタイプのものになっていた。いままで見たことのない構造のトイレだった。
首を吊る紐や何かを、かけられないようにするためだろう。

手洗い台は、ボタンをガシャンと押すとすこしの間、水が出るようなタイプで、溜められないようになっていた。
水を溜めて溺れ死のうとしたり、たくさん飲んで死のうとすることを防ぐためだろう。

部屋じゅうに、徹底的に自死を防ごうとする気概が見え、よく出来ているし面白いなと思った。

加えて、監視カメラがついていてずっとナースステーションから見られている。

最初の一日は、シーツを貰うことも出来なかった。
(危ないことをしないため、だ)

私は、相変わらず死にたいと思っていたが、もともと苦しい痛い死に方は嫌だったので、病院内で何が何でも死んでやるという気持ちは全くなかった。

一日中、部屋に鍵をかけられる人もいるが、落ち着いているから、という医師の判断で、初日から数時間ラウンジに行くことが出来たし、お風呂に入ることも出来た。

とはいっても、あまり人と関わる気持ちにはなれなかったので、
ナースステーションから借りたやかんにお茶をくみ、
本棚を見て、大好きな小説と詩集があったので取り出し部屋に持っていった。

立ち腹筋をして軽く瞑想をして寝た。
夜中でも部屋には豆電球がついていたがとても静かだった。
木の葉が擦れる音、鳥の声がきこえるような環境だった。
シーツがないことが不快ではあったけれど、
久しぶりに寝ることが出来た。

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