ただそこに在るだけで。
例えば、ぬいぐるみに「おはよう」と言う。
条件反射のように、私は嬉しくなる。
朝のテレビで、児童虐待のニュースを見る。
当たり前のように、悲しくなる。
魅力的な人に会う。
運命であるかのように、その人を好きになる。
でも私は、逆だと思うのだ。
嬉しくなりたいから嬉しさを生み出して、
悲しくなりたいから悲しさを生み出す。
好きになりたいから好きを生み出し、
そのためにはその人の悪い部分から目を背けること
も厭わない。
良い所だけを見て、その人はきっとこんな人だと
過剰に判断し、妄想し、益々好きを生み出していく。
好きになりたいから。
虐待を見ても平気でいられる自分は、おかしいから。
世界の「当たり前」からこぼれ落ちてしまうから。
感情は、自分が無意識に、
でも意図的に、生み出しているのかもしれない。
ぬいぐるみも児童虐待のニュースも魅力的な彼も、
ただそこに存在しているだけ。
そこには嬉しさも悲しさも愛おしさも、
良いも悪いもない。
ただ存在している。
その事象に対して、私の心という名のフィルターを通して見ることで、感情が生み出される。
もちろん、生み出されるものは、
それぞれのフィルターによって変わってくる。
チワワを見ても可愛いと思わない人がいて、
赤ちゃんを見ても心が動かない人がいて、
むしろマイナスな気持ちになる人がいて。
その事象に対して、抱く感情は人それぞれ。
ひとつだけ確かなことは、
全部、ただ、そこにあるだけ。
ただそれだけ。
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