ゆるやかに、ゆるゆると
なんか、勝手に焦燥感
ほんとは何にも追われていないのに
一般的に子供にとって外遊びが良いとどこかで読んだら、毎日公園に行かねばならぬと無意識下でインプットされてしまう
なんだか私はそういうタイプ
すると毎日公園に行かないことに、うっすら罪悪感を覚えてしまったり、、
公園に行くなら1時間以上は遊ばせてあげないと、とどこかで読んだら、そうなんだ、、そうせねべならぬのか、、と無意識下でインプットされ、、、
短い時間しか行かれなかったらうっすら罪悪感を覚えて、、、
だから午前中のうちになかなか公園に出かけられないようなシチュエーションにカリカリしてしまったりする
ほんとは誰も何も間違ったことしてるわけじゃないのにさ
というのも、リッチーはトーマスや電車のおもちゃで遊ぶのが大好き
例えばそれに夢中になって遊んでいるのに、早く公園に行かねば、早く出かけなければとカリカリするのはお門違いだよねぇ
なんかそういうことが、生活の中にはたくさん散りばめられている
そのほとんどが、子供のために最善をという気持ちが根底にあるわけだが、なんとなく、勝手に刷り込まれた理想に支配されていることが結構ある
例えその理想が素晴らしくて目指すべきことだとしても、目の前の子供の要求に向き合ったり大切にしたりすることが抜け落ちてしまっていて良いものなのか
とはいえ子供はそのときそのときで柔軟性もあるもので、じゃあ無理に抱き上げてでも公園に連れ出したら、それはそれでとても楽しんでくれたりするもので
何でもかんでも要求に付き合っていたら毎日家から出られないし、なんとなく不健全な生活になるやもしれない
なんというかその辺のせめぎ合いは難しい
なんかそれと一緒にしていいかわからないけれど、こうしていま気合いを入れてnoteを毎日更新してみてるのだけれど、自分にとって息抜きの場だったはずのnoteに追われるようなことになるのはやっぱりお門違いだよねぇ
いやまだ、別に苦労してるわけでもないんだけど、なんだか勝手に、リッチーの寝てる間にするべきことの第一位になってしまっている今日この頃、、、
夫は毎日カレーを食べ続けて12年になるので、やっぱり毎日やることに意味があると考えている
そりゃ毎日何かを何十年も続けられたら素晴らしいことだと思う
と、いうことが、私の無意識下でインプットされ、、、
生活がどこか上の空、
マインドフルネスからはさらに遠ざかってしまっている感覚がなきにしもあらず
ほんとは誰も何も私を追い立ててなどいないのにね
あぁもっとゆるゆると、ゆるやかに
と思ったら、凝り固まっていた頭がゆるむ感覚をおぼえ、呼吸が深くなったのでした
身体っておもしろいね
ゆるゆると、ゆるやかに
おおらかに、てきとうに
これが私自身にとって大事なことばやイメージである
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