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外に出よう。ネタの宝庫だ。

中学3年生の頃から15年以上のあいだ、WEBで日記を書いていた。

当時はブログというモノも言葉も浸透しておらず、レンタル日記サイトに登録していた。勝谷誠彦さんや栗林みな実さんがそのサイトで日記を書いていた。ブログと異なりコメントが出来ないシステム。いいねなんて機能はない。誰かに見てもらうことが前提ではあるが、そこに承認欲求を満たす機能はなかった。しかしそれで充分だったし、求めてもいなかった。
純粋に紙をWEBにそのまま移動させたような世界。シンプルで一方通行の世界。それで充分だった。

大学入学後mixiに出会い、日記を通して新旧の友人とコミュニケーションを取った。ものすごく楽しかった記憶があり、当時の日記とコメントを今でも時々読み返す。
小学校、日能研、中高、予備校、大学、アルバイト、芸能界を目指す子たち…。人生で出会った方々と一気に繋がれて、日記を書く。トップページに表示される「新着コメントが1件あります」という赤字にわくわくした。
わたしにとって最も居心地の良かったSNSは、後にも先にもmixiであることは揺るがないだろう。「友だち」という相互フォローしか存在しない。日記を書いてもクリックしないと表示されない。TwitterやInstagramのように一方的にフォローしたりされたり、投稿内容がタイムラインに全文表示されることもなく、読もうと思ってもらえないと見れないし見られない。いま思うと他者との距離感が程よく保たれて、メンタルの疲労もそこまでなかったと感じる。知らない人に日記を読まれることもない。みほの日記が好き。更新されたらすぐ読んでいる。そう言ってくれる友人もいた。

同時に、ブログも始めた。
ライブドア、ヤプログ、アメブロ…。アメブロだけで4つ作成したが、いずれも2年以上書き続けていた。生活環境が変わったり、新しい世界に飛び込んだ際にブログを引っ越した。
アメブロが2ちゃんねるに晒されたこともあった。2回も…。長くなりそうなので、声優養成所生だった頃のアメブロ話はまた後日。

中学生の頃から日記のネタは尽きず、毎日どころか1時間に1記事書けると感じていた。わたしは書かずにはいられなかったのだ。日々感情があふれてあふれて、アウトプットする方法を探していた。書かないとしんでしまう。体内で想いが破裂して、自分が壊れてしまう。割れそうな風船を抱えている感覚が常にあった。絵を描けない、音楽も作れない、身体表現も出来ないわたしには書くことしかなかった。外出時も手帳かノートを必ず持ち歩いていた。詩や歌詞を書くこともあった。わたしは書くことに、救われていた。

しかし、昨年は1回も日記を書かなかった。

書かなかったというのは、書かずにいられたということだ。
書かずにはいられなかった過去。感情で肉体が破裂しそうな感覚。それがないということは、穏やかに生きていられているのではないか?

一見、幸せそうに思える。
しかしそれは非常に危険だと感じた。

感度が弱くなっている。
それはこの数年のあいだで、外の世界や他人と接する機会が著しく減ったからだと思う。見て聞いて、香って触れて。会話をして。心が動く瞬間が、減ったからではないか。インプットをしていないからアウトプットをせずに済んでいるのだ。
感情が動かず風見鶏のようにクルクル回るだけの心の矢印は、日常に残った「会社」という組織での出来事だけに向くよう無理矢理固定していた。仕事で良いことが起こる時なんてめったにないので、辛いことがある度に変わらず落ち込む。緊張もする。体調を崩す。
それなら感度は弱いほうが良いのではないだろうか。風見鶏は会社の仕事という狭い世界でしか動かなかった。わたしはそんな世界でしか、生きていなかった。

自分がどう生きていたいのか。
わたしは作家でありたい。書く人でありたい。
ならば、感度が弱いというのは、あってはいけない。敏感でないといけない。繊細でありたい。そうでなければ誰かに寄り添った魅力的な文章など書けないと思う。
繊細な人は、生きにくい。HSPという概念がある。わたしは該当すると思う。それが嫌だった。しかし、書きたいと思う以上そうであることに感謝すべきなのかもしれない。生きにくい世界に希望を生み出すのが我々の役目、と演劇の恩師が言っていた。お芝居も文章も、目的は同じだ。

感じなくなることが、怖いので。
noteを再開しました。
繊細でいたい。けれど、丈夫でもありたい。
そのためにも、今年は外に出ます。やっと。やっとね。

また読んでくれると嬉しいなぁ

いつも本当にありがとう。これからもどうか見てください(*´◒`*)ノ