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いちラーヲタの戯言

多くの方が書いていると思うけれど。
わたしも、自分が思ったことを残しておきます。
とても、とても、怖いと感じてしまったから。


わたしは15年ほど前からラーメンズのファンで、劇場には何度も足を運んだし、KKPやポツネンも含め、おそらく発売されているDVDはすべて持っている。
しかし問題となったコントは観たことがなかった。ちいさな劇場で1998年に上演され、VHSにて発売されたとのことで、観る機会がなかったのだと思う。

Twitterには数秒の切り取られたものしかなく、探して、9分間の全編をみた。

https://youtu.be/gWR9ERvEgAg

ゴンタくんと呼ばれる仁さん。
賢太郎さんは何かを探している。チューリップハットを見つけて、かぶる。
ここで最初の大ウケ。ノッポさんじゃん!NHK教育の「できるかな」のパロディだとわかる。

このコントではノッポさんは「煙草が近くにないと不安になるほどのヘビースモーカー」で、
視聴者からのハガキには、可愛いはずのゴン太くんが「気持ち悪い」、
喋らないはずのノッポさんが「しゃべりすぎ」、
放送時間は子どもが観る朝じゃなくて「深夜」、
更には「咥えタバコ」「モザイク」など、本来の善良な教育番組とは真逆なワードがどんどん出てくる。
あぁ、そういうコントだ。もしこの2人が善良じゃなくて、ヤベー奴だった場合のコントなんだ。ということがわかる。

来週の放送なにやろう?と、2人で企画を考える。
野球をやろう!(作ろう)と提案し、観客として使う為に人型の紙が必要となる。
ゴン太くんはなぜか、人型の紙をたくさん持っているよ!と言う。
なぜ?と視聴者は思う。少し間を置いて、ノッポさんは言う。あぁユダヤ人大量惨殺ごっこやろうって言った時のな。そうそう。(ディレクターの)トダさん怒ってたな〜放送できるか!ってな。とゴン太くん。
問題になった場面はここだ。

その後、2人は材料を作りながら「できるかな」のテーマソングを様々なバージョンで歌う。2人は実は両想いで、恋人同士みたいな喧嘩をするが、最後はハッピーエンドで終わる。


あの日速報で飛び込んできた、賢太郎さんが解任になったLINEニュースを再度見てみた。
「過去にユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)を題材にしていたとみられるコントの動画が拡散し、SNSで批判されていた」と書かれていた。

ふと、2年前に読んだ、芸人の濱田祐太郎さんに対し「障害者を馬鹿にしている」と書いているネット記事を思い出した。
2018年度のR-1ぐらんぷりで優勝した、ロービジョン者のピン芸人さん。

視覚障害のあるあるネタは、一見障害を自虐しているように見えるかもしれない。それが他の障害者を馬鹿にしていると。
しかしネタを見ると、障害者を笑っているわけではない。障害を理解していない、健常者のことを笑っているのだ。なのであの記事は思いきり的外れだ。
しかし今回は、そんな的外れな指摘が的外れなまま世界中で問題になっていた。ユダヤ人大量惨殺ごっこを、絶対やってはいけないことの例としてあげているのに、あたかもその「ごっこ」を、ネタの中でやった、揶揄したと捉えられていた。まるで賢太郎さんがあの出来事を、肯定しているかのように。

賢太郎さんの謝罪文には「当時の自分の愚かな言葉選びが間違いだったということを理解し、反省しています」とある。
あのコントのあの場面のセリフは、最も残酷な事象を入れることで話が繋がる。こんなものを放送しようとするヤベー奴の、ヤベー発言が成立する。
だからホロコーストを選んだのだ。
言葉選び。まさにそうだ。

だが確かに、笑いに繋がるかというと疑問に感じた。個人的にはあの台詞は笑いより先に、恐ろしさを感じた。このノッポさんの猟奇性に。
作り手としては、客がそう感じることが正しいと思うのだけれど、それを恐ろしさではなく、怒りとして感じる人もいるだろう。ホロコーストのことを、よく知れば知る人ほど。

この謝罪文は本当に誠実に、賢太郎さんがご自身の言葉で、本心を心の底から書かれているように感じた。しかし謝罪文を出した後にも、ネット上でひたすら叩き、賢太郎さんに対し暴言を吐く人々はたくさん、たくさんいた。

すごく怖かった。
毒と悪意に満ちていた。スマホの画面に触れると、指が染まってしまうのではないかと思うくらいに。

このコントを観て理解できない人がいることもだけれど、観もせずに、ネットの情報を鵜呑みにして、なんかヤベーらしいよ程度の情報でこてんぱんに叩く人がこんなにもいるのか。
まるで「いじめていい人」だ。

このうちこのコントを始めから最後まで観たうえで発言している人はどれくらいいるのだろう。
何が問題なのか、どうすれば問題にならなかったのか、自分の頭で考えて発言した人は、果たしているのだろうか。
菅首相、小池都知事の、賢太郎さんに対する「言語道断」という発言。何に対して言語道断と言っているのか、聞かれたら説明できるのだろうか。

日本(語)が分からない、海外の方々が怒るのはわかる。
そもそもこのコントは「できるかな」という、NHKで子ども向けに放送されている番組が存在して、どんな内容か知っていることを前提に作られている。それを知らないと笑えないどころか、確かに誤解を招くと思う。
ラーメンズのコントはこういう風に「知っていることが前提」のものが多い。ある程度の知識がないと楽しめないと言われていた。

なので例え20年以上前の作品だとしても、オリンピックという国際行事に関わる人としては、残念ながら好ましくないのかもしれない。
ワード自体が、扱ってはいけないものだったんだ。

謝罪文には「この頃は思うように笑いが取れず、浅はかに人の気を引こうとしていた」とあった(この謝罪文がご本人の声で再生されて、泣きそうになってしまう…)。
ラーメンズが結成されたのは1996年。
問題のコントは結成2年目。
この頃の若手芸人は、自身のスタイルを確立させるために、試行錯誤し、もがいていると思う。25年後にはオリンピック開会式の演出を務めるなんて、思ってもいないだろう。
その頃のTV放映もされていないネタが、ネットも流通していない頃のネタが、こんな風に拡散されて、問題とされるなんて。
創ったものには責任を持たないといけないのだと感じる一方で、若手芸人の方々がこのことに対し「自分も気をつけていきます」と言っているのを見ると、いったい何に気をつけたら良いのだろうと思ってしまう。

謝罪文の続きには「その後、自分でもよくないと思い、考えを改めて、人を傷つけない笑いを目指すようになっていきました」とある。ファンのよく知る、現在の賢太郎さんの笑いの指針だ。
「誰も傷つけない笑い」と言う言葉は2019年のM-1グランプリ決勝以降、よく耳にするようになった。
けれど賢太郎さんはずっと、ずっとそれを胸に、あのようなクオリティのものを20年間創り続けてきた。それはファンの誰もが知っている。
その人のネガティブな要素や外見、年齢などを笑いのネタにしたくないという思い。
そのため、そういう笑いがあふれているテレビの世界から距離を置いて、舞台で活動をする。誰かに悲しい思いをさせるものは作らない。そんな、作品創りへの思い。
更に、以前とは違って、予備知識を必要としない作品を作るようにしていること。
グッズの利益や動画の広告収入を寄付していること。
そういった功績や、20年間の軌跡を、一切調べずに解任した。

この、よく調べもせずに「とりあえず外す」姿勢を怖いと感じたし、
何より、障害者いじめを理由に辞任した人と同等に扱われたことを、恐ろしいと感じた。
いじめをするという人間性の問題と、コント内での言葉選びの問題を混同され、賢太郎さんがホロコースト賛成、反ユダヤ主義の人間だと思われている。

それは非常に、居た堪れない。
毒と悪意と共にスマホの画面に映るのは、
様々なかたちをした「正義」だった。


開会式、面白かった。
わたしがオリンピックで毎回最も楽しみにしていることは、開会式だ。世界中から人が集まって、様々な国旗が表れ、様々な衣装・体格の人が、様々な表情で入場し、アピールをする。

地球のあちこちから一箇所に集まっているんだ。ここに来るまで何時間かかったのだろう。今日この日まで、どうやって過ごしてきたのだろう。この人は子どもの頃からこのスポーツが好きだったのだろうか。もしくは他人より少し得意だったから目立ってしまって、続けざるを得なかったのだろうか。
など想像が止まらなくなる。

そして入場前後のパフォーマンス。
日本らしさが全然ないといった声も多く、賛否両論だ。
しかしわたしはとても、とても面白く観た。競技をオーケストラの楽器と重ねていたところとピクトグラム、サイレント劇が特に好き。
わかりやすい、いかにも日本といったものは侍とか忍者なのだろうと思うけれど、それは現代の日本ではない。
大工さん、50音順の入場、ゲームミュージック、漫画で描かれたプラカードなど、現代の日本要素をふんだんに使用された演出。
音声で入る解説を消したくなってしまうような、想像して浸りたくなる世界観。賢太郎さんの案はどこまで残っているのだろう、どれがそうなのだろうと、頭で考える前に、胸がときめく。あ、好き。と感じる。
そして竹井さんや久ヶ沢さん、辻本さんなど、賢太郎さんの公演にはお馴染みのメンバーのお姿が見えて、嬉しくなってしまう。
なだぎさんも居た。
カジャラで2人で片足を上げていたのを思い出した。なんでそんなに上がるんだよ!と賢太郎さんが言っていた。あの笑顔が忘れられない。

ふと、本来ならば開会式に、仁さんも参加されていたのかなぁ…と思ったり。それは考えすぎかな。
キングオブコント2回戦からの、エレ片本のオンラインサイン会からの、開会式出演だったのかなとか、想像してしまう。

賢太郎さんがいなくなって、現場はテンテコ舞いだったと思う。
死んでしまいそうなプレッシャーや忙しさの中、やり遂げてくれたキャスト、スタッフ、皆さんに相応の手当ては支払われたのだろうか。
もうこんなこと、起こらないでほしい。


…おそらくこの長い文章をここまで読んでくれたひとは、きっとラーメンズが好きで、賢太郎さんが好きな方だと思います。

もし仮に、そうじゃない方がいたら。

お願いがあります。
賢太郎さんのコントを、演劇作品を観てほしい。
書物を手に取ってほしい。
植え付けられた、反ユダヤ主義者のイメージ。
決してそんなんじゃない。
知らない方には「恐ろしい思想を持つ演出家」として広まってしまった。
そうじゃない。こんなに洗練された、不思議で、美しくて、気持ちの良い作品を創る方なんだ。
憧れる人が後を絶たない理由が、わかると思う。
たくさんの大物芸人さんが世間の誤解から守ろうとしている理由が、わかると思う。(ベストワンでの爆笑太田さんに、泣きました…)

願わくば、賢太郎さんがまた生き生きと作品創りをできる環境が戻りますように。

そして「母と母」が、キングオブコント決勝進出し、先日のABCお笑いグランプリのオズワルド伊藤さんの「さいり〜!」のように、仁さんの「賢太郎〜!」が、聞けたらいいな。

いつも本当にありがとう。これからもどうか見てください(*´◒`*)ノ