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だから、私は空を目指した。【壱】

――少し、いいか?

そう引き止められたカナウは足を止める。
それに釣られるように、自然とミナも立ち止まった。

――君たち……何処へ行くんじゃ?

男はアロハシャツに麦わらのハット帽子、薄いサングラスを掛けていた。

「僕らは旅をしている。夏休みの自由研究。山の向こうの湖を目指してるんだ」

「そ、そうです。ちゃんと保護者の許可も得ています」

――そうか。まあ気をつけてな。特に少女の方は。

二人が言うと、まあそこまで深入りはするまでもなく、男はあっさりと引き下がった。

カナウとミナは再び国道を歩き出す。国道と言っても片道一車線のそこまで広くない道だ。
苔に蒸したブロック塀がまるで抹茶のお菓子のようだとか、それを写真に撮って思い出づくりをしたり。

二人はついに山を登り始めた。
家を出た数時間は街の外れまで来たことに興奮を覚えた。徐々に坂が増えていくごとにしんどさが勝り、時折、カナウは足を止める。

「休もうよ……」

同い年で幼馴染の二人。カナウは小柄な男の子だ。ミナはしっかり者のお姉さん、とまでは行かないが、二人でいる時の主導権はミナが握ることが多い。

その提案にミナが同意すると、カナウは縁石に腰掛け、ミナは傍にある木にもたれ掛かる。
お互い小ぶりなリュックサックから水筒を取り出して水分補給と、塩飴を口へ放り込む。

5分程度、休息をとり再び歩き始める。

遠くに見えていた稜線が目の前にある。
地上よりは涼しいがそれでも猛暑日の今日、出立したのは間違えだったかもしれない。

ーー空も少し近くなってきただろうか?
ミナはそう考えていた。

歩き続けてしばらく、二人の間に会話はなくなり、とにかく足場に注意しながら進む。
一歩、また一歩と進んでいくうちにこの道のてっぺんに近づく。

上り坂と思えば少し下り、また上り坂を繰り返す。
アップダウン。ダウンアップ。右へ左へとクネクネと道はあらゆる方へ曲がっている。
休憩所らしき小屋を見つけた二人は、そこで休息を取ることにした。

小屋の外にはおばさまたちが井戸端会議をしており、さっきのおじさん同様に色々訊ねられた。
しかし不思議なことにミナばかり話しかけられる。というのも、こういう時、カナウはミナの後ろに隠れてしまうからだ。

水筒の中身を補給してもらい、甘い飴を貰って二人はまた出発する。

山はどうやら峠を越えたみたいだった。
さっきのが峠の茶屋だったことに、ミナは今更気づいた。
カナウは少しバテ気味だが、さっきの飴を頬張って機嫌よく歩いている。

峠を越えたらと言って、下りばかりじゃなくさっきと同じような曲がりくねった道を歩く。
青々と茂る広葉樹、名もない沢、涼しげな虫の声。
吹き抜ける風が少し冷たい。

地上と違うことを実感した。

やがて視界に湖が見える。

一台の白いサンバーが横切ると同時に急ブレーキで停まった。

運転手はこちらを見ている。しかし次の瞬間、青ざめるようにして車を急発進させた。

よく意味がわからない……そうミナは思いながら歩き始める。そこでミナは気づく。

ーーカナウがいない!

ミナは振り返るが誰もおらず、急いで来た道を引き返そうと走り出す。

ミナには違和感があった。

ーーどうして一歩がこんなに大きいんだ?

それでも構わず、カナウを探す。

右や左、上や下を見てもカナウはいない。

ーーもしかしたら峠の茶屋に置いてきたのか?

そう考えると、ミナは自分が怖くなる。
揺れる白いワンピースの裾が邪魔だ。

破りたくもなったが、それどころじゃない。

ーーカナウは小さいから、側溝にでもハマってしまったのだろうか?

ミナは靴の底をすり減らしながら走る。

走る。

いない

いない

カナウ、どこにいるの!!

やがて峠の茶屋が見えてきたところで、ミナは一旦息を整える。膝に手をつき、肩を揺らしながら。
下着の擦れていたところが痒くて仕方がない。
夢中で走っている最中にズレた下着を整えて、リュックサックの中に入っていた汗拭きシートで汗を拭う。
メントールの効果もありスーッとひんやりした風を感じた。

ようやく息が整い歩き始めようとした時、ミナは自分への違和感を思い出す。

カーブミラーに自分の姿が映し出される。

「誰?」

後ろを振り返るが誰もいない。

再びカーブミラーを見ても、そこに映る麗しい深窓の令嬢と言わんばかりの成人女性が映し出されている。
ようやくミナはそれが自分であることに気づく。

正直、自分でも見惚れてしまうほどである。
少しポーズを取ってみたり、胸の膨らみを確認したりと、心はというか元は少女であるミナはまるで違う自分になったような感覚だった。

そして思い出したかのように、茶屋を目指す。

近づくにつれて違和感を覚える。
こんな道だったろうか? 歩みの幅はそりゃ幼い体より大きいが、まず道がこのようなものだったのか、疑問が残る。
一本の真っ直ぐな道。振り返ると湖は意外に近くに見える。
振り返る先には勿論、誰もいない。辺りを見渡してもカナウはおろか、人の気配がない。

茶屋に着き、恐る恐る中を覗くと、中はもぬけの空だった。
井戸端会議をしていたおばさまたち、水筒に汲んだ水が出ていた蛇口どころか、流し台ごと無い。

廃墟と化した茶屋を後にして不安になったミナはリュックサックの中身を確認する。

というか、ミナにはそのリュックサックに覚えがなかった。
そして大きくなった身体は使いにくかった。
縁石に腰掛けるのにも、かなり屈む必要がある。
リュックサックの中身、見覚えのないハンカチに水筒、見覚えのない汗拭きシートに謎の黒い四角の板(触ったら光った)。

ミナは記憶を整理する。
私はカナウと一緒に山の向こうの湖まで行こう。その体験談を夏休みの自由研究にしよう。
そう言って日も昇らぬ暁の時刻に家を出た。
見覚えのある町並みに飽きたところで、知らない町外れ、山の麓、声を掛けてきたおじさん……。
登った山道、涼しい空気……。

ミナは、背筋に凍りつくような風を受けた。まるで、誰かが呼んでいるように思えた。
風上を見ても勿論誰もいない。
そよぐ風が孤独さを助長する。
誰もいない茶屋というか廃墟でミナは鳥肌を立てながら黒い四角の物体を触る。

「どうしてだろう……知らないもののはずなのに使い方がわかる」

謎の感覚、それはまるで前から使っていたような感覚でミナは操作を続けた。

「2035年?」

ミナが驚きを隠せないのは無理もない。ミナが過ごしていたあの時の夏は2015年だ。

「二十年も経ってるの?」

自分の発言に疑問を持つ。二十年経ってしまっているという感覚。
それはきっと、その二十年の記憶が欠落している証拠なのかもしれない。

「一体……なにが」

黒い四角には文字が浮かんでる。記憶はないが、知識はあるようだ。
読むことはできる。

「なに……これ……」


【続く】

※九月五日加筆修正済み

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