だから、私は空を目指した。【終】
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遠のく意識、光の道の中、私が辿り着いた先は天国でも地獄でもない、山の中だった。
遠くに見える少年と少女。
少年は年相応で、子供らしい雰囲気。
少女は年不相応で、大人びた雰囲気。
未奈は、茶屋に立ち寄る。
軒先の長椅子に腰掛け、お茶と団子を注文する。
粒餡たっぷりの餡団子を頬張る。
甘ったるさを少し苦めのお茶で流す。
夏の日差しと、山の標高のお蔭で少し涼しい風が吹くと、未奈の白いワンピースの裾を風が揺らす。
「うわー、キレーなおねーさん!」
その屈託ない笑顔、ああ、かつてのカナウだ。
「ちょっとカナウ……」
後ろからカナウを追いかけてくる少女。
そう、彼女はミナだ。
「あっ……」
ミナと目が合うと、未奈の体はふわっと浮くような感覚に襲われた。
「……そういうことだったのね」
未奈はそう言うと、ミナに脇の道から神社に行けると案内する。
「あと、少年。ちゃんと彼女を守ってあげるのよ」
「ぼく、しょうねんじゃなくてカナウって言うんだよ」
「そう。じゃあカナウ、お姉さんと約束ね」
未奈はカナウと指切りをする。
「ほら、これで中で冷たい飲み物でも買ってきなさい」
未奈はカナウに小銭を渡す。カナウは大喜びでコーラを買いに行った。
そして、ミナを隣に座るように呼び掛けると、ミナはそれに応じ、隣に腰掛けた。
「お姉さん、一体何者なんですか?」
「私は、あなた。未来から来たあなた」
「私……?」
話を飲み込めていないようだが、それでもミナは真剣な顔で話を聞く姿勢を見せた。
「あなたに足りないものを返しに来た……と言えばいいかしら」
「足りないもの?」
「あなたに欠けているもの。それを私は知っている。それを返しに来た。言ったでしょ? 私はあなた。だから誰よりも、あなたよりも私を知っている」
「少し、意味がわからないんですけど」
未奈は、全てはあの神社に行けばわかる、とミナに言う。
「神社って……」
「行けばわかる。私もそこで待ってるから、カナウ君とちゃんと一緒に来るのよ。それからでも湖に向かうのは遅くないでしょう?」
「そうだけど……」
未奈はそう言うと立ち上がり、その場を去った。
「あっ、ちょっと……」
するとカナウが大満足の笑顔で茶屋から出てきた。
「あれ、おねーさんは?」
「行っちゃった……とにかく、神社に来いって」
「そうだね。面白そうだし行ってみよーよ」
カナウはそう言うと、早く行こうと言わんばかりに足踏みをする。
ミナは仕方なく、脇道の方へ歩き始める。
殆ど人が来ないのか、ほぼ獣道のような道を歩く。
カナウはミナの右手をしっかりと握ったまま歩く。
「ねえ、手をつなぐと逆に歩きにくいんだけど」
「だっておねーさんが、ミナを守れって」
美人に弱いのは相変わらずか……相変わらず?
ミナは少し、自分の思考に違和感を持った。
しばらく歩くと、ボロボロの廃神社に辿り着いた。
「よう来たの、ミナよ」
「だ、誰?」
ミナは目の前にいるカナウによく似た青年に対し、妙な威圧感を感じた。
カナウの方を見ると、カナウは時が止まったのように静止していた。
「彼は神様よ。ミナ」
未奈はミナに言う。
「そうじゃ……そして、お主から借りたものを返す」
「私から? いつそんな」
「未来よ。私が生きてた未来で、あなたから大事なものを借りたのよ」
「そうじゃ、お主の魂。それを借りた。じゃから返すのじゃ」
困惑するミナに、未奈は近づく。少しミナは警戒するが、そのまま、未奈はミナを抱擁する。
「だから……返すね。今度はちゃんと慌てて転んだりしないようにね」
「こ……ろ……ぶ?」
光に包まれる二人。まるで融合するかのように溶けて混じり合う。
「ふむ……面白いことも起こるもんじゃな」
光が静まると、そこには未奈の姿がある。
「え……?」
ミナであり未奈である。元から一つだったもの、そしてその未来の姿と現在の姿が混じり合い、魂も一つに戻り未奈になった。
「ありゃ?」
「あれ、ミナ急に背伸びた?」
カナウはミナを見てそう言った。
「神様の悪戯……にしては悪質だな」
凡そ十七歳くらいの姿、どうしてこうなったか理解に苦しむが、受け入れるしかないのか……。
「お父さんとお母さんになんて説明すれば……」
「さあ……でもなんかさっきのきれーなおねーさんと似てるから、僕は嬉しいよ」
「そりゃ……」
同一人物だから、と言いかけてやめた。
その後の話で言えば、湖に辿り着いて、疲れ果てた後木陰で居眠りをすると、体は戻っていた。
だけど、少し大人びた雰囲気がより大人びてしまい、甘い物を食べたり、脂っこいものを食べると胸焼けと胃もたれを起こすようになった。
あの夏の不思議な体験、あの夏の思い出は一生物だろう。
空が高くなるに連れて、空高くを目指したくなる。
夏の雲が高く昇る様に、その綿の天辺に乗ってみたい。
そして、三年後、妹が生まれた。名前は結奈。未奈と似せた名前である。
それは、未奈にとっては知っている話。
十七歳の夏、久しぶりにあの山へ向かう。
峠の茶屋の脇道。廃神社への道を行く。
「久しぶりじゃの……」
神様は相変わらず元気だ。
「お久しぶりです。これよかったら」
「……わしは猿ではないんじゃぞ」
黄色い房を手に取り呆れたように言う。
「じゃあ、返してください」
「駄目じゃ……」
バナナを頬張る神様は少し滑稽だった。
「神様はあの時のこと、後悔していますか?」
「神に後悔などないわ……まあただ、下手な施しはもうやめじゃ。なかった未来のことになったからとはいえ、お主も本来ならその不可逆性の中に居たはずが、ややこしいことになってしまっとる。お主も気付いておるのじゃろ?」
「ええ、私、半分神の領域に足を突っ込んでしまってる。いや、突っ込んでしまった。そこからはそれこそ不可逆。戻ることはできない」
「中途半端な存在になってしまったからこそ……その責任はわしにある。じゃから……」
神様が照れた顔をするのを見た人間はおそらく私くらいだろうと、未奈はそう思う。
それは遠い未来。いや、近い未来かもしれない。
その時、未奈はまた空を目指す。
今度は大人になるためじゃなく、神に嫁ぐため。
その頃までただの人間として生きていく。
が、それはとうに破綻しており、人並み外れた洞察力と体力がそれを物語っていた。
走れば世界レコード、勉学では人類始まって以来の秀才。
そう、未奈は世界に退屈していた。
思ったより、未奈が空を目指すのは早いのかもしれない。
水草が例年より多く、湖はどちらかといえば、緑色だったが、それを見た未奈は後ろを振り返ると、奏雨がそこに居た。
「未奈……なんで湖に?」
「なんでだろう。なんとなく?」
「おばさんが、山に行くって言ってたて言うからさ、なんかあの日のこと思い出しちゃって」
「もう子供じゃないんだし……」
それが何時になるか、明日かもしれないし、今日かもしれない。
いつか、人間界に別れを告げる時が来るのを未奈はのんびり待つことにした。
夏の残り香が鼻先を掠めると、そこには秋の気配があった。
あれもそんな夏の終りが始まった頃だったと思いを馳せながら、奏雨と帰路へついた。
見上げた空に、その先にある未奈が知らないところへ行けたなら、きっとすごい景色が見えるんだろうなと、胸を躍らせながら……。
【終】
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