投げ捨てる
50歳までは地位や名誉を求めても良い
むしろ 30代40代前半までは果敢に地位・名誉を求める
そして50歳になったら
投げすてるように地位や名誉や肩書きを捨てる
・・・
そうしてポンポンといろんなモノがなくなればなくなる程に
大橋眞先生とお知り合いになったり
武田邦彦先生とお知り合いになったり
内海先生と仲が悪くなったり良いことばかりが起こる (「数値化できる人との比較を完全に放棄!【友情、愛情、親切心、感謝】数値化できないものを得るために努力する!」より)
私も40代前半までは、地位や名誉や肩書きは無理でも、せめてフルタイムの仕事をしていたかった。そのためにずっとがんばってきたのに、あっさりと剥奪された。この動画を見て、”できる人”は色々持っていて、それを自分の意志で投げ捨てるんだと思った。私はできが悪くて、そもそも大したものも持っていなかった。そのささやかなものさえも、自分の力で捨てられないだろうからと外的力で取り上げられたのかもしれない。
剥奪されたから、資格を取って、その勢いで近所の大学に社会人入学をした。全く教師になる気がなかったのに、教員免許を取っておくほうがいいと言われ、しぶしぶ取って、実習に行った学校でそのままお世話になった。
結果オーライだよね。あのまま、パートをしながら、簿記1級取って、税理士だか何だかを目指したより、よっぽど面白かったと思う。
そして、そのささやかな仕事もこの茶番の前に辞めた。潮時だと思ったから。自分の意志で投げ捨てたと言えば、そうかな。
この茶番を通して、色々なことが分かった。となると、今までなんだかんだと学んできたことにも不信を持つようになった。心理学、発達障害、フェミニズムは茶番前に既に捨てていたけれど、今は、歴史、芸術、思想も疑い始めている。このあたりは、私にとっての根幹で、「地位や名誉や肩書き」に当たるものかもしれない。
内海先生が「グーミン」と言い、SATORISM TVでははっきりと「愚民」と言うらしい。この動画で言われていることは、私にとっては特にびっくりするような新しい見方でもない。観察すりゃ分かるでしょ?だし、そう言われたら気づくでしょ?って思うのだけれど、やれ、これを言っている人が怪しいだとか、ネット情報なんて信用できないとか。私より賢い人がどうしてだまされたままなのだろうと、ずっと不思議に思っていた。
今は、民衆とはそういうものだと理解している。昔は識字率が低かったからだと考えられていたが、それは関係がないことは現状を見れば明らかだ。賢いかおバカかではなく、民衆の本質から外れているか外れていないかということだと思う。
だから、啓発はあまり効果がなくて、為政者がやっているように、幻想で人々を動かすしかないと思っている。幻想を生み出すのは、権力やお金があるほうが有利だから、マイノリティには難しいと思う。十字軍のころと全く変わらないね。
https://atsukuteyurui.com/ideaより
そうなると、私が今まで学んだり調べたこともまた、結局、洞窟で見せられている幻を対象にしていたのではないか?と思い始めたのだ。
これと同じ。切り取られているところだけを見ていたのではないかと。
そう思うと、時間をかけ、お金をかけてきたことも「ひゃっほ~!」と投げ捨てようかと思う。
そうしてポンポンといろんなモノがなくなればなくなる程に
大橋眞先生とお知り合いになったり
武田邦彦先生とお知り合いになったり
内海先生と仲が悪くなったり良いことばかりが起こる
で、良いことは起こったか?
特に”人間”との新しい出会いはない。でも、小さな変化はあるし、日々ご機嫌でいられる。今は変革前の充電期間のような気がしている。私自身がご機嫌でいられるには、どうすればよいのかは、だいたい分かるのだけれど、利他は正直よく分からない。
幻想に取り憑かれた人にとっての”利”とは何か、私にできることはあるのか、だとかね。今はそれを学んでいるような気がしている。
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