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戦い方

今回の茶番に限らず、デモには参加したことはない。薬害の情報を集めていたら、デモ開催の情報は時々流れてきたし、誘われたこともあった。

参加しない理由の一つには身内に公務員がいたりするから、迷惑がかかったら申し訳ないということがある。でも、それよりも、なんか違うと思うからだ。

リアル界で、お仲間を見つけようと思えば、そういう”イベント”に参加するのが一番。講演会の二次会で、FBやラインなどの交換をしたところで、とくに交友が進むこともない。デモならば、声を出し、歩く時間を共有するから、親密度は全く違うだろう。そこまでして、お仲間が欲しいかと言えば、欲しくない。

やっぱり、集団になると急進的になりやすい。そこに飲み込まれてしまえばそれはそれで楽しい(?)のだろうけれど。集団の空気を読み、それに沿った行動をすることが苦手だし、当初の意見は似ていても、必ずズレが生じる。それを飲み込んでまで集団に留まるよりも一人でいることを選ぶ。私にすれば、集団に留まりたいがために、顔面オムツをしたり、液体を打つのと同じだから。


また、デモに参加することで、「社会をよくするために貢献をした」という自己満足に浸るのがイヤだというのもある。家庭科の免許を取ったときの先生(フェミニスト)が、デモに参加したと胸を張っていたから、ますます参加したくなくなった。共産主義者と同じことはしたくない


デモに参加する人は、色々な思いがあるだろうけれど、恐怖怒りがあるからだという人もいるようだ。

デモに集まっている人の全てが、”恐怖””怒り”にかられているわけではないと思うが、正直、他人様の”恐怖”や”怒り”はできるだけ拾いたくない。それは、○ロナ脳の人の”恐怖””怒り”につきあいたくないのと同じ。

デモは、欧米の人の戦い方で、日本人の戦い方とは違うような気もしている。




色々、この茶番に関する海外の情報を集めるという形で戦っている人もいる。すごく助かっている。何人かの人の記事を拝読して、今はこういう情勢なんだなって分かるから。だけど、自分で集めに行くことはもうしないと思う。100年単位で仕込まれてきたことが分かったから、もういいかなって思っている。



と言ってあきらめたのではない。


あちらさんが推し進めてきたことと反対のことをする。
これが私がしようとすることだ。

例えば、家族を解体させ、女性を奴隷状態に引きずり出し、厄介者になった高齢者は施設に放り込むことを推進する。

それと逆のことをする。


そこには”恐怖”も”怒り”もない。

「あんたらには従わない!」それだけだ。


私のその行動を見た他人はどう思うかなどは、正直なところ、どうでもいい。何も感じないかもしれないし、浅いところしか見ない人もいるだろう。それが大方の見方だと思う。お天道様に恥じないことをするほうが、私には大事なことだから。


人それぞれの戦い方があるけれど、私はそんな風に戦うつもりだ。

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