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患者側が求めたから

姑の付き添いで、大きな病院の整形外科を受診しました。何年か前に膝の手術をしたので、その検診です。姑は心臓も悪いので、マスクをすると辛いのですが、病院内ではがんばってつけていました。診察室に入って、姑が肩で息をしているのを見て、整形外科のその先生が、マスクの弊害について蕩々と話し始めました。私がふだんから言っているのと同じような内容です。そして、マスコミ、政府、医療は大犯罪を行っている、それが明るみに出るときが来ると。そこだけは意見が違いましたけれど。誰が裁いてくれるのですかって。私たち庶民が一人でも多く気づいて、不服従なり、行動を起こさない限り、シナリオ通りに進められていきます。法も仕組みも簡単に変えられてしまうのだから、裁く人も組織もなくなるということです。

液体注入もせず、休日は山に行っているとか、畑をしているとか、それで元気だともおっしゃっていました。全くの他人で、私と同じような意見を持つ人と、リアル界で偶然に出会った!という感動など全くなくて、私のような素人が理解しているような話を、「ボクは知っているんだけどね!」とドヤ顔で”医師”が言っているのかと思うと、なんだかガックリきました。

私が知らないだけで、何かしらの行動を起こしておられるのかもしれませんが、「医者なら、何かすれば?」と思いました。


さて、マスクや茶番の話が終わり、姑が、手術をした膝の関節ではなく、その上の太ももの筋が痛くて痛くて、歩けないと訴えました。手術をするのがいやなら、薬を飲むかな、という話になり、「”欲しいなら”、処方箋は書きますよ」と。

高齢になると痛み止めも効きにくくなるそうで、薬を増やしたくないなら、麻薬を飲むか、ということになりました。麻薬、つまりモルヒネです。

医者は、薬物の売人、アヘンの売人と同じなんだなと思いました。原因を追及することなく、悪化(=中毒?)させておいて、欲しいなら薬をくれてやる。この構図は精神医療だけじゃないということです。お金の出所が個人ではないから、気楽なのでしょう。

で、最終的には麻薬の処方に至るってね・・・

医者は、色々と勧めて(セールスして)も、最終的には「患者側が求めたから、処方箋を書き、手術をした」という立ち位置だということです。「念のため」とか、「処方薬は安いから」とか、医者という賢い(=偏差値が高い)人が言うのだから間違いない、と丸投げしてきた、患者側が導き出した結果でしょ?ということです。

今回の液体注入も同じことです。医者は「患者側が求めたから打ったまで」ということです。

こういう”専門家”の態度は不愉快極まりないです。でも、私は専門家ではありませんが、同じようなものです。というか、そうなりました。以前は、気づいたら言うようにしていましたが、聞き入れられることはまずなく、関係性が壊れるだけで、何も得るものがなく、むしろ損失になりました。

姑にしたって、昔から「美味しいものが食べられなければ死んだほうがマシ」と言って、甘い物をバカスカ食べてきました。かなり減ったとは言え、今も食べています。せめて、今からでも止めるなら、私もできるだけのフォローはしようと思います。でも、私の身体にも影響があるようですから、それなりの努力をしてもらわないとワリに合いません。どうするかは姑の決めることで、それなりの結果が出ると言うことです。

液体もそうです。本気で心配して私が言ったところで「それはあなたの勝手な意見でしょ?」「反ワク派は!」と言われるのですから、「勝手にどうぞ」と言うしかありません。

何もなくてドヤ顔されるなら、ああ良かったと思うのですが、私が思ったとおりの悪い結果になると、とても悲しいです。私が手痛い失敗をしたのに、それを生かすことができなかったと。

茶番前から内海先生が「グーミン」という言葉を使っていました。最近は堂々と「愚民」を使う人もけっこういます。私は「グーミン」も「愚民」も使いませんが、一つ言えるのは、「愚か」であることは「悲しい」ことだということです。

この「愚かさ」をなんとかするのは私の管轄外です。モルヒネを処方されるはめになった姑もそうですし、3回の液体注入をして帯状疱疹が全身にできたという友人の知り合いもそうですし、日に何度も聞く救急車のサイレンもそうです。ただただ、「悲しい」です。

私にできることは、私一人での「不服従」くらいのものです。他人様については何もできません。



マハトマ・ガンディー

悲しい国となってしまった日本にとっての一番の教科書は、ガンディーさんの著作だと思います。今の日本政府は、ガンディーさんのころのインドにおける”イギリス”と同じ。今の日本政府にしろ、ガンディーさんのころの”イギリス”の背後にいるのは、同じだと思うけれど。

本が手元になくて、文面をよく覚えていないのですが、カンパニー(イギリス)が悪いのではなく、インドの人が求めたから、イギリスの安い綿製品が浸透し、植民地になったという話があったと思います。ご存じのとおり、インドでは綿花があって、綿製品も作られていました。でも、インドの人々がイギリス製品を好んだから、インドの綿製品は大打撃をうけました。日本では、薬などの医療や食などがそうでしょう。


スワラージ・スワデーシー

インド独立闘争の中で,掲げられたスローガン。ヒンディー語のスワラージswarajは狭義には自治,広義には独立を意味する。スワデーシーswadeshiは母国を意味し,母国で生産されたもの,転じて自国品愛用の意味を含んだ。国民会議派はベンガル分割反対運動中の1906年にスワラージを政治的目標とし,英国商品のボイコットを含むスワデーシー運動がそれに結合した。スワラージ運動は1929年国民会議派によってプルーナ・スワラージ(完全独立)運動として発展し,スワデーシー運動はインド人の民族的誇りを高め,綿業を中心とする民族資本家の発展を促した。

https://kotobank.jp/word/%E3%82%B9%E3%83%AF%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%AF%E3%83%87%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%BC-845839

私個人は、日本語の通じる世界を残したいと思います。そのためには、何をするのかと考えたとき、できるところから、「スワラージ・スワデーシー」だと思いました。


求めるものは、外国資本によるものではなく、自国のものを!


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