見出し画像

故郷

「故郷」は、近代国家になってからできた概念だということを、どこかで読んだ。生まれてから死ぬまで同じ場所にいれば、「故郷」ということばは必要がない。徴兵などが理由で、生まれ育った場所を離れるから、「故郷」ということばが必要になる。

もしかしたら、「うさぎおいしかのやま~」のあの歌のことだったかもしれない。

三番では、なぜ故郷から離れているのか、という理由が表現されています。
当時の若者たちは、立身出世を夢見て故郷を離れ、都会に向かいました。都会で成功し、故郷へ帰る、というのが夢でした。
志を果たし、いつか帰りたい(何も果たせず、帰れないかもしれない不安も抱えて)、という思いが込められているのでしょう。
(「『ふるさと』の歌詞「うさぎおいしかのやま」の意味」より)


私の実家の先祖たちは、それぞれ、中部地方、関西、北海道など、転々とした。私自身も北海道で生まれ、関西で育ち、九州の夫の実家に行くことになっている。子どもたちも全国に散っている。もともと、定住しない家系なのかもしれない。そのせいなのか、「ふるさと」という曲はどうも居心地が悪い。

そんなに思い出すなら、ふるさとを出なきゃいいじゃない?立身出世は、大好きなふるさと離れてまで実現させる価値があるようなものなのか、とひねくれたことを思う。私にはふるさとと思えるものがないのに、スバラシイものとして押しつけられるように感じるからだろう。立身出世は、今風に言えば、いい学校、いい会社、出世。

母子家庭で育った父と、田舎の高卒で元優等生の母が、いろいろと悔しい思いをしてきたことは知っている。競走馬として私を育ててきたが、残念ながら私は思い通りにならなかった。子どもは誰でも親からの無償の愛を”妄想”する。私が親の競走馬にすぎなかったことが分かったときは、ショックだった。しかしこの気持ちは親たちには理解できないらしい。自分たちはこんなに辛い思いをしてきたのだからという気持ちが全てなのだろう。けんかばかりしていたのに、この点で二人の意見は一致していた。

私が結婚したら、夫のほうが優秀な競走馬だと思ったのだろう。夫に鞍替えした。全ては「立身出世志向」ゆえだ。心底嫌いな考え方であるにもかかわらず、私も骨の髄まで「立身出世志向」が染みついていて、それが子どもに向ってしまった。気づいていてもどうすることもできなかった。ようやくとれたころには、子どもたちは巣立っていた。

実家のこの「立身出世思考」は、人生の大半を蝕んだ悪しきものだけれど、その一方でいいと思うこともあった。ささやかなことだけれど、子どもにテレビを見せないとか、甘いものを子どもに与えないとか、子どもにお手伝いさせるとか。しかし、夫や夫の実家はそうではなかった。夫に鞍替えしたら、手のひらを返すように、私が子どものときに言われていたことと真逆のことを言う。

たぶん、自分たちの持っている伝統とまでは言わなくても、築いてきたものに自信がなかったのだろう。夫や夫の実家が、おらが家、おらが町に揺るぎない自信を持ち、文化の違う私のことを頭がおかしいと言ってきたとき、助け船を出すこともなく、夫側についた。このことは誰に話しても理解されなかった。「親孝行は大事よ~」って言われるだけで。だから、毎度顔がゆがませながら、耐えた。それが大人だと思った。結局、耐えきれなくて破綻したけれど。

今の私には「立身出世志向」はないし、よいと思っていた実家からの価値観も全て捨てた。だから、実家は私にとっての「故郷」ではない。実家が故郷でなくなったら、生まれ育った町も故郷ではなくなったし、母校も故郷だという感覚がない。

ワンワールドに急速に向っている今、それに反対するのは「保守」と言われる人たちだ。こんなわけで、いろいろな意味で「故郷」が稀薄な私は、どうも保守になりきれない。ワンワールドは絶対にイヤだけれど、天皇、神社、日本の伝統などへの盲目的な礼賛には抵抗がある。日本も素晴しいが、他の文化も素晴しいというのが、一番しっくりくる。日本語が通じる世界を守りたいし、共産系のあの思想団体も大嫌いだけれど。


先日、久しぶりに実家に行った。高齢の両親を、近所に住む兄弟が見てくれている。父が言う、「○○(兄弟のこと)が(自分たちを)見てくれるから、(私には)夫の実家を見てほしい」と。夫にも兄弟がいて、皆奥さんがいるのだけどね。若いときの私なら、ショックだったと思う。父が会社勤めをしていたときに、男女雇用均等法ができた。女性も仕事で活躍するのが大事で、それを応援しているって自慢していたのに。”よい競走馬”と結婚したとたん、娘には嫁として姑に仕えろってねぇ・・・。私は、実家の親にとって正真正銘の「立身出世志向」のための駒なんだって。

しかし、実家という故郷を捨てている私には、何の感情もない。「うん、そのつもりだよ」と答えた。父はとても満足していた。たぶん、これが実家の親に対する最高の親孝行なのだろう。

70年間の捕囚から解放されたのに、故郷の伝統を忘れてしまった人々に対し、「あなたたちは先祖のようであってはならない」と言われる。(ゼカリヤ書 1章)

先祖の価値観がおかしいのなら従うなというこの話は、とても気持ちが楽になる。そして、故郷も必要だ。故郷は私が存在している理由のようなものだと思う。ご先祖さまたちに愛されてきた結果、私が今ここにいるという感覚。私はそれを、実家の両親を飛び越えた、ずっとずっと昔に求めることにした。それで実家の親も満足するなら、この上ない良いことなのだろう。なんだかだまし討ちのようだけれど、親に説明したって分からないだろうから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?