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ヘンな人


医療崩壊した夕張市の診療所の医師がTEDでスピーチをしているのを見たことがある。

ネットで探してみると、2014年だ。7年前と言えば、子どもの体調不良が子宮頸がん枠の影響だと気づいて、見よう見まねの食事療法をしていたころだ。

最初はあの医者がヤブだったと思い、そのうち、業界がおかしい、いや救急医療を別にすれば、医療という制度がおかしい、いや無いほうが人々は健康で幸せなんじゃないか?と思い始めたころ。

改めて動画を見てみると、この動画を見て、医療経済学(だっけ?)を研究している人のサイトを見るようになったり、医療社会学?を研究している大学を調べたことを思い出した。家から離れているし、学費も高いから、それであきらめたけれど。

今年になって、ブログを再開するようになって、あの夕張の医師、森田医師の投稿が回ってきた。面白いよね、弱小でありながら発信する側になると、面白い話題が舞い込んでくる。


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森田先生も「ヘンな人だったんだ」(笑)。中村先生も哲学科を卒業してから医師になったっておっしゃっていたものね。だから文章がうまいんだ。


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小学校のころ、たいして成績が良かったわけでもないけれど、”優等生”と見られることが多かった。長女だしね。「まじめ」ということだろう。おバカを払拭したいというのは、ずっとあったわけだけれど、「まじめ」な優等生タイプもイヤだった。そういう人ってつまらないと思っていたから。と言いながら、道を外れる(?)勇気もなくて、「ちっちゃぇな」というのが、中学、高校のときの悩みだった。大学になって、多少はじけたところがあるけれど。

おかげさまで、今や1%の「ヘンな人」側にいることを確信している。

ヘンな人も大変だ。人間関係は壊れまくる。「1%のヘンな人」の自覚があるだけに、このご時世、知人にも声をかけにくい。絶対に枠の話になって、聞きたくない話を「だよね~」と、心にもないあいづちをしなくちゃいけない。お金もうけするとかの目的がないなら、正直、時間のムダ。

と言って、ヘンな人であることを嘆きはしても、フツーの人にはなれない。できることがあるとすれば、沈黙するだけ。家族も分断しちゃったしね。


でも、面白いことがある。一つは、意外なところで、意外なものどうしがつながること。教員免許を8枚持っている(ほとんどペーパーだけれど)ことが、私の思考?の一端を示していると思う。そう、あちこちで食い散らかしてきた。それが異分野で繋がる。例えば、文系のこの話が高校生物の図録にあったあの仕組みと同じやん!と思ったりする。そういう回線を持っているのは私だけだろうから、誰とも共有できない。そんなとき、脳内のシナプスがまた繋がったと思うと、一人でにんまりする。気持ち悪いといったらありゃしない!これは、年齢を重ねるにつれて感度やその回数が増してきた。

もう一つは、労力や時間をかけてきたことに執着がないから、思考の断捨離にためらいがない。専門家はお金システム(資本主義)の上に成り立っていることが分かったから、頑張って守るべきものでもないと思っている。というか、そもそも肩書きがない。守るべきプライドがないから、捨てることに執着がない。

心理学は20代のころからはまっていた。何十冊と本があったけれど、今は社会心理学の薄っぺらい新書が1冊あるだけ。発達障害関係も30冊はあったと思う。これは1冊も残していない。この騒ぎ以前からフェミニズムが矛盾だらけで人々を不孝にする有害思想だと思い始めていたが、最近になってフェミニズムだけではなくリベラルも捨てた。全部ではないけれど芸術関係も捨てたかな。


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主婦ってジェネラリストなのよね。バカにされるけれど。

今回の騒ぎで、あの検査の仕組み(高校生物の教科書にも書いてある)や、RNAやDNAの話や、「陽性判定の意味」といった数字のトリックのようなものを観察した。これは理系的な話だろう。


それから、この騒ぎ以前に、枠は怪しいというのを知っていた。枠のおかげで感染症が減ったことになっているが、実は上下水道の普及や栄養状態がよくなったことが大きいという話も知っていたし、テレビで映し出されている画像やニュースは、仮にウソが無かったとしても都合のよいように切り取られていることも知っていた。それから、製薬会社のマッチポンプ的な儲けかたや2010年問題(医薬品の特許切れ)の話も知っていた。これは社会学的な話だろう。


歴史に似たようなことを見つけたり、外来語について研究というにはおこがましいが、テーマとしていた時期があったから、言葉の定義についても”うるさい”ほうだと思う。となれば、歴史であったり言語学だったりする。


で、バカ親ゆえ、子どもに枠を受けさせてきたこと、医療を受けたという経験と深い反省。


プライドがないから世間の常識から自由なほうだと思う。その上で、複数の視点から見てモノを言っているのだけれど、「インボー論」と認定される。


と思っていたら、私のこの体験と似たような話が聖書にあるじゃん・・・


人間関係は壊れまくっても、一生退屈しないのが、「ヘンな人」に与えられた「生きる道」かもしれない。

利他を目指しながら、誰からも必要とされてていない。だったら、どうするの?ありがたいことに、すること(仕事?)はたくさんあるから、退屈はしない。そうやってひょうひょうと生きていることが、枠を打ちたくない人や「ヘンな人」の励みになるかもしれない。目指すのは、そのあたりかな。


(タイトル画像:ネットより拝借)

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