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ヒーロー
私が子どものときのヒーローものは、ウルトラマンと仮面ライダー。仮面ライダーはあまり好きではなく、ウルトラマンのほうが好きだった。仮面ライダーは大きさが人間のままだったけれど、ウルトラマンは巨大化するということ、ウルトラの父、母、兄弟と、ファミリーであることが好きだった理由かもしれない。特撮の仕組みを知るのも面白かった。
先日、ウルトラマンはイエスを模していると聞いて驚いた。”光の国”からやってきて地球人を救うし、スペシウム光線は腕を十字にする。カラータイマーが3分間なのは、イエスが布教活動したのが3年半だったから。「帰ってきたウルトラマン」は復活したイエスだ、など。
円谷プロの創設者円谷英二さんは、熱心なキリスト教徒なんだそうだ。
そういえば、このシーン、覚えているわ~。ウルトラマンAは特に変身ごっこをするほどの愛好家だったから。この舞台が、”ゴルゴダ星”だって!
つまり、凡そヒーローというものは、あるコミュニティーの構成員が、自分が属するコミュニティーのために戦っているというわけです。当然、そのコミュニティーの平和は、ヒーロー自身の生活の平和にも繋がります。
ウルトラマンは、「光の国」の住人です。言ってしまえば、地球とは関係ないところに住んでいるのです。極端なことを言えば、地球がどうなろうが、「光の国」には関係ありません。仮の姿・人間の姿を借りて、地球人として振舞っているとしても、所詮、他人様の星です。地球がどうなろうが、正直、さっさと「光の国」に帰ってしまえば、そこで平和な暮らしができるはずです。(「ウルトラマンが超人である理由」より)
弟がいるせいか、プラレールやヒーローものなど男の子系の遊びが好きだったが、「敵のアジトを叩く」だとか、「敵から自分たちを守るため」みたいなヒーローはあまり好きではなかった。(今思えば、男性の本能ってそこかなと思う。)それよりも、利害関係のないところからやってきて、見返りを求めずに戦うヒーローのほうが、かっこいいと思っていたようだ。もちろん、そんなことを意識してはいなかっただろうけれど。
もし、潜在意識として、「正義って誰が決めるねん?」というのが子ども心にあったら、大したものだと思う。
こちらから見れば正義だけれど、あちらから見ればどうなの?
アメリカが大嫌いだった。自分たちから見て正義であれば、よその国を叩くから。よその国の悪口を言うのもどうかと思うし、○○人と言っても色々な人がいる。この勢力とずっと戦ってきたアメリカの人たちがいるから、「アメリカ」という国名で言うのは、ためらうのだけれど。
今のご時世であれば、液体を打つのが正義で、打たないのは悪。これから、どんどん煽って、それが常識になるのだろう。
打つのが正義って、誰が決めたんや!!
得をする人に決まっているやん!!
本物の「正義」は、「見返りを求めないこと」というのが条件の一つかもしれない。
この「見返り」も突き詰めれば、とても難しい。
今回のことであれば、「液体を打つことで身体を傷つけてほしくない」と思う。特に、我が子であれば。私にとっての「見返り」は、「子どもが健康でいてくれること」”だけ”だ。
でも、それは、「あなたの意見でしょ?」と言われるし、「自分の主張を通すこと=自分のアイデンティティを相手にかぶせる行為だ」とも言われる。たとえ病気になろうと、飛行機に乗りたいし、今の仕事も失いたくないという気持ちは尊重しなければいけない。母親の私にすれば、悲鳴でしかないのだけれど。これも”個人的な”感情と言えばそういうことになるのだろう。
だから、凡人の私には「正義」が何かが分からないから、振りかざしようもない。
ただ、勝手に「正義」を口にする腹黒い奴らとは戦わなければならないと思っている。
私は不服従という形でしか戦えないから、やっぱりウルトラマンが来てくれて、やっつけてくれたらいいなと思う。
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