好きなキャラクターを見ると楽しいはずなのに、どういうわけか気持ち悪くなることはありませんか?【pixivからの転載】

私の推しは主に、二次元の架空のキャラクターです。これにならい、本文では「推し」を二次元の架空のアニメ・ゲームキャラクターとします。

2018年にpixivに登録してから、最低3回は推しが交代していますが、どの推しもハマった当時はとても大好きでした(今の推しも、とても大好きです)。

しかし、推しを目にすると楽しいはずなのに時々なぜか気持ち悪くなることがよくありました。今でも、推しの姿を一目見たり頭に思い浮かべたりしただけで、「楽しい」と「気持ち悪い」を同時に感じることが毎回ではないものの、たまにあります。

推し自体が気持ち悪いわけではありません。むしろ可愛いのに、です。

この不思議な心理現象は小学生の頃から起きていて、Wiiを置く部屋に、好きなキャラクターのフィギュアがあるだけで、Wiiが遊べなくなった記憶があります。

本当はそのキャラクターを大好きで目にしたいはずなのに、いざ目にするとなぜか怖い。見た目が怖いわけじゃなく、表情も普通に可愛いのに。そもそも可愛いから本当は見たいのに。推しを見ると怖くなるせいでWii部屋にも近づけず、その部屋の中を見渡すにも勇気が必要でした。

時は流れ中学生になり、pixivを使っている現在でも、好きなキャラクターの目をうっかり目にしないようにFirefoxの「画像をブロック」機能を常時ONにしています(pixiv無料会員では、ミュートできるワード数が1つだけ)。しかしまれに、イラスト投稿のためにその機能をOFFにしたり(そうでないとエラーが起き、投稿失敗する)、スマホ内の写真アプリを見たりしていてうっかり推しを目にした時は、一瞬すごくビビります。

昔はこの現象が起こる理由がわからず、自分はおかしいのではないかと思いました。しかし今は、その理由がわかってきました。

推しを見ると怖い理由

1.推しが大好きすぎるが故、大好きすぎる推しを見ると、非日常的な状況と思いこんで興奮してしまうから
2.性欲や薬物のようなもので、見ると興奮してしまうために禁欲意識で避けている
3.推しを見ると落ち着かなくなり、周りが見えなくなったり空気が読めなくなったりするのが怖いから
4.推しは人間が人間のために作った創作物/商品/製品であり、それを人間が消費するのは愚かだと思っているから

推しを尊いと思う気持ちと、推しを消費するのは愚かだという罪悪感および推しが大好きすぎるあまりに暴走して他者に迷惑をかけてしまわないかという不安。二つの矛盾する感情が心の中で衝突していたのです。その結果、乗り物酔いのような状態になり、気持ち悪くなってしまっていたのです。

4.については「人間のために作った創作物なんだから、好きなように消費すりゃ良いじゃん!」と言われそうです。そう言われると、余計に「作られた物だからこそ、その物を作った人に敬意を払い、その物を大切に扱う必要がある」と意識してしまいます。

ピクシブにある創作物も、スーパーに並んでいる商品も、すべて人間が作った物。

普通に過ごしていた中でふと、「自分が過ごすこの部屋の中にも、人間が作った商品がたくさん置かれている」状況に気づいた時、推しを見た時と似たような謎の罪悪感を覚えました。「今、この部屋で自分が商品や製品に囲まれていることは、本当は当たり前などではない。偶然なのだ」

キャラクターなどの創作物も当たり前に存在するわけではありません。その作者が、自身の記憶や経験、身近なところで得たヒントをもとに、自身の持つ技術や能力を発揮することで、はじめて創作物が生み出されるのです。もし、アイデアが偶然降りてくるものなら、そこから生まれる創作物も偶然の産物なのです。

推しを消費することに対しての罪悪感や抵抗感は、推しに対して「私を元気にしてくれてありがとう」といった感謝の気持ちを抱いていることの裏返しだと思います。

逆に、「推しが存在することは当たり前で、何十年経ってもそれは変わらない」と無意識に思い込んだり、推しがコンテンツとして現実に姿を現したこと(奇跡)に何の疑問も抱かなければ、上述の罪悪感や抵抗感を覚えることもそれで気持ち悪くなることもなかったでしょう。

推しに感謝している限り、推しを見ると気持ち悪くなってしまう。この不思議な現象はずっと起こり続けると思います。

 ※それでももちろん、推しの絵を見るのは好きですし、私にその絵を送ってはいけないわけではありません。ただ、私はピクシブをはじめインターネットを使う際、「画像をブロック」機能を常時ONにしており、送られたらいつでもすぐ見られるとは限りません。

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