笑わない彼女(後編)
こんにちは。昨日ドラッグストアに寄ったら、いつも使っているシャンプーとコンディショナーが偶然安くなっているのを見て歓喜しました、みうです。
一瞬主婦が乗り移った気がしました。いや、そうでなくても、安く買えるというのは嬉しいものですね。
さて本日は後編です。
(あらすじ)
私は高校1年生の時、同じクラスのバスケ部の男子(バスケ君)と連絡を取り合っていた。当時私には別に好きな人がいたが、その人との恋が叶わぬことを知った。その後もバスケ君と連絡を重ねる中で私は次第にバスケ君に惹かれていく。
ところが自分の部活のことでひどく悩むようになった秋頃から私は、だんだんと自分の恋心を確かめる心の余裕がなくなっていった。
2月下旬、バスケ君は私に告白し、付き合うこととなった。
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それまでLINEで連絡を取り合うだけで、大して直接話したこともないのに惹かれあってしまった私たちは、その違和感からなのか、単純な照れ臭さからなのか、極度のシャイさからなのか、お互いの気持ちを口にするのが苦手でした。
まして私は人生で初めての彼氏(バスケ君の方は知りません)。
彼氏がいるってこういうことなんやなあ…と思ったことが多々ありました。
付き合い始めて、2人とも部活のある月曜日と火曜日と水曜日、学校の裏の道で待ち合わせするのが約束になっていました。
彼は自転車通学でしたから、彼は右手でハンドルを押しながら、その左手を私の右手と繋いで帰りました。
月曜日から水曜日まで、30分間の帰り道を歩いて、ぽつりぽつりと話をしながら帰りました。裏道を歩いていったので、冬は真っ暗な道でした。
聞いて簡単に想像できるような明るい2人ではありません。どちらかといえば2人とも優しく小さな声で話すような2人でした。
バスケ君は、男子といる時と私といる時とのトーン差がすごすぎて私は最初は驚きました。
でも、うまく言葉にできない寂しさのような気持ちから、私が繋いだ右手にぎゅっと力を込めると、立ち止まって「…どうしたの?」と顔を覗き込みながら優しく声をかけてくれる人でした。
あ、覗き込むっていっても身長差は5cmくらいなんですけれども(…なんかごめんな(積算5回目))。
そんなこんなでシャイな2人でした。
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私の最寄り駅まで歩いて、裏道で彼の自転車を止めて、2人で荷物を降ろして、十数分話をして帰るのが恒例でしたが、その恒例は春の兆しが見える頃には変わっていました。
制服越しの彼の温もり、彼のまっすぐな愛情は、当時部活で何もかもに迷走していた自分のただ一つの拠り所で。
「バスケ君、みうのことマジで好きだよ?愛されてるね」
「あんな一途な彼氏がいていいね」
周りからもそんな風に言われて、私は恵まれているんだなあ、と感じました。私には比べるものも何もなかったので、ただ純粋に彼の愛を受け取るだけでした。
私より幾分かバスケ君の方が素直な人で、いろんな言葉を口にしてくれましたが、私は「好きだよ」の一言を言うのも苦しくて。
「あなたと一緒にいると安心するの」の気持ちを伝えるのも言葉ではできなくて。
表情にするのすらままならなかった私は、バスケ君の笑わない彼女でした。
笑いたいという自分の気持ちに葛藤を抱いた、笑わない彼女でした。
そんな私の気持ちを知ってもバスケ君は毎日変わらず、部活で枯れた心に水をやるように隣にいてくれました。
バスケ君が隣にいてくれることはとても嬉しかった、そのことに今も変わりはありません。
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付き合って半年も経たぬ高校2年生の夏。
私は病魔に襲われ、部活の最前線から引くことを余儀なくされました。
箱入り娘でごめんなあ、と思いました。
確実な原因こそ分からないのですが、医師があまりにそういうものですから、ええ。
私は彼にそのことを言えないでいました。日頃の気持ちも口にできないような私が、こんな経緯です、だから夏休みの間は家で寝たきりです、だなんて、すぐには言えませんでした。
結局言いましたが。
夏休みの間はその病気の治療のために家で一日中寝転がっていました。
あまりに体が疲れて仕方がなかったし、部活なんてしたら脾破裂で死に至る可能性があるなんて言われたら、もう恐ろしくて恐ろしくて。笑
そして夏休みが明けた8月の末。私と彼のすれ違いが始まります。
夏休みの体調不良を彼もよく知っているはずだったのに、炎天下の公園で1時間を過ごします。
話の内容はなんだったか忘れてしまいましたが。
文明の利器だけでは伝えきれなかったであろう彼の愛も、
夏休み中会えなかったことで押さえつけられていたであろうその欲も、
約1ヶ月、すっかり隔離された私にとっては、あまりに重すぎました。
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部活もろくに参加できないし、普段の生活でさえ疲労からかなり堪える日もありました。
それでも彼を失うのが、嫌なのではなくて怖くて。
私はまた冬がやってくるまで、ずっと「別れよう」の一言を切り出せませんでした。
私はますます笑わない彼女になっていきました。
ただ、「笑いたいのに笑わない」のではなく、もはや「笑えないから笑わない」彼女でした。
それを察したのか、痺れを切らしたのか、バスケ君は別れることを提案しました。
「俺と一緒にいて楽しい?」
そりゃそう聞きたくなるよね。
自分でもモヤモヤした気持ちを抱えていて、はけ口もなくて、自分の人生の何もかもがうまくいかない気がして、私はつい言ってしまいます。
「ほっといてよ」
そうして私は別れを選びました。
その日帰ってからひどく後悔しました。
でも、そんな冷たい言葉を言った後にかけられる言葉はありませんでした。
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受験にまっしぐらの高校3年生。
彼とは隣のクラスでしたが、そもそも彼は理系コース、私は文系コースでしたから、関わりはほぼなく高校生活を終わろうとしていました。
そして卒業式の日。
学年一ピアノの上手い彼が舞台で引く伴奏で、体育館の一席で私は歌って、体育館を出ていきました。
相も変わらず美しい音でした。でも、涙も笑顔もありませんでした。
クラスや友達、部活の後輩や顧問と写真を撮って、いろんな人にアルバムの裏表紙にメッセージを書いてもらうために教室に残っていた時のことでした。
1年生の時から私とずっと同じクラスで、バスケ君とも仲の良かったある男子(私とバスケ君の事の顛末をおそらく全て知っている)が、廊下の方から私を手招きしました。
「写真。」
何も持たずに教室を出て周りを見渡すと、そこにはバスケ君がいました。
私は別れた時から、自分の気持ちを伝えられないままでいたことを少し後悔していましたし、最後くらい笑って写真に写ろうと思い、彼の隣で口角を上げ、ピースサインを作りました。
写真を撮ってもらった後、バスケ君と少し話をしようと思いましたが、彼はすぐに去って行ってしまいました。
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卒業式の日の夜、お風呂から上がると、写真を撮ってくれた男子から連絡が来ました。
バスケ君が写真を送りたがっているんだけど、連絡先を教えてもいいか、と(機種変更のために私はバスケ君の連絡先を持っていませんでした)。
作り笑いの写真なんて私には要らないと思っていましたが、そう言われてしまえばそうするしかなかった私はしぶしぶ許可しました。
髪を乾かしてソファで深く溜息をついて、高校時代の思い出にぼんやりと浸っていた深夜1時、バスケ君からの連絡が来ました。
私はしばらくその内容を開けずにいました。妙な緊張が走ります。
そしてやがて恐る恐る開いてみました。
そこには、卒業式の後に撮った写真と、彼からのメッセージがありました。
私はその写真を見て言葉を失いました。
バスケ君の隣には、笑わない彼女がいるだけでした。
笑えないのは分かっていたから笑おうとしたのに、
全然笑みの欠片もない私が写っていました。
それを見て様々な感情が渦巻きました。
そして気がつくと、ぼろぼろと涙が出てきて止まらなくなってしまいました。
最後まで私は彼の笑わない彼女のままだった。
だけど、ここでもしもう一度やり直す道を選んだとしても、
きっとまた彼を苦しめるだけだ。
私はそう思って、彼が持ちかけてくれた復縁も断りました。
高校1年生の冬、公園で初めて2人きりで話した時以来かもしれません、はっきりと自分の気持ちを言えたことは。
でも断るときに少しだけもめてしまって、なんだか半分喧嘩別れのようになってしまったような気がします。
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それ以来何も音沙汰はなく、時々LINEの画像が変わっているのを見たり、人づてにインスタグラムの写真を見せてもらったりという程度で、私とバスケ君の間には何もありません。
でも、ここまできちんと気持ちを整理できるようになった今、私には彼と会ったときにしたいことがあります。
彼の隣で笑って写真に写ること。
心の底からの笑顔で、自分の素直な気持ちを伝えること。
あの時はね、なんて言いながらお互いに話せる日が来たらいいな、と思います。
…
2ヶ月後、同窓会だなあ。
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最後までお読みいただき、ありがとうございました。