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分かりたい、と手を伸ばすまで

自律。
それは昨年1年間の目標であり、これからも立ち戻り続けるであろう原点だ。

自立を目指して自律を心がけていたけれど、思いがけず得た最大の利益は、結局のところ「人と一緒に何かをすること」、そして「人を想うこと」の尊さという、なんとも基本的なものだった。

自律を心がけていた期間は、なんだか生き生きしていた。

自分のしたいことに向かって何かしら考えて行動していれば、そのうちの7割は叶ったように思う。
些細なことから、まさか叶うと思っていなかったことまで。

面白いようになどとは決して言えない道のりだったが、やればやるほど没頭する私の性格も相まって、最後には楽しんでいる自分がいた。
そして会えないなりに、距離があるなりに、苦手なりに、人と言葉を交わして関わり合おうとしている自分がいた。

自律を心がけていたら、いつの間にか私の周りにはたくさんの人がいた。
ほんのちょっとの、ただ一個人の心の持ちように過ぎないと分かっている。ひょっとしたら一方的かもしれないともどこかで思っている。
それでもなおそう言えるだけの何かが私の中に根付いていた。

声を上げれば呼応してくれる彼らのおかげで、私は自律を原点に据えてこれからも生きていくことができそうだ。

それはつまり、人と触れ合い続けることであり、自分に願いを託し続けることであり、そしてそれを叶え続けることである。

そんな心の変化を通じていつもの通りに過去を振り返ってみれば、私はこれまで「人想い」ではなかったのだな、とも気がついた。
相手の立場に立って考えるというようなことは比較的自然にできていたが、それが「人想い」かどうかはまた別の話だ。

結局私は相手のことを分かることができたとしても、「分かりたい」という気持ちは薄かったのだ。
もちろん前者にだって気持ちは乗っているが、その本質は全然違う。

自分から誰かに手を伸ばすことをしていなかった。
ただたくさんのことを観察してあれこれ推測しつつ、ひたすらに次のヒントが出されるのを黙って座って待っているような、そういう人だったのだと思う。よく言えば洞察力に優れており、悪く言えば受動的である。

それが、昨年の目標や人との関わり合いを通して、少し彼と話してみたいだとか、彼女のことをもっと知りたいだとか、そんな気持ちがちょっとずつ湧いてきた。

そして本気で関わり合いたい人に対しては、もっと真正面から向き合い、素直な心で馴染むように触れていくべきなのだ。
恥ずかしいなんて言って目を合わせないままでは勿体ない。


こんなことに気付くのには遅すぎたかもしれない。
でも、やればやるほど没頭するのが性ならば、そうでもないかもしれない。

どちらでもいい。進みたい方向は決まった。

迷ったら戻れる場所を大切に抱き続けていたらようやく自信になった、そんな気がした。