伝える勇気
後出しじゃんけんという言葉がある。
相手が手を出した後に自分が有利になるように手を出す、というものだ。
相手の反応を知ってから、都合のいいように手を打つことにやたらと手慣れている人がいる。
例えてみるならば、後出しじゃんけん常習犯である。
何か取り返しのつかない出来事が起きた時に、後から「あの時こうしておけばよかったって思ってたんだよね」。
「どうしてその時にそれをしてくれなかったのか。」
「実行にうつさないまでも、なぜそれを教えてくれなかったのか。」
人の気持ちというのは言葉にして初めて伝わるものだと思う。
言葉にしないで伝えられるもの、むしろ言葉にしないほうが伝わるものもあるとは思うが、基本的には言葉という手段を介して思いや考えを伝えがちだろう。
この記事では仕事などに関して書こうと思ったが、もうすっかりそういう気分は消え失せてしまったので、大切な人との関わりのことを書こうと思う。
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ある人のことが好きで好きでどうしようもない時期があった。
自分でも驚くくらいだった。
恥ずかしいと思いながら(今でも恥ずかしい)、理論ではどうにもならないその気持ちを抱えていた。
私はそれを言葉にするのも態度に表すのもどうにも苦手だった。
面と向かったら何も言えなくなってしまうのが分かっていた。
それでも勇気を出して、まずは連絡を取る。
とある駅のカフェの隅っこでコーヒーを飲みながら。
あらゆるアクシデントを避けたくて、わざわざメモ帳に文章を打って、それをコピーして、トーク画面のテキストボックスに貼り付けた。
「送信」を押す手が震えていた。
振り絞った勇気も虚しく、音沙汰はしばらくなかった。
待ちあぐねて、私は諦めて帰路に着いた。
後日連絡を取った時、珍しく素直にその日のことを伝えた。
片手で数えても指が余るほど稀有な出来事だった。
でも、どうしても、その日どれだけの想いでいたのかを伝えたかった。
「ああ、そんな気はしたんだよね」
と言われた。
駅で待っているような気がした、と言うのだ。
そう、待ってたんだよ。
だとしたら、それをもっと早く言ってほしかった、なんて思った。常習犯だなあ、と。
でも、そんな考えはすぐに自分に戻ってきた。
自分だって恥ずかしさから、「忙しい?」とかなんとか、そんなことくらいしか送れなかった。
その日帰ってからすぐにでも、その想いを伝えればよかったと少し悔やんだ。
自分も後出しじゃんけん常習犯だ。素直に自分の気持ちをすぐに出すのが苦手で、これまで極力避けてきた。
そして後から、「あの時はこうだったから」と偉そうに言うのだ。
言い訳がましい。
そんな言葉に尽きる。
相手の反応を全部知っている上での人とのコミュニケーションなんて面白くないと思うし、予想外の反応をするのが人間だ。
だとしたら、伝える勇気というものはきっと必要なのだと思う。
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そう思ったので、それからはなるべく「緊張するから」を理由にして物事をやめることを辞めた。とりわけ、人とのコミュニケーションに関しては。
そんな動機もあって最近色々連絡を送っているけれど、なかなか返信もこない。返信がこないというより、無視されている。
前まではこちらが少し連絡を返さないだけで、冗談ながらも色々と言われたのに、今や立場逆転である。
何かしらの策略であるなら、策略だったとバラされた後に思いっきり泣いて困らせようと思う。そんな風に考えてしまうくらい、今はなぜか心が落ち着かない。
1日1回、体を気遣っての連絡とはいえ、それすら迷惑になるならもうそろそろやめようかな。
でも、伝えないでする後悔より、伝えてする後悔の方がいい気がする。
伝えたいことは、できることならできるだけ素直に伝えたい。
それが届くことに期待はしない方がいいのかもしれないが。
何に通じても言えることなんだろうな、これは。