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緑響く、彼女は何を見ているか

夢は見るだろうか。
生まれて一度も見たことがないという人はさすがにいないと思うが、
よく見る人、あまり見ない人という個人差はあるかもしれない。
私はどちらかというとよく見る方だと思う。
夢は眠りが浅いときに見るものだ、と聞いたことがある。
私はほぼ毎朝二度寝をするので、その眠りの浅いタイミングで見ることが多い気がする。
目を覚ましたばかりのころはその内容をしっかり覚えていて、よく朝ごはんを食べながら彼にどんな夢だったかを話したりする。
でも、そのうち忘れてしまう。
どんな素敵な夢であれ悪い夢であれ、日々繰り返していると、自然と忘れてしまうものだ。

だけど、私は夢を見ることが好きだ。
それが悪い夢であれ素敵な夢であれ、夢の中は異空間で、現実とは違うからだ。
前にも見た場所が出てくると、自分にはもう一つの世界があるような気分になる。
「また来たな」という気持ちになる。
(とはいえそれは結果論で、悪い夢を見た朝はブルーな気持ちになったりする)


3月中旬。朝方、夢を見た。いつものように二度寝のタイミングだ。
私の夢には過去の人たちがよく現れる。
その日も昔のバイト先の男の上司が現れた。
どこかのデパートのエスカレーターに2人で乗っていた。長い長いエスカレーターだった。上っていたのか下っていたのかはわからない。
私は上司の少し前に立っており、上司は私の斜め後ろにいた。
彼は手すりの少し前の方に手を置いて、身体を預けて立っていた。もう片方の手はポケットの中。
2人とも当時の制服であるスーツを着ていたし、私も髪をシニョンにして、当時の仕事スタイルそのままだった。
そして、もう少し明るかったらいいのに、と思うような照明と白く冷たい大理石の壁が、その場の空気をどこか張り詰めたものにしていた。
「お久しぶりですね。今はどうされているんですか?」
私は重たい空気を破るように、そう尋ねた。
「いや、べつに。そっちは?」
「私も、べつに…。元気でやってますよ」
私も上司も何を話したらいいのかわからなかったし、少なくとも私は自分のことを話したいとは思わなかった。
そんな気まずい空間から逃げ出したくて、私はエスカレーターが降り口に近づくとともに飛び降りて、建物を後にした。
外に出ると建物に西武のロゴが見え、おそらくそこにいたと思われた。
街並みは、前に行ったことがある京王八王子にどこか似ていた。
そこから私はまた近くの商業施設に入り、トイレに向かった。
どこか1人の空間で座って落ち着きたかったのかもしれない。
個室に入り後ろ手にドアを閉めて座ると、閉めたはずのドアが開いていた。
ドアの向こうは、あたり一面美しい緑だった。

(東山魁夷だ…!)

とっさにそう思った。

東山魁夷の「緑響く」という絵を、一度は見たことがあるという人も多いのではないだろうか。
キャンバスの上半分にたくさんの樹々がまっすぐにのびており、右側に白い馬がゆっくりと歩いている。
下半分にはそれらをまるで鏡のように映した池が描かれ、画面全体が凛とした静けさに包まれている。深い緑がとても美しい。

ただ、私が目にしたのは少しだけ違う風景だった。
たしかにあの絵のように吸い込まれるような美しい緑の世界だったし、池も広がっていた。
だけど、たくさんの樹々のかわりに、たくさんの蓮が花をひらいていた。
(あとで調べたら、それはどうやら睡蓮のようだった)
そして絵では目を引く白い馬はおらず、かわりに赤い着物が鮮やかな市松人形が、左側遠くに静かに立っていた。
もしかしたら人形ではなく、少女だったかもしれない。
彼女は左を向き、何か遠くの方をじっと見つめていた。

(行かなきゃ…!)

私は彼女の側に行かないといけない気がした。
しかしそれと同時に、時間がないことにも気付かされていた。
時計を見たわけでもないのに、今が11時を2分過ぎていることを知り、なぜか焦っていた。
彼女のところに行きたいのに、時間がない。
すると突然、水から引っ張りあげられたように「はぁっ!」と大きく息をして目が覚めた。
時計を見たら起床時刻である7時を2分過ぎていた。
起きてしまった…
私はもう一度で寝たかった。もう一度寝て、今度こそ彼女のもとに行きたかった。


その日はずっとその夢のことを考えていた。考えるだけでなく、忘れないためにもスマホに記録したり、彼に話したりもした。
今までこんな美しい夢を見たことがなかった。
たいていは前半で見たような、今は連絡をとっていない過去の人たちが出てきたり、自分の夢ではお馴染みになっている駅が出てくることが記憶に残っている。
しかし、それらも基本、詳細なことは忘れてしまう。
だけど、あの夢は忘れたくない。
もう一度、あの美しい緑の中に行ってみたい。
もう一度、あの赤い着物の少女に会ってみたい。 
そう何度も眠る前に目を閉じて念じるのだが、今のところ行けていない。
と同時に、おそらくそう簡単に行ける場所ではないことも、なんとなくわかっている。
いったいあの夢はなんだったのだろうか。
いったい彼女は何を見ていたのだろうか。

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