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【ゲーム感想】『シャイニング・フォース イクサ』。王道RPGの発見。

 正月に200円で買ったが思いの外楽しめたPS2のA-RPGが本作「シャイニング・フォース イクサ」。剣と魔法とモンスターが無条件で登場する王道RPG。
 ・・・と書いたが、古き良きおっさんゲーマーからしてみれば、数年前からよく使われる『王道』というものに嘲笑していた。剣と魔法が出てくれば王道(嘲笑)? と、尖っていた時代もあった。
 しかし時代は進む。
 誰も今の映画をトーキーと呼ばなくなったように(言い過ぎ?)、王道という言葉を使っても誰も違和感がなくなった。しかもそれは技術に依存するものではなく「○○の設定ならば王道」「○○みたいなゲームだったら王道」という、えらくぼんやりふんわりしていたものだ。端的に言えばセールスワードである。人は正義や王道の近いところを歩きたい。誰も悪や外道にはなりたくないものだ。
 などと、王道や外道がボーダーレスの時代に生きたおっさんだったが、当時未プレイだった本作を今更ながらプレイして、なんとなく「王道RPGってこういうことか・・・も?」と分かった・・・か・・・も。
 厳密には、本作は2007年発売であり、いわゆる『王道』RPG全盛期である80~90年代の作品ではない。が、シャイニングの名を冠するように、91年に発売した『シャイニング&ザ・ダクネス』から続くシャイニングシリーズである。はじめはファイアーエムブレムと同じようなシミュレーションRPGだったが本作はアクションRPGである。そこにシャイニングシリーズ伝統の人やエルフや獣人たちが説明不要で登場する世界観。そして爽快アクションが加わることでなかなかの良作となった。

 その魅力をシステム面、ストーリー(キャラクター)面から書き綴ったのち、最後に私なりに感じた「王道RPG」をちょろっと書き留めておきたい。

・システム:爽快と緊張。

 上から見下ろしのアクション。フィールドを歩き回り、画面全体にわちゃわちゃと(処理落ちするほど)でてくる敵キャラをバッタバッタとなぎ倒したり、遠くから魔法でチクチク攻撃したり。これは選んだ主人公で異なってくる。

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 ということで本作はW主人公である。
 近距離の剣がメインとトウマと、遠距離の魔法とボウガンが主体のシリル。トウマがヒーロー、シリルがヒロインのように見えるが、イベントシーンにどちらで突入するかで会話の内容が変わる(大筋は変わらない)。
 つまり感情移入する状況が変わる、ということでもあるが、これはどちらかの主人公を最初に選択する――いわゆるスターオーシャンセカンドストーリー方式ではない。本作は主人公を任意に切り替えながら進めていく。
 だったら片方だけ使えばいいじゃん、と思うかもしれないがそうもいかない。使っていない主人公側にも役目があるからである(後述)。

01シャイニングフォースイクサ全記録1_Moment

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 最初は敵が強くてヒットアンドアウェイを繰り返すだろうが、やがて攻撃力も防御力も強くなってくると避けることすらせずゴリ押しが目立ってくるだろう。そもそも敵が巨大でわちゃわちゃと出てきて画面いっぱいとなるため、回避すらできなくなることも多々ある。ダメージも四方八方から受ける。そんなときは回復アイテムだ。
 ×ボタンで攻撃しながら、□ボタンで全快アイテムを消費できる。回数制で、なくなったら汲みに戻ればいい。R3ボタンにより戦闘中でも拠点に戻ることができる(イベント戦闘のぞく)。

 拠点(ジオフィールド)では回復アイテムの補充のほか、買い物やスキル強化やセーブもできる。オートセーブが全盛となった(もしくはセーブしなくてもいつでもゲームが再開できる)時代、こまめにセーブする習慣を思い出させてもらった。

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 いくらレベルがあがっても一撃で死ぬことが珍しくないのがこのゲーム。取り囲まれて身動きがとれなくなり、回復もなくなり、なぶり殺されることも多々ある。だったら拠点に戻れば? と思うだろうが戻れないのである。なぜなら石化しているから。
 石化。これだけは特筆しなければならない。さまざまなゲームの中でこれほど石化が凶悪なのは珍しい。
 なぜなら本作「石化は避けられない(ゲーム本編の解説より)」。石化の効果を弱くすることはできるが、石化自体を防ぐことはできない(貴重なアイテムを使う必要あり)。だからほかのゲームみたいに石化をなめていると即死である。
 石化中は無防備で操作不可。解けるまで堪え忍ぶしかない。しかも石化攻撃を受けたら100%石化する。そんな効果をもったザコがわちゃわちゃで出てくる。阿鼻叫喚である。攻撃パターンを見抜き、囲まれる前に退いて遠巻きから攻撃するしかない。もしくは硬化時間を短くするスキルを強化するしかない。
 スキルとは正確には「パワーアート」と呼ばれる。戦闘やダンジョンで入手するミスリルというアイテムをポイントとして、攻撃力や属性などを強化していく(アートを刻む、と表現される)。

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 ぶっちゃけレベル上げよりも効果があるので積極的にあげていこう。HPや攻撃力はそうだが、なにより種族特効が重要だ。これは「羽の生えた相手への攻撃力が○%増加する」などの特徴に基づいたよくあるダメージボーナスである。が、この効果のすごいところは各特効値が乗算される点である。「羽の生えた」と「竜に対して」を強化すれば、ドラゴンには%×%である。さらにメタルドラゴンだったらば「マシンに対して」を強化すればさらに倍! 結果、ダメージが大変なことになり相手は紙切れなる。防御側もおなじである。なおスキルは各地に点在しているので草の根分けても探し出すべし。

・防衛戦:当時流行のタワーディフェンス

 ゲーム進行中、とつぜんエマージェンシーイベントが入る。戦闘中でもおかまいなしに拠点(ジオフィールド)画面に移る。ジオフィールドに敵が攻めてきたのである。
 防衛戦イベントの始まりである。
 このイベントでは今まで操作していた主人公じゃないほうを操作して防衛する。このためのW主人公でもある。
 拠点周辺にある防衛用フィールドにある防衛装置が破壊されるまでに巨大ボスを倒せば成功である。わちゃわちゃで、絶えず発生するモンスターをやっつけよう。

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 つまり本作は「ダンジョン進行」と「拠点防衛」を繰り返しながら進めていくことになる。
 なぜこのようなシステムなのかというと、おそらくだが07年当時に流行していたタワーディフェンス系が色濃く影響していると考えられる。時流に乗ることは大切だ。そしてこのシステムは悪い方向にはなっていない。

 とにかく防衛装置が壊されないこと。そのために拠点の強化も必要だ。シールドや大砲を強化したりしよう。なおこの大砲は、防衛以外にも、ゲーム本編での攻撃や障害物破壊にも使用できる。


 複雑な操作も不要で、でてくる敵をボタン連打で一騎当千。危なくなったら回復。爽快と緊張の見極めを重視した快活なゲームシステムとなっている。
 なおW主人公以外にも仲間はおり、最大2名を引き連れて冒険/拠点防衛に出られる。仲間は完全CPで装備やスキル強化はない。作戦指示の変更のみである。
 そこにシャイニングシリーズという伝統に裏打ちされたストーリーによって面白さがさらに倍!

・ストーリー:王道の発見

[ここからネタバレ]
《あらすじ》人間と魔族の国に分かれて小競り合いを続けていた世界。トウマ、シリル、メーベル、ガドフォールの一行は、抜いた者の願いを叶えるとされる聖剣シャイニング・フォースを、とある遺跡で探し出した。トウマが聖剣を引き抜くと突如遺跡が動きだしジオフィールドと呼ばれる要塞に変形した。トウマたちはその要塞の絶大な力で争いを止めるべく、各地にある要塞のパワーアップアイテムを探し回る。他方それぞれの国もこのジオフィールドの力を手に入れようとトウマたちに接近するが、それは三〇〇〇年前に封印した滅亡の元凶・贄神も関係していた・・・

 ありていに書けば『おきまり』である。
 最初は反発しあい、最終的には両思いとなるヒーローとヒロイン。主人公を助けるために存在する仲間たち。世界は主人公のためにあるといっても過言ではない設定。
 目的は世界を救うことでありヒロインを救うことである(トウマルートで進めたせいもあって流れ的にそうなった。シリルルートだとヒロインがヒーローを救いにいく形式となる)。
 押しつけることのないあっさりとした演出も良かった。一見派手さが足りないように思えるかもしれないが、カメラワーク自体が上から見下ろしがほとんどのため、これはこれで統一性が保たれていた。ときおりムービーシーンは入っており、そこは時流のそれである。

 派手さがないところもまた王道RPGなんだな、と思ったのだ。
 主人公を操作し、仲間とともに大変な――なんどもゲームオーバーになるほど大変な――ダンジョンやボスを攻略する。操作とは経験の値を増やして攻撃力の値を増やすための操作ではない。仲間たちと冒険をした結果の数値である。イベントシーンだけがゲーム進行ではない。迷いまくったダンジョンのなかにも苦労したボス戦にもストーリーは存在する。RPGとは余地である。
 これこそ情報量の少ない二〇世紀のゲームで養われた趣であり、王道の神髄である。21世紀の技術革新によってなくしても良いものではない。

 一点だけ。ささいなケチをつけるのならば、トウマとシリルが相思相愛になってエンドとなるのだが、本作のシステム上、トウマとシリルが一緒に冒険することはない。片方が冒険中は片方がお留守番なのだ。これでどうやって二人が親密となっていったのかが、甚だ疑問であるがそれに突っ込むのは甚だ野暮である。人間の王が素直すぎないかと思うことも野暮であり、ずうっといがみあっていた人間の王と魔族の女王が最終盤でくっつくことに突っ込むことも野暮なのである。

 そんなことを考えながら本作を遊び、「王道RPG」をここにきて認識・発見したのだった。以下にその要素を羅列する。ありていにいえば「RPGあるある」である。

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・「王道RPG」ってこういうことかなあ

《世界観》
・ファンタジーであること。剣と魔法は必須でありメカが出てくるとなお良し。そのマシンが魔法で動いているとさらに良し。
・モンスターという畜産的動植物とも異なる獰猛な生物が世界中にまんべんなく闊歩していること。そしてその説明は作中1ミリもされないこと(説明があっても良いが、この場合、ストーリーに関わってくる可能性があるため、結果的に多様性を殺してしまうおそれあり)

《キャラクター》
・主人公は男。根暗でないこと、陰湿でないこと(明るく素直な熱血漢でなくても良い)。最終的には理屈を排した思考に基づく正しい行いを決断することができること。
・ヒロイン。最終的に魅力的に思えること。(最初反発したのち途中から変化しても良いが、最初から魅力的でも良い)。具体的には根が純粋で真心があるような表層を見受けられること。
・主人公のことを理解する親友。最初から最後まで主人公と随伴すること。このキャラクターを助ける(または助けられる)イベントがあると良いが、なくても良い。ない場合は、没個性に殉じ、主人公のイエスマンとしてその一生を終えたとしても魅力が失われることはない。
・その他オプションとして憎まれ役、お色気役(往々にして年上美人)がいればなお良い。

《ストーリー》
・勧善懲悪ではないこと。悪役(仇役)が終盤で善い行いをふるまうこと。踏まえると悪役に信念があること。
・男女が出てきたら必ず結ばれること(重要じゃない人物のぞく)。敵同士ならばなお良し。
・身分的に上位にいようともタメ口。最終的には戦闘で分からせること。
・大規模な戦争など、世界危機が起きているとしても、主人公たちは参加しないこと。
・最終的には中盤に登場した第三勢力が悪の根元であること。
・肝心なところで間が抜けていること。もしくは物わかりが良いこと(今まで憎み合っていたのに誤解だと指摘したら素直に信じること)。

 RPGは「ロールプレイイングゲーム」の名の通り、役割を演じるゲームである。役割を演じるのである。ゲームの世界に入って自由に気まま行動するのではない。勇者となったら、勇者としての行動を取らなければならない。世界を救うのなら、世界を救う行動を選択しないといけない。「はい/いいえ」の選択コマンドで「いいえ」を選んではいけないのである。無限ループもやむなし。外道ではいけない。王道でなければならない。

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(何の関係もなくリームシアン様)

最後に

 プレイはじめの期待を凌駕するほど、がっつりと楽しめた本作。
 もし私がこのゲームを小中学生のときプレイしていたならば、まちがいなく思い出の名作になっていただろう。初めてのRPGにふさわしい王道さ。

 ハードはPS2で、開発のネバーランドカンパニーは倒産してしまったため移植は望み薄だが、もし機会があるのなら是非遊んでいただきたい作品である。

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