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人の体に歴史あり~5歳児へのお風呂教育?~

 お風呂の工事の時期がそろそろ決まりそうで、息子を大浴場に連れて行く日が迫ってきた。でもこれまで、更衣室はおろかトイレすらも両手で数えられるほどしか女子トイレに連れて入ったことがない。

 というのも。
 寄せては返す波のようにSNS上で女湯や更衣室、女子トイレに連れられて入ってくる男児への嫌悪が話題になっているのを目にしていたため、外出時のトイレや着替えはパパ任せ。息子と二人の時はなるべく誰でもトイレ。ない時に限り女子トイレに連れて入る。

 女性への配慮や遠慮、というよりも……知らない大人に何もしていない息子が加害者扱いを受けて傷つけられることがないように、という面が大きい。やむを得ない場面で、本人も不本意な女性の空間を利用せざるを得ないのは子ども自身なのに、その上で万が一にも咎められたらトラウマになってしまう。そういった懸念から、トイレ・更衣室はパパ担当だった。

 けれど、今回のお風呂問題はパパの帰宅を待って入浴しに行くと帰宅できるのは早くても二十一時を過ぎてしまう……。ので、今回はかーちゃんと女湯に行く前提で考え、腹をくくることにした。

 年齢的にはまだ未就学児なのもあって、混浴も許される年齢だけれど、お風呂教育を徹底しておく。

おやくそく
①ひとのからだをじろじろみません
②きになることがあってもいいません
 (おうちにかえってからならきくよ)

 わたしの体には、かなり薄くなったけれど顔に赤アザ、膝にカフェオレ斑と呼ばれるシミ、ふくらはぎに縫った傷跡がある。普段は大して気にすることなく生きているけど、こういったものを隠したい気持ちの人もけっこういるもんだと思うよ、というのを伝えた。

 事故や病気の治療で残った傷跡とか、病気の症状で肌の色にムラが残ることもある。祖母は眉間のいぼ状のほくろを取った後がシワのような傷跡になっていたし、母の足は幼いころの火傷の跡でケロイド状になっていた。もう三十年以上会っていない父方の祖母の体にもそういったものがあり、膿をとるために切開したらしい場所がポケット状になっていたのを覚えている。

「大きな傷跡があったら、びっくりしちゃうこともあるかもしれない。でも傷跡はその人が戦った証拠だから、かーちゃんは『気持ち悪い』『怖い』よりも『治ってよかった』とか『痛かったのに頑張ったね』とかがいいなって思う」とも伝えた。

 体型も含めて、お風呂屋さんでは普段は服で覆われている「隠している部分」があらわになる。肌の色や、歳を重ねて生まれたしわやたるみ、傷跡があるのも、生まれ持ったアザや歪みも、毛深さも、ひとりひとりの体に生まれる前から現在までの歴史が刻まれている。生きてたら傷もつくし、でも生きてるから治る。どんなに似ていても、おんなじ物はない。

 傷跡もアザもシミもしわもたるみもぜーんぶ、かーちゃんはそうは思うけど、言われたらいやな人も多い。だから絶対に「あのひとのからだ~が~だ」とかって言わないこと。どうしても言いたかったらおうちに帰ってから聞くからね。と約束する。

「そんなことしってるよ。だからいったことないよ」

 と返ってきて……そうかもしれないと思った。
 そういえ英語の先生がどんな先生か聞いてみたら「かみのけのない先生」と短く刈られた坊主頭を表現していた。その先生の身体的特徴のひとつである肌の色には触れていなかった。
 これからもっと的確な表現力が身についたときにバランスを崩すことはあるかもしれないけど「人によっては触れられたくない身体的特徴」について、なんとなく察するところがあるのかもしれない。
 本当に髪の毛のない人を「かみのけのないひと」と表現しないのであれば、下手な大人よりもバランスの取れた感覚を持っている可能性……そこまで器用じゃないかもしれないけど。

 そういえば昔は子どもが眼鏡をかけていると浮いたし、からかいの対象になることもあったと思うけど、最近の子どもはそういったことがない。少なくとも息子の周囲ではなくて、三歳半健診がきっかけで見つかった弱視の矯正も抵抗なくできている。夫も小学生のころから眼鏡が必要だったららしいけど、からかいからかけるのを辞めてしまったと話していた。息子の周囲の環境に感謝している。

 こういうバランスの取れた感覚、は最近の子特有のものだったりするんだろうか。地域的なものだったり、年齢的なものだったりするのかな。自然に適応しているの、すごいなぁと思う。

 息子自身を守るためのお話しもしてるけど、それは長くなっちゃうので別記事で。短い時間でサラッと読めるのがいいかなと。

 どうかこの調子で大浴場も乗り切れますように!

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