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自分からは何も変えられないと思っていたら、 外圧で人生が大きく変わりました。 起きたこ…

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自分からは何も変えられないと思っていたら、 外圧で人生が大きく変わりました。 起きたことなのか、起こしたことなのかわからないし、 本当は変わりたかったのかもしれない。

最近の記事

手放せない思い

もう何年も ずっと心にズシンと乗っかっている重いものがある。 そのことを考えなかった日がないぐらい。 何をしていても頭から離れなくて、 仕事中涙が溢れたことも何度もある。 生きている意味がない ならどうする?と自問自答が続く。 こんな苦しい思いはもう嫌だ。 軽くなりたい。 でも、軽くなるってことは 手放すってことだ。 手放すと自分の人生がどうなるか 想像しただけで、 怖いという感情が出てくるので、 すかさずフタして 重しをのっけて、 危ない、危ない。 って思うことの繰

    • ふわスピっていた自分

      スピリチュアルにどっぷりだったなあ。 この世で霞を食って生きているつもりになっていた。 自分の頭が霞だらけだったわ。 暇だったからだ。 退屈だったんだ。 何もしてないのに、 勝手に人生に飽きていた。 はるか遠い昔からずっとこんなだった。 退屈な田舎の学生だったし キラキラの青春なんて程遠かった。 暇でやること無さすぎて、 この暇な時間を売れたらいいのになーって 寝転びながら 鼻くそほじってた 恥ずかしがり屋の奥手のくせに、 付き合っている人たちをみては 小馬鹿にしてた

      • これは間違いとジャッジする心

        来月の仕事のシフトが出た。 確認してみると間違っているところがあった。 出勤日が1日ずれている。 今までこういう間違いなかったのになあ。 と同時に上司に修正依頼をするのが気が重くなった。 なぜならその数日前、締め切りギリギリ(というか過ぎていたけど 汗)で別日のシフト変更をお願いしていたから。優しい上司は、快く変更してくれた。 今回のずれた出勤日も別にその日特に予定が有るわけでもなかったので、 ま、いっか。とも思った。 それに、もしかしてこの方が何か後々都合の良い展開に

        • 手放すこと

          これだけは絶対に手放したくない、と思っていた。 私が守らなければ、と思っていた。 そうしなければならない、絶対に、と頑なに思っていた。 理由は、それが愛だと思っていたから。 だけど、 守るってなんだろう と自分に問いかけた時、 答えに詰まった。 守れないと判断したら、 守る事が難しいなら、 守れないかもしれないと思うなら、 手放す事が守る事なのではないだろうか。 そういう愛もあるのではないだろうか。

        手放せない思い

          透明になりたい

          季節柄かSNSで水の画像がよく目に留まる。 特に透き通る川をみると言葉を超えて心が吸い寄せられる。 あの青のグラデーションの美しさ 水底まで透き通る不純物のなさ 子供の頃水の近くで育ったので 夏といえば水遊びだった私は、 水の流れに身を浸しては 肌に感じる柔らかさにうっとりし、 手のひらに水をすくい上げては その美しさにうっとりとしていた。 その時の美しさに魅せられた気持ちは今も変わらず私の中にある。 あの美しいブルーの世界 水ってなんて美しいんだろうと ただただその美

          透明になりたい

          経済的ネグレクト

          夫が家を出て行く前、夫の弁護士から今後の生活費についての書面が届いた。 月々このぐらいが妥当と考える。という書面。 すぐ隣で生活しているのに、わざわざ弁護士からの手紙で連絡が来る。 もう傷いていない箇所がないぐらいの心でそれを受け止めた。 少なすぎ。。。 傷つく気力も反論する気力もなかった。 猫と私、それぞれの金額。 私は猫より五千円多かった。 そして、ある日夫は居なくなった。 パートで入るお金は5、6万。 外食は一切やめた。 お気に入りのカフェ、お蕎麦屋さん、イタリア

          経済的ネグレクト

          オンラインサロンの断捨離

          最近、オンラインサロンを2つ辞めた。 ひとつはいわゆる夫婦問題に特化したサロン、 オットから離婚を切り出され、 パニックになってネット上を彷徨って見つけた。 同じような仲間との出会いが心強かった。 辛い状況を聞いてもらい、励まし合い、共感も得られた。 苦しいのは自分ひとりじゃないって思えた時の心強さ! 漆黒の闇に一筋の光を見つけたと思った。 もうひとつはいわゆる悟り系サロン、 昔から悟りに対する憧れがあって、 それ系のブログをいくつも読み漁っていた時に見つけた。 非二元、

          オンラインサロンの断捨離

          短冊に代筆した話

          介護施設で働いている。 こんな利用者さんがいる。 コール頻回。居室に駆けつける。3分前と同じ質問。 「それは先ほどお伝えしましたよね?」 「はい、そうでした。すみません。」 そして3分後、またコール。 それは先ほど… そうでした… エンドレス。 認知症ではないらしい。 不安が強いらしい。 こっちは他の利用者さんの介助で忙しいのに、 お構い無し。 私はお金のために労働力を提供しているだけの人。 微笑みを絶やさず誰にでも優しい聖人ではない。 当然イラつく。 だから

          短冊に代筆した話

          見ている世界

          今の私は不幸のフィルターをかけて世界を見ている、 そういう自覚がある。 でも、いつかけたのかは分からない。 気づいたらかけていたのだ。 自分でかけたのか? 誰かがかけたのか? いつかけたのか? ただ、気づいたのだ。 今まで見ていたものに対する解釈がいつのまにか変わっていたことに。 今まではそれを見つめると幸せな気持ちが湧いていた。 でも今それを見つめた時、苦しみ、罪悪感が湧いてくる。 ごめんなさい。 私のせいでごめんなさい。 私が壊した。 私が台無しにした。 誰

          見ている世界

          優しさに飢えていた

          今日かも明日かもとざわざわしながら1週間ほどたった。 本当に愛猫の看取りが近づいている。 先日も仕事を休んでいるので、これ以上休みたくないけれど、 最期一緒に入れなかったら一生後悔しそうだ。 悩んだ挙句、やっぱり休もうと決めて勤務先に連絡を入れた。 前回は「家庭の事情」と、ぼやかしたが、 今回はさすがに何かあったの?と聞かれてしまった。 昨年、肋骨を骨折した時でさえ休まなかった私だ。 詮索されるのも嫌だ。 そもそも誤魔化したり嘘が下手なのだ。 飼い猫が長くなくて、、、

          優しさに飢えていた

          話すんじゃなかった

          猫は猫、人の子供じゃない。 そんなのは当たり前だろう。 という人ももちろんいるだろう。 私もそう思う。 猫は猫であって、人間ではないから。 とはいえ、私にとって大切な家族の一員であることは間違いない。 別居中の夫にとってもそうだと思っていた。 だから、愛猫の病気を伝え、何度か状況を伝えたのに、 一切返信がないことがショックだった。 あんなに可愛がっていた猫までも捨てられた気がして悲しみが一層募った。 私を嫌うのはいい、仕方がないと思えるのに、 愛猫も同じ扱いをうけ

          話すんじゃなかった

          ACIM瞑想会

          縁があり、ACIMを受講し始めた。 先日、瞑想会があった。 一人でやる瞑想と違い、先生の声による誘導が心地よく、リラックスすることができた。 聖霊とともに透き通る湖の中に深く深く降りていく。 自分の気持ちを見つめる。 私から湧き上がってくる想いを見つめる。 「愛されたい」と思っていた。 みんなはいいなぁ、愛されて、守られて、安心できて、笑顔が眩しいな。。。と、離れたところから眺めている小さな子供のままで、私はいるようだった。 この子は誰からも気づかれないところにひっそり

          ACIM瞑想会

          読んだけど反応しないという選択

          今年13歳になる愛猫に病気が見つかった。 とっても食いしん坊でフードはあっという間にペロリと食べるし、 人間が食べるものにも興味津々。 特にパンが大好きで、家にパンがあると鼻をヒクヒクさせて在処を特定し、 どんな高いところでも狙いに行くアグレッシブな子。 昨年から体調を崩しがちで、何度か病院に行ったけれど、 年齢的なこともあるし、数日薬を飲むと良くなったりで、 まさか重い病気が潜んでいるなんて、先生も私も疑っていなかった。 そんな事を何度か繰り返し、冬が来た。 いよいよ何

          読んだけど反応しないという選択

          楽しいが分からない

          いつからだろう? 自分には楽しいと感じる事があまりない。 誰かが楽しそうに盛り上がっていると、 あ、ここは楽しそうにしといた方がいいな、 って思って合わせてきた。 年甲斐もなく昨年末からダンススタジオに通い出した。 周りの人たちはダンス歴が長く、付き合いも長いようで和気藹々。 私は下手だし焦っているせいか振り付けがなかなか覚えられない。 毎回凹んでしまい、つい最近は忙しさにかまけて2週続けて休んでしまった。 今日、同じくダンスをする友人から「ダンスは楽しんだもん勝ち。とに

          楽しいが分からない

          カウンセリングの内容を変えた

          カウンセリングに通い出して1年近く。 夫から離婚したいと言われたのが2019年の年末。 夫はカウンセリング2年目に入ったあたり。 気乗りしなかったけど、行けば夫が安心するかと思い通い始めた。 夫は週1で通っているが、私は隔週。 自分の息子ぐらい若い先生。こんなおばさんに離婚の話聞かされて本当に申し訳ないという思いでいっぱい。そんな子に自分の話を聞いて欲しいとは思えず。。。 やめたいなーと思いながらズルズル1年。 この間何がありましたか?という質問にぼんやり答えているだけ。

          カウンセリングの内容を変えた

          繕う人生

          胸がざわざわして、哀しみが湧いてきて、 どうしようもなく孤独な1日だった 自分はこの世界で、ひとりぼっちなんだと感じた 自分には誰もいない 自分はいらない存在なのだ 価値がないのだ それを悟られたくないからひたすら繕う人生 誰かと笑っていても、必死でうわべを取り繕って笑うだけ 誰かの嬉しそうな話を聞いていても、微笑んで聞いているふりをしているだけ 気づかれないように なんとなく楽しそうにしようとしているだけ 悟られないように 前はもっと楽に出来ていた事

          繕う人生