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自己紹介vol.2(大学〜サラリーマン時代)

ご近所コースの小学校、中学校、高校、そして大学へ進学。
松山大学人文学部英語英米分学科にすすみました。
高校時代、スラムダンク読んで、バスケ大好きになって、マイケル・ジョーダンに会いたくて、アメリカに行きたくて、英語科に進んだ、という極めていい加減な選択です。
で、大学生活。ぼちぼち授業は出てましたが、英語が喋れるようになるわけもなく、バイトばっかしてました。最後のバイトは「骨太味覚」というラーメン屋。今でも松山近辺では一番好きなラーメン屋です^^

大学は4年生のときに1年間休学して、前半バイトばっかしてお金貯めて、3ヶ月だけですが、アメリカのシアトルに行きました。向こうの学校に入るわけでもなく、フラフラして、コミュニティ・スクールみたいなところにたまに顔出す程度で、本当にフラフラしてました。念願のNBAは「キーアリーナ」に見に行きました!奮発してコートサイドの席を取って、ゲイリー・ペイトンやショーン・ケンプを生で見てきました。だいぶ耳が慣れてきた頃に帰国、ということで、ほとんど意味のない(英語学習的には)、ただ今思えば貴重な体験だったかな、とも思います。
帰国便の中で新聞読んでたら、「佐々木マリナーズ移籍へ!」という記事を読んだのを覚えてます。そんな時代です。

マイケル・ジョーダンには会えなかったけど、大学2年生頃だったか、福岡にマジック・ジョンソンがやってくる!ということで友人と見に行ったこともありました。

そんな遊んでばっか、バイトばっかの大学生活でしたが、どういった経緯だったか覚えてないけど、読売旅行の添乗員のアルバイトしてました。「鳥取砂丘&カニ食べ放題、7,980円!」とかの募集ツアーしてる(してた)読売旅行です。
大学生だったので、日帰り旅行が多かったけど、いろいろなところに行くことができました。たまに1泊や2泊の添乗もつけてくれて、北は青森、南は沖縄まで行かせてもらいました。富士山にも登りました!
おそらく、きちんと記録つけてないからあくまで”おそらく”だけど、47都道府県全部行ったかなと思います。もちろん、ちょこっと立ち寄った程度のところも含めてですが。

1年間休学したこともあり、就職活動するにも、友人はほぼ就職し、ほとんど就職活動した覚えがないです。就職氷河期だったし。バイトでお金貯めて、また外国行きたいな〜なんて思ってたくらいです。
ただ、旅行会社に就職したら、仕事で外国に行けるのでは!と思って、職安で旅行会社探してたら、小さな地元の旅行会社が拾ってくれて、無事就職できました。でも結局一度も海外旅行の添乗員はできず、一度だけ決まりかけてたラスベガス旅行の添乗も、どっかのテロでお客さんが海外旅行自体をキャンセルしてしまい、お流れ。しょうがないです。。

そんな旅行会社時代ですが、業績悪化で旅行部門を廃止し、バス部門だけにすることになり、社長からはバス部門に残るか?と声もかけてもらいましたが、正直なところ、旅行会社に将来性は、、、ということで退職することにしました。そしてまた職安通い。そんな中、次に拾ってくれたのが「坊っちゃん劇場」。愛媛県東温市にある常設のミュージカル専用劇場。役者じゃありません、営業職です(笑) 演劇とかに興味があったわけでなく、新規事業の立ち上げに関われるってことに惹かれ応募したら、面接のときに話した読書の趣味(多分、最近藤沢周平読んだ(面接した上司は秋田県から来てた)ってことが効いた!?)がきっかけで採用してくれました。

入社は2005年9月。28歳の時。劇場のこけら落としが2006年4月だったから、開業半年前の社員第一号でした。このことに関して本当に良い体験をさせてもらったと思います。本当に感謝してます。いろいろあったけど(笑)
入社日の2日前くらいに、入社前だけど、オーディションがあるから手伝ってくれないか、と言われ行きました。なかなかミュージカル俳優のオーディションに立ち会う機会も無いだろうから。。そして入社10日後くらいには、地元の東温市長が秋田県に視察(坊っちゃん劇場の共同出資者、わらび座という劇団の常設劇場がある)に行くから、上司と一緒に行って、アテンドするように、と言われ秋田県に行き、東温市長と一緒に秋田でお酒飲んだり(笑) 劇場の建設段階から、内部に専門機器が大量に搬入され、劇場になっていく、そんなところを最前線で見ることができ、若い社員は自分しかいないので、力仕事も、写真撮ってPCで資料作ったりも、ほとんどやらされました。こけら落としでは、愛媛県知事はじめ、市町の首長、愛媛県内の大きな企業の社長、こういった方々のアテンド、脚本・演出のジェームス三木氏と一緒にタバコ吸ったり(笑) でもこういったことが、普通のサラリーマンではなかなか体験できない、貴重な経験だったと思います。

坊っちゃん劇場での主な業務は、観光客を連れてくること。つまり愛媛県内外の旅行会社をまわり、団体旅行やツアー商品のコースの中に坊っちゃん劇場を入れてもらうこと。自分自身旅行会社で働いてたので、立場逆転、旅行会社にセールスすることになりました。
出張も多く、おそらく年間100泊くらい、ホテル泊してたと思います。

また長文・駄文になってしまい、気がつけば2,160文字。そろそろ終わります。ここまで読んでくれた辛抱強い方に感謝。
自己紹介シリーズも次のvol.3で終了予定。vol.3では、サラリーマン終了後、起業、そして「瀧乃元近藤家」開業まで、を書きたいと思います。
ただ、このvol.2で書いた、大学時代の添乗員、旅行会社時代、坊っちゃん劇場での観光客誘致、これらが大きく自分の人生に関わってくるんだなと改めて感じてます。この記事を書いてるのは2021年5月、43歳です。つまりもう観光業に関わって20年以上経つんだなと再認識。
まだまだコロナ禍真っ只中ですが、旅行ニーズが減衰するイメージが湧きません。ますます人は旅に出ると確信してます。そんなことを次のvol.3で。
お付き合いいただき、ありがとうございました^^

↑ 実家の自分の部屋に貼ってたポスター
マイケル・ジョーダンと本上まなみ貼ってた(笑)

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