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こんにちは。Kiwi PR合同会社の植田聡子です。

大学院の授業では

✔️グループで何らかの成果を求めるもの
✔️個人で考えて、まとめて提出することで評価を得るもの

があります。

とある先生が「最終課題をグループで提出したいか、個人で提出したいか」の意向を授業中に聞いてくださったことがありました。その時は、7:3か6:4で「個人で提出したい」という意見が多い結果となりました。

皆さんだったらいかがですか?

私はグループでディスカッションをする時間そのものは大好きです。やはりグループの中にはさまざまなバックグラウンドの人々がいるので、その知見の集合体はちっぽけな自分ひとりより、はるかに価値が高いのは明らか。

一方でグループで提出となると、ただでさえ忙しい日常の中でのスケジュール調整が負荷が大きいと感じてしまいます。ですから、ついつい「個人で(好き勝手に)やらせてくれ」派でした。成績にも影響するので、私の成績が低くなるのは自分の責任だけど、私のせいで誰かの成績に影響してしまうのは申し訳なくて・・・

でも、昨日ふと思いました。

ビジネススクールでのグループでの意思決定って、まさに企業の中でさまざまなステークホルダーとの意思決定の模擬を兼ねているのかなと。

集合体での意思決定にどこまでエビデンス、ロジックを持って、他を納得させる合意形成に導くのかというプロセスに学びがあるのだなと。

だから導かれた結果だけを見て、いいか悪いかという視点とはきっと違うはずなのですね。

昨日、山中先生は、「人は見ているようで何も見ていない」「見たいものだけ見て、聞きたいことだけ聞いているのだ」という話を、ホームズとワトソンの会話を例にご紹介くださいました。私もホームズが大好きなので、これこそ「聞きたいことだけ聞いている」典型でお恥ずかしいのですが、こんな会話です。

ホームズ「例えば君は、玄関からこの部屋にあがる階段をひんぱんに見ているだろう」
ワトソン「もちろん」
ホームズ「何度くらいみた?」
ワトソン「それは、何百回も」
ホームズ「では、階段は何段ある?」
ワトソン「何段だって?そんなの知らないよ」
ホームズ「そうだろう!観察していないからだ。みてはいるけどね。そういうことだよ。僕はあの階段が17段あることを知っている。見るだけじゃなくて観察しているからだ」

集合体での意思決定の際のキーワードは「観察」なのではないかと。

集合体は「見たいもの」「聞きたいもの」の各自の円が同じ大きさでもないし、同じ場所に位置していません

だから円が重なった部分があると、共感を得られたようで嬉しくなったり、大きな円の人を見ると、よくわからないと思ったり。

集合的意思決定には合理性と困難性があります。相手がどういう手法で、問題を定義し、選択肢を導き、選別し、実行に至るのか。

「創造性の余地があるか」「柔軟性やロジックの組み立てに無理がないか」「合理的なプロセスか」を「観察」することが、グループで何かを目指す際の学びなのだなと思いました。

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