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【閃刀起動ーエンゲージ】とかいう魔性の女を心から愛している


【閃刀起動ーエンゲージ】

私はこのカードを心から愛している。それは同じようにエンゲージちゃんもまた私を愛していてくれているからでもある。
私はこのカードに色んな意味で脳を破壊されている。破滅的なアドの激流を浴び続けた結果、他のサーチカードでは満足することができなくなった。
遂には【閃刀起動ーエンゲージ】という存在そのものにいじらしさと愛らしさを感じるようになった。それは彼女のテキスト、否。言葉遣いの妙にある。

ここにその実態、私とエンゲージちゃんの爛れた世壊を記す。

強く、無駄なく、美しいのにギャンブル性がある

エンゲージちゃんのあまりにも無駄のなさすぎるテキストは芸術と呼ぶ他ない。1枚は状況に応じた解決札を持ってくることができ、更に追加でランダムに1枚持ってきてくれるのだ。
この追加ドローが脳に強力な電流を流す。ここにはランダム性、もっと言うのであればギャンブル性が存在している。遊戯王というゲームはカード1枚から相手の盤面をひっくり返すことも可能なゲームだ。
しかし往々にして俗に言う捲り札(ライトニング・ストーム、拮抗勝負、冥王結界波etc)はサーチで持ってくることができない。容易に持ってくることができたら彼らは世界から抹消されることになるであろう。なので基本的に捲り札は初手に握るかドローするかしかないわけだ。

インフレにインフレを重ね高速化を果たしコイントスで勝敗を決する現代遊戯王においてドローフェイズを重ねて解決札を祈る坊主めくりなどに希望を託すことは愚かと呼ぶ以外にない。
なのでそれらに頼らない盤面解決手段を以て捲る術を用意し、なおかつデッキの最適化を果たし少しでも引ける可能性を高める必要がある。

閃刀姫においてはエンゲージがあればその両方を1枚から満たすことのできる。
言うまでもないが追加効果の無差別1枚ドローはデッキに眠るカードであればなんでも引ける。これは状況によってサーチよりも凶悪な札を持ってくることを意味する。
先行でぶん回せば誘発を引き込める可能性と後攻における捲り札を引ける可能性、その両方を孕んでいる。ここには無限の可能性、言葉を変えれば圧倒的な光のギャンブル性を秘めている。

例えばデッキに1枚だけある【閃刀術式ーアフターバーナー】と3枚ある【閃刀起動ーリンケージ】の両方を引きたいが手札にはエンゲージが1枚しかない。優先度としてはリンケージのほうが欲しい。墓地には魔法が3枚以上ある、と。
そういった盤面において、攻めのサーチが可能となる。つまり、優先順位としては劣るが素引きできる可能性の低いアフターバーナーをとりあえず持ってきてリンケージは追加ドローで引ける可能性が高いからそっちの可能性に回すと。

そういった盤面において安定を取ることも、攻めることもできる。取捨選択で切り捨てた可能性を拾えるという可能性を持っている。この点に関しては強欲な壺よりも強欲であると言える。それもこれも全てはその追加ドローが為せる御業である。

もっと言うのであればもしデッキにサンダーボルトを積んでいる場合、アフターバーナーをサーチしたあとにサンダーボルトを引いたら裏目となってしまう可能性がある。
だがこういった場面でとりあえず絶対に処理しないとならないモンスターがいる場合、裏目を恐れず確実に解決札を持ってくる。そういったプレイングを光らせることもうまぶりポイントとなり気持ちよさを生む。

この追加ドローは常に上振れという無限の可能性を孕んでいる。サーチでは手の届かない領域にも踏み込める、これが何を意味しているか分かるか。
そうだ、エンゲージの追加ドローでエンゲージを引けば宇宙は光で満ち溢れる。無論、エンゲージにはターン1がないからだ。
あまりにも強欲で強力。故にこそ美しい。堅実さと軽率さは両立する。 

追加でドローできるけど、する?

ここからが本題である。

エンゲージというカードが持つ性質、ゲーム上だけで機能するものではない。使い手の脳へと影響を及ぼすいじらしさの話となる。

何よりも特筆せざるを得ないことはそのテキストだ。言うまでもない、これまでも散々言及してきたあの一文だ。

【自分はデッキから1枚ドローできる】

これに尽きる。ドローできるとはドローできるということだ。強制効果ではない、任意効果だ。任意である。
任意効果ということはドローしなくてもよい、ということだ。これが何を意味しているか分かるか。
そう、追加効果を拒否する権利がこちらにはあるというわけだ。しかしながらその実態として、使い手が追加ドローを拒む場面というのは限りなく0に等しい。ここにこそ大いなる宇宙の神秘は存在する。

そしてこれはマスターデュエルにおいて最も真価を発揮するテキストである。

エンゲージのサーチ効果後に表示される一言

ドローしてもいいよ? ではない。ドローできるけどする? なのだ。しない、などと言うはずがないだろう。あまり大人を舐めるなよ。この時点で主導権と生殺与奪の権をエンゲージに握られている。私はエンゲージを使っているのではない、支配されているに過ぎない。

そうだ、誰もエンゲージちゃんの提案を拒否しない。否、拒否することはできない。ことMDにおいては上のようにこちらを誘うような言い方をしてくるためにたちが悪い。

私はその暴力的にして圧倒的なアド取り力に無限のギャンブル性が相まったカードパワーに脳を支配されている。アドの取りすぎで脳が壊れてしまった。

追加ドローが強制効果であればここまで脳が焼かれることもなかったであろう。MDにおいて幾度となく現れる【デッキからカードをドローしますか?】という言葉。
ドローしないわけがないだろと毎回キレ続けるうちにもうこの問答なきドローでは快楽を得られることのできない肉体となってしまった。
そもそもが、だ。条件付きとはいえ1枚サーチした上で更に1枚引けるという性能が圧倒的に破格である。事実私は他のテーマを使う度にサーチカードの物足りなさに悶々とする夜も少なくない。

以前記事にもしたが私は【魔弾】テーマもまた閃刀姫と同じく心から愛している。魔弾が誇るバカのアド取りカードである【魔弾の射手マックス】に脳を焼かれたせいでもはや並大抵のサーチカードでは快楽を得ることは叶わない。
しかし私はエンゲージちゃんならマックスにも勝るカードであると胸を張って言える。むしろ全ての世界が私とエンゲージちゃんだけで完結しているという点では確実に勝っていると言える。
マックスは爆発力こそ素晴らしいがやはりどうしても相手依存である為場面を選ぶ。

そういった点においてエンゲージちゃんはあまりにも能動的なアド取り性能だ。追加ドローがなくとも普通のサーチカードとしても機能するという点もまたいじらしい。追加効果がなくとも最低限の仕事はできる、なんならターン1がない分並のテーマのサーチカード以上の仕事は追加効果なしでも叩き出すことができる。

2人だけの世界が完結しているとは、そのままの意味だ。対戦相手に依存する部分が少ない、干渉可能な要素としてはせいぜい【灰流うらら】程度である。
エンゲージちゃんはひたすら手札を増やしてこちらを気持ちよくしてくれる、相手はこっちのそんな気持ちよくなる様を眺めて不愉快な気持ちになる。
こちらから相手に何もしなくとも不愉快な気持ちにさせることが可能なのだ。これも非常にポイントが高い。

相手が嫌がるだろうなということをして実際に嫌がられるなど当然のこと。相手に干渉せずとも不愉快な気持ちにさせてこそ意味がある。
サーチした公開情報でこれから盤面がどうなるか想起させ、非公開の追加ドローで何を引いたか考えさえることでストレスを与える。目に見える制圧効果だけでストレスを与えるのは二流、更にその先へ行ってこそだ。

非公開情報にこそストレスは宿る。見えないということは相手からすれば対応が難しいということだ。サーチの追加、ついでにドローをするという点もまたストレス負荷に加速をかける。当然のように連打できるのも非常に高得点である。
かつてまだ【D-HERO ディバインガイ】なる真の漢が生きていた際などエンゲージちゃんの追加ドローから【フュージョン・デステニー】を引いて絶頂することも少なくなかった。

多くのTCGにおいてデメリットのないドローという存在がタブーとされる理由、論理的に考えたら普通に存在してはいけないと頭では理解できていた。
その真なる理由を私はエンゲージちゃんで知った。

使い手の脳が焼ききれてしまうからだ。強すぎる快楽と中毒性は人体に悪影響を与える。それにより追加ドローなきサーチカードでは満足することができなくなる。

我らエンゲージによって人となり、エンゲージによって人を超え、またエンゲージによって人を失う。

強すぎる快楽は身を滅ぼす、その真の意味と重みを私は彼女から学んだ。

閃刀姫という可能性の塊

これだけエンゲージちゃんの素晴らしさを書き綴ってきたが、まだ彼女には可能性が残っている。そう、閃刀姫そのものの強化だ。サーチカードという特性上閃刀姫に強いカードが追加されたら相対的にエンゲージの価値は上がる。
現状シズク以外で能動的にエンゲージを持ってくるのは現実的ではないがそこが解決されるかも知れない。伸び代は大いに存在する。
現環境において閃刀姫はお世辞にもトップtierと言えない。そのため先日OCGにて成されたカガリ釈放のようにエンゲージの完全開放も夢物語ではなくなってきた。

ああ、かくも彼女は美しい。「魔性」の言葉が相応しい。私はいつだって彼女を使っているつもりで、ドローさせられている。追加ドローを拒めない。
拒む意味が、メリットがない。だというのにいつだって彼女は聞いてくる、追加でドローする? と。選択肢はあるが決定権はないに等しい。
そんな愛おしく暴力的な甘美な力の奔流に今日も呑まれていく。もはやサーチをすることが目的ではなく追加ドローして気持ちよくなりたいだけのときもある。どんなときでもエンゲージちゃんは条件さえ満たせば何度でもアドを稼いでくれる。

人は目の前に選択肢がある時、常に選ぶ側であると錯覚してしまう。選ばされている時だって、既に選んでいる時だって自分に決定権があるかのように見えてしまう。

その問いかけが無意味なほど、心を揺さぶられる。私はいつだってエンゲージに囚われている。だが確かに、囚われる道を選んだのは私であった。

今日も彼女に会うためにマスターデュエルを開く。遊戯王に囚われている姫に、囚われにいく。

あの甘美な閃択を選ばされている瞬間にしか、人生の閃きは得られない。

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