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【ガールズバンドクライ】最強のカップリングは""俺仁菜""。「陰のファム・ファタール」が俺に与えてくれるものとは

俺は弱い。
いつだって心の中で言い訳と免罪符を求めている。
そして、それを与えてくれる人をより強く求めている。

「こいつ相手にだったらまあいいだろ」

その一言が心の内から零れてくる相手を求めている。だから俺は弱い。いつだって、今だって。

私がかねてより愛してやまない自身の業。
性癖の形、そのなんたるかを「陰のファム・ファタール」であると声を大にして上げる。
そして令和最新版、陰のファム・ファタールとは【ガールズバンドクライ】の井芹仁菜である。

井芹仁菜はプレシャスにかわいい。心は既に3話で粉砕され、その戦いは特筆に値した。

しかしガルクラ最強のカップリングとはなにか、その答えを導き出すためのなんたるかはまた違う話となりその答えはファム・ファタールにある。

男を破滅させる魔性の女「ファム・ファタール」に宿るものとは「堕落」である。魔力にも似た魅力をもってして男たちを破滅に誘う魔性の女。それが一般的かつ王道だ。
今まで得た地位も財産も投げ売ってでもいいと思わせる。地に堕ちてもいいという堕落を孕んでいる。
従来使われていた正しい形の認識を陽のファム・ファタールと呼んでいる。
そこに生まれる破滅の形とは「この人にならば全てを投げ売っても構わない」という献身からくるものである。
そうして、あんなようになりたいと思われる光の憧れの象徴となる。

対して私が愛する陰のファム・ファタールの抱く究極は「免罪符」だ。「こいつにだったらなにをしてもいい」という心の余裕が生む悪魔的思想にそれは宿る。
陰のファム・ファタールは同性が抱く憧れの形もまた別となる。「ああいう生き方をしたい」というポジティブな光の憧れでなく「あれはあれでああなってしまえばまあ悪くないかも知れない」という自分とは一線を引いた見方での話となる。

「こいつには自分がいないとダメかも知れない」
「こんなことして許されるのはこいつだけだろ」
「他にこんなことしてくるやつ普通いない」
これら全て絶妙なバランスで噛み合ったもの、それこそが真なる陰のファム・ファタールとなる。

私は、俺は【ガールズバンドクライ】の井芹仁菜にその面影を見た。いいや、それを抱きしめている。

本題に入ろう。
性癖を主軸として見た際に「」だけが仁菜の理解者であり破壊者であれるということだ。
そして俺もまた仁菜にその全てを粉砕されるというぼんやりとした破滅の未来を見ている。2人の行く末は見えずとも漠然とした暗雲だけが立ち込めている。そんな世界を見ている。
でも、俺は仁菜を守りたい。守りたい、守られている、会えないときもずっと。
彼女は激情的で儚く脆く、でもまっすぐだ。そんなまっすぐさが時折すごく眩しい。そんな輝きを守りたい。

本編を見ていれば分かる通り仁菜の行動には常に破滅がつきまとっている。暴力的な要素であったり刹那的な感情に身を委ねたりと多種多様な破滅の影が見える。例の電気を振り回す場面など常軌を逸している。
少しのボタンの掛け違いで彼女の未来は一瞬で奪われかねない。あるいは自身よりも強大で抗いがたい"本物の暴力"に出会ってしまったならば。

作中で桃香も言及していた通り、悪い男の影というものが存在する。
仁菜はああ見えて全然余裕でちょろいし根がお嬢様だし今まで抑圧されてきたせいでああなっているだけで見た目はスペシャルにかわいいし心を許した相手にはべったりだしでいつなんの間違いで悪い男に捕まるか分からない。

だから俺が守護らないといけない。

守護るんだよ、俺が─────
でも、ふとした瞬間。ふとした瞬間に。いつだって脳に一瞬よぎる、あーこいつめんどくせえ、なんだこいつって。
それを感じる度、俺から仁菜への敷居が一段回下がる。すると今までできなかったことができるようになる。
あるいはキレ散らかしながら世界へ中指を立てる彼女をどこか冷めた目で見れるようになる。破滅は日常の些細な温度差のズレから始まっていく。

仁菜は暴力的だし短絡的だからあるいは日常の中で反射的に俺へ手が出ることだってある。
撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけ理論は世界の真理だ。人間には大なり小なり報復性なるものが実装されている。
殴ってくるやつには多少なりともやり返して良いのではと徐々に思えてしまうようになっていく

今までだったら取るに足らないようなそんな瞬間に俺は手を振り上げてしまわないだろうか。あるいはその手が上がった時、また敷居が下がる。振り上げた手をゆっくりと下ろす度に、言い訳を探すようになる。
そしていつの日か"その日"は来てしまうかも知れない。言い訳日常の中で積み重ねられた免罪符と共に。

あるいは仁菜のライブを見に行った時、視野が広くなるかも知れない。うーむ、まずいのォ。ドラムの子、仁菜よりかわいくね?
今までだったら気にならなかったはずの"それ"はじわじわと日常を侵食してくる。

普通であれば、考えがよぎることはあれど行動へは移さない、移せない。しかし、俺と仁菜の間にだけは「免罪符」がある。
居酒屋で飲み物をかけられたものにはかけかえす資格がある。それとこれと、一体何が違うのだろうか。そこに違いはない。
怒り、激情、それらの感情は時として理性を鈍らせる。そんな時、免罪符は盾ではなく矛になる。
この感情の燻り、そして破滅へと向かう関係性。これこそが陰のファム・ファタールが抱く破滅への輪舞曲。
こうした我慢を要さない関係は他者とのやり取りにおいて通用しない。他の生きる道、他の誰と生きられたかも知れない未来をも経っていくわけだ。

なによりも、免罪符を手にしていてもそんなことはできない。だから俺は弱い。
それでも心の中に温もりにも似た"赦し"があるという救いはいつだって俺を救う。
なんだかんだ言っても仁菜が一番好きであり別に別れたいなどは毛ほども思わない。故に不誠実、故に真の幸せを手にすることはできない。

できることはあるいは自分だけが仁菜の宿り木であると盲信し振る舞い続ける。いつの間にか我々のパワーバランスは崩壊し、ここにきてようやく破滅の一途は眼の前にくっきりと現れる。
仁菜を失えば全てを失う。そんな破滅が俺を包んでいることに気がつくのはその輪郭がくっきりと視界に映ってからだ。そんな中でもがいてあがいて手にする束の間の安らぎを我々は幸せと呼ぶ。

あるいは相手がもっとまともな人間であればこうはならなかったかも知れない。誰彼構わず中指を立てるような人が隣にいなければなだめることも減る、激情に任せて手を出すような人間でなければ同じ選択肢は日常に入り込んで来ない。
ここに負の憧れ、その大いなる神秘は宿る。「ああはなりたくない、だがあれのまま受け入れてもらえたら良いだろうな」という後ろ向きな憧れの形が生まれる。

一度でも人を殺せば日常に「人を殺す」という選択肢が入り込んでしまうことが怖い。かつて虎杖悠仁はそう言った。これに関しては本当に同意であり、我々の関係性の全てである。
向こうが常にその選択肢をチラつかせるから、こちらにも「手を出す」という選択肢が生まれてしまう。

だからこそ、答えは「俺仁菜」なのだ。
「俺」は過去に囚われているか? 「俺」は嘘つきか? 違うな。そんな本気で向き合える関係性には至れない。
彼女がどんどん前を向き始めていることに、剥き出しの本気を受け入れられる環境が構築されつつあるとこに対してなにを思うか。

私が感情や思想を切り離した作品のストーリーとして見る時、それは前向きに感情を揺るがす。成長であり変化であり、そんな中でも変わらないものもある。そのドラマにこそカタルシスは宿る。
しかして俺としては複雑な面持ちになる。奪わないでほしい、彼女の影を。全てを産み出す命の海である「コンプレックス」を浄化させないでくれと泣きつきたくなる。

だからこそ、この関係性に辿り着く者は仁菜のことをよく知らないべきであり、彼女のロックに価値を見出していないほうがより好ましい。赤の他人であるほうがより濃く、属性としての井芹仁菜を吸える

言ってしまえば井芹仁菜との関係性に化学反応を求めるのであれば、それは本編中に答えを見つけ出すべきだ。
例えば桃香は仁菜にとって憧れの象徴であり手を差し伸べて音楽の世界へ連れて行ってくれた人。仁菜のロックにこそ価値を見出している関係性は唯一無二である。それは居場所であり救いでありバンドとは中指を立てる行為の代替生き方の名前であるべきだ。
井芹仁菜という女が持つ本質、痛みと共に免罪符を与えてくる悪女という属性を際立たせる相手は理解者であってはならない。

俺は見たい。例え日に数時間の一時であろうとも、俺に懐柔され穏やかな井芹仁菜を。手は出すが報復されることは考えていなかった仁菜が振り上げられた拳に未知の感情を覚える様を。
その邪悪の受け皿となるべきは親しき誰かではない。「」でなければならないのだ。その悪もまた俺が引き受けよう。
故に求めるものは「俺仁菜」である。見たい、否。見たことがある、見ている。これが全てだ。

だがこれは本編だけでは辿り着けない領域だ。今は遥かかつて世界にあったようなこの手のアニメのギャルゲーが出るとは到底思えない。
信じたいが現実的ではない。しかしてその程度で打ち砕かれるような幻影であればかように人生を蝕んまれてはいない。

俺はその光を【ガールズバンドクライ】に見た。ガルクラは面白い、爆裂に面白い。
世界で飽和状態にあるガールズバンド作品界においてかように心震えるアニメが見られることは喜びである。
昨年ガールズバンドアニメにて覇を唱えたMygo!!!!!に続いて2024年もガールズバンドに命を燃やせることは感謝に打ち震えるほどに喜ばしい。

なによりも陰のファム・ファタール性癖持ちとして井芹仁菜の存在は圧倒的に巨大だ。これほどまでに悪意なき邪悪な生物は久しぶりにお目にかかれて非常に喜ばしい。
景気よく破滅したい願望をもりもりと満たしてくれるその過激さの留まるところの知らなさだけが幸せを与えてくれる。

だからこそ、仁菜の過激な言動を鬱屈とした社会の代弁者にしてはならない。良識ある人間が思ってもできないことをやる過激さを、ストレス発散の代替品とするな。
そんな社不オタクの最終共感終着点としてはやす世界に対して、やはり俺は中指を立てる必要がある。
仁菜の怒りは彼女だけのものなのだから、それに対して湧く劣情だけがリアルだ。
安全圏から彼女に怒りを代弁してもらうことはロックではない。自尊心それは捨てろ。自分も他人も尊ぶことのない生き方を選べ。

そうして過ごしてきた中である日、ふと道を振り返った時に痛感するのかも知れない。
いや、思い知りたい。他人の人生をちらりと横から見た時、あったかも知れない未来を見たその時に痛感するその日を待っている。

本当は誰かみたいに幸せになりたかった】と。

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