見出し画像

エルシーのことを好きにならないオタクはいない。漫画版チー付与でなろう要素の全てを担う女、最高

顔の良さと口の悪さは比例すればするほど良い。

漫画版の【追放されたチート付与魔術師は気ままなセカンドライフを謳歌する。 ~俺は武器だけじゃなく、あらゆるものに『強化ポイント』を付与できるし、俺の意思でいつでも効果を解除できるけど、残った人たち大丈夫?~】通称チー付与における最強のなろう要素である「エルシー」という女とはオタクの夢である。

10巻の表紙、最高の悪い顔

今は遥か思春期のキッズたちを二刀流黒コートへ誘ったソロプレイヤーのように、昨今においては給食のスープを恍惚とした表情で飲むようにさせた毒味女のように。
思春期の多感なキッズ達に有り余る影響力を持ってなおあまりあるのがエルシーという女だ。
私は安堵した、自分が女子中高生でないことに。そんな多感な時期に漫画版チー付与を接種したらおそらくはエルシーに憧れ焦がれ目も当てられないキャラになっていただろうから。

それほどまでに魅力的で苛烈なキャラが大人を魅了しないわけがない。私だってもちろんエルシーが大好きだし10巻の話を読んでから星型のアクセサリーを肌身離さず持ち歩いている。

エルシーの魅力については一言で言えば「ギャップ」である。
何にギャップが生まれるのかというと答えは「強さ」と「煽り」である。

前者の「強さ」に関しては漫画10巻の現時点において「暗殺の母」や「半分」と並んで最強格の一人である。
彼ら三つ巴の拮抗は令和最新版【HUNTER×HUNTER】リスペクト漫画を思わせる圧倒的な勢力戦と巧妙すぎる心理戦で数多のオタクをチー付与沼へ落とし来てた。
業務用餅先生の素晴らしく、恐ろしいところはこの三つ巴の戦いにおいて3人の誰も噛ませにしていないことだ。勝つにしても負けるにしても正当な理由と納得感が常についている。

例えばママと半グレのバトルならば、ママは半グレたちに一枚上手をいかれるが彼らの情報を得るという点で純然たる敗北はしていない。
常人であれば土の中に生き埋めにされたら確実に死ぬがママはX級暗殺熟女戦士なので生還することができた。
ママは半グレの能力という情報を公開することにより、生き埋めにされたら生きては出られない程度の戦闘員の命を未然に救い王国へ貢献した。
という風に戦いにおける理由つけと人物それぞれの行動理念に一切のブレがなさすぎるのが本当に美しい。

ママの強さとは圧倒的なフィジカルだ。ウルトラライトニングサンダーやイマージェンシーウルトラライトニングバックといった瞬間移動に近しい身体能力や強化付与越しにレインを吹き飛ばすパンチで戦う様が描写されている。

半分は仲間たちの多彩な能力に加え本人も空気を操るという魔力を使用した器用な戦いによるものだ。

エルシーの持つ強さとは魔力の暴力だ。雷を放つというシンプルな能力だがそれ故魔力的な火力に秀でている。

対照的な3人であるがエルシーだけが持っていた「強さ」に関する特徴がある。それこそが「ギャップ」である。
ギルドマスターだから強いとは思っていたけどまさかこんな強いとは思わんじゃん、と。彼女は初期からレイン達と関わっていたが戦闘要員でなく、ギルドの管理人としての役割がメインであった。
今となってはレインの師匠になるわ半グレ達相手に優勢を取るわと圧倒的な力を振りかざしている。だがそこに至るまでの戦っていない平穏な日々の描写があったからこの強さ、悪い顔のギャップが染み渡るのだ。

この「強さ」の枠組みの中には「ノブレス・オブリージュ」の概念が入っているのが本当に好きなポイントだ。
力を持つものにはそれ相応の責任が伴う。エルシーが半グレやママと戦う理由である。
なぜならばエルシーはギルドマスターだから。彼女はギルドマスターとしてレイン達冒険者が安心して冒険できるよう務めると決意した。だから半グレと戦う。彼らがレインの能力に目をつけて狙うことを決めたから。

ギルドマスターとして冒険者を守る。そのために冒険と関係ない邪魔者はこっちで排除する。そのスタンス、立場に相応しい振る舞いにこそ心を撃たれる。
彼女は魔科両立を成し遂げられていない。故に腐っていた時期に打っていたパチンコという科学によって冒険者時代よりも魔力が減った。それもまた立場と行動に相応しくついて回った因果だ。
高貴さも低俗さもある、清濁併せ呑みそれでいても最強格であるところに魅力が宿っている。

だからこそ、今がエルシーにとっての気ままなセカンドライフの最中である。彼女はかつてS級冒険者だったが落ちぶれて小さなギルドマスターに収まり借金もした。
レイン達と出会い、彼らが安心して冒険できるギルド環境を作るという目的を得た。そして仲間を守りつつ敵を殲滅する、真のギルドマスターとしてのセカンドライフを選んだ。

仲間を守りながら脅威を排除する、という点において半分と非常に良く似ている。だが違う。決定的に違う。
エルシーには半分たちのような野心はない。逃げ回りながら生きるのは嫌だ。だから自分たちの理想のセカンドライフを手に入れようと戦う半分とはここが決定的に違う。
現在進行系で過ごすセカンドライフを守ろうとするエルシー。理想のセカンドライフを手にしようと戦う半分。この対比構図は本当に熱くどちらにも感情移入できる最強の構造となっている。

そしていざエルシーが戦うと決めてから、ここからだ。オタクに影響を及ぼすものとは。
煽る煽る、煽りまくる。今までの温和な表情はなんだったのかというくらいに悪い顔をしまくって煽り散らかす。

このように今までの優しそうなお姉さんみたいな雰囲気とのギャップが凄まじい豹変ぶりを見せてくれた。
豹変というよりも、これが本来のエルシーであったと言える。初期のギルドマスター時代は腐っていたから優しさを振り撒くことで自分を守っていたのだろう。
漫画版チー付与によく見られるギャグとしての煽りではない。シリアスに悪い顔で"本質"が違うと分からせるギャップの付け方には感服するばかりだ。

プライドを重んじるママに対してはそれを刺激することで逆手に取ろうとする。
若さによる勢いと数で秀でる半グレ達には経験による心理戦で優位に立つ。
口の上手さと頭の回転の速さをもってして雷を出すというシンプルな能力の強さを高めている。
この心理面での強さも最高だ。今こうしている私もまだ彼女の能力をこれだけだと勘違いさせられている可能性がある。どこからどこまで嘘やハッタリなのか悟らせない、底知れぬ強さに震える。

雷をぶつけるというシンプルに上からねじ伏せる火力の暴力タイプでありながら心理戦もこなす姿は美しい。
なぜならば純粋な超火力とは駆け引きにおいて最高級の手札となるから。それを理解して暴れ回るエルシーの姿はあまりにもなろう作品として忠実すぎると言って余りある。
そう、このエルシーの圧倒的な強さと対峙するものを煽り散らかす様は非常になろうライクである。

漫画版チー付与におけるなろう要素を一身に背負っているといっても過言ではない。主人公陣営のチート級に大暴れするキャラという点でエルシーほど概念としてのなろう無双しているキャラはいない。そのうえで作品としてのパワーバランスは三つ巴となっているからすごいというわけだ。


エルシーの魅了はシンプルに顔とスタイルが爆裂に良い、という点もある。

10巻裏表紙のルーズソックスに便所スリッパにと非常に時代を感じさせるルックスに関してあれがコスプレなのか当時の姿なのかはわからない。
だがどちらにせよ爆裂なスタイルの良さと昔だろうが今だろうが変わらない煽り顔の良さ。顔とスタイルの良すぎる女エナジーが迸っている。
ふとももの太さという観点で見ると今現在のエルシーより太いのでかつての姿であろうことが予測できるがあの超ミニは年頃よりも年増にこそ履いてほしいという欲望を隠すことは難しい。

最後に、今後の展開に対して楽しみな点も話をしよう。

前述した対比構造という点では同じく作中でスポットのあったバリオスとエルシーも対比構造にある。レインを追放してギルドマスターからアメリカンドッグ屋というセカンドライフに移行したバリオス。レインを受け入れたことで真にギルドマスターとしての使命を果たそうとするエルシー。
どちらも気楽ではない。だが自分の気持ちに従い、それを重んじている。それを「気まま」と呼ぶ。そういった観点では気ままなセカンドライフを送っている。

バリオスは戦いから離れることで戦えず殺されるという顛末を辿った。となれば逆に再び戦うことを選んだエルシーはどのような結末へ向かうのだろうか。楽しみは尽きない。
本当に読んでいけばいくほど味が濃くなる最高の作品だ。行く先がどうなるのか気になるしアニメ化してくれなければ困る。

もちろんエルシーの活躍も気になるし半分も大好きだから行く先が気になる。
だが何よりも私の一番好きで好きで最高の存在、真なる邪悪そのものの具現。暗殺の母ことママの存在は本当に全てが愛おしく素晴らしい。

そう、私は漫画版チー付与においてママが一番好きだ。

だからこそだ。
ママが一番好きで最高なのに、その上でこんなにもエルシーや半分に対して好きすぎて狂うことができるからこの漫画は凄まじいのだ。

ママ、半分、エルシーの三つ巴の行く末。そして殺し殺されの因果の収まる果てが本当に楽しみだ。
そして私はまだこれから大好きな半分の話をしなければならない。また必ず話をしにくるだろう。またここで戦うのだ、俺たちは。

第三門でまた会おう!!!

この記事が参加している募集

#マンガ感想文

20,138件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?