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エマさん、スイスの空はどうですか。澄んだあの空が見えますか。あなたの【恋するSunflower】だけがいつだって俺達を結んでいるって、そう確信させてくれるんです。2人の、俺たちの、思い出のラブソング

あなたに向かい恋をしている
わたしはSunflower
二人過ごした瞬間を想えば温かくなる

恋するSunflower/エマ・ヴェルデ(指出毬亜)

今…スイスはどんな空をしているのだろうか。こっちと同じように晴れているのかな、それとも雨が降っているのかな。
あなたに会える次の夏はまで、遥か未来に感じる。でも、あなたとの距離はまるで感じない。それでも逸る気持ち、溢れる愛は止められない。
ああ……早く、笑顔で迎えたい。

俺だけの─────

【恋するSunflower】はラブライブ公式ラブソングである。かのガチ恋大国虹ヶ咲が贈るラブソングバトルももう終盤戦へ差し掛かりつつある。

そんな中でも、エマさんのラブソングである【恋するSunflower】は非常に趣深くノスタルジックなラブソングである。なるほどな、と。エマさんだからこそ、こんなにも前向きな別れの曲で来るかと。
非常に良く素材の味を活かした曲である、というのが最初の印象であった。どことなく牧歌的な曲調は今までのエマ曲っぽさを感じさせる。

だがなによりも特筆すべきはその歌詞の中身である。明らかに2人(俺とエマさん)は今、一緒にいない。なんならそれなりに距離が離れている。
そんな描写をどう取るか。失恋と取るか? 過去の恋愛と取るか?

あり得ない。俺とエマさんは今もこうして恋をしている。そして向こうからの弛まぬ愛情は歌詞の中にこれでもかと詰め込まれている。
これらの要素が何を意味しているか分かるか。そう、その通りだ。

【恋するSunflower】は遠距離恋愛をモチーフとして歌っている。この情報をエマさんベースに落とすのだ。必然的に答えは見えてくる。
一時的にスイスに帰ったエマさんと日本に残ったあなた(私でありあなたであり俺でありきみ)との遠距離恋愛がメインとなる曲だ。ここがスタートラインでありゴールでもある。

離れても、いや離れているからこそ。その存在の愛おしさがより一層際立つ。この火力は【恋するSunflower】にしかない。


虹ヶ咲ラブソングの中でも頭一つ抜けた2人の関係

【恋するSunflower】が非常にラブソングとして強い点として、他の虹ヶ咲ラブソングの中で最も2人の関係が進んでいるところが挙げられる。
他が大きく分けると付き合う前と付き合っている最中の二種類に分けられる中、この曲だけが付き合いながらにして別れを経ている。

この「別れ」という要素、実に手軽に高火力を出せるが扱いにくさも孕んだピーキーな武器である。
なぜせっかくの公式ラブソングで他の人達が甘々しているのに俺達の世界は別れなのだ、と悲しみを生んでしまうことになるからだ。
そういった点で、エマさんにこの別れの要素を当ててきたのは非常に巧妙だ。なぜならば無理なく一時的な別れを作ることが容易だからだ。

そう、一時的にスイスに帰国したのだなという脳内補完が容易だからだ。なんらかの理由でエマさんにも帰らなければならない事情があり、俺達は愛し合っているまま一時的に離れ離れになってしまったと。
そんなエマさんのスイスからこっちを想い続けるくそでけえ心情を歌詞としてつらつらと綴ってきているわけである。こんなの聴いて情緒ぐちゃぐちゃにならないはずもない。今すぐスイスへ行くぞ。

付き合い始めだとかその辺のプラトニックな感じも既に俺達の間では「思い出」なのだ。でもそんな出来事を思い出せばいつだってあの頃のような甘くてほろ苦い気持ちを感じることができる。
確実にエマさんと過ごした記憶が存在している。一緒に観覧車に乗った、海岸沿いを二人で歩いた、人混みの中で離れないように手を繋いだ。全てが愛おしい思い出。
それだけではないだろ。お前は、俺はエマさんとどこでどんなことをして過ごした? 覚えているだろう。あの日、一緒に食べたご飯を。一緒に遊んだあの時間を。あの微笑み合っている「写真」を撮ったあの日を。
かけがえのない、俺だけの”””笑顔”””を。

これである。【恋するSunflower】の真髄とは。エマさんと過ごした記憶全てがのしかかり火力となり降り注いでくる。彼女のことを考えた時間が長ければ長いほどその愛おしさは尋常でないものとなる。
なぜならばエマさんもまた同じ湿度、同じベクトルでこちらのことを想い続けてくれているのだから。それが歌にのってこちらへ伝わるのだ。
海があろうが国境があろうが歌は届く、エマ・ヴェルデの歌が、想いが俺へと現にこうして届いているのだ。

二人で過ごした瞬間瞬間全てが思い出になる。これはもう付き合って幾ばくか経つ、という時間の積み重ねが成せる業だ。

無論、どんな時でも思い出せるだろう?

絶対にまた結ばれるという安心感

どれだけ季節が変わっても
あなたへの想いは枯れることなんてない

恋するSunflower/エマ・ヴェルデ(指出毬亜)

【恋するSunflower】の持つ歌詞の強い力の正体、それは必ずまたこの恋は再開するという安心感からきている。
なぜならばエマさんはこんなにもこちらのことを想ってくれているし、同じように俺も彼女のことを想い続けている。故にまた結ばれるのは時間の問題だ。

だからこそ、解釈を更に広げることができる。なにか並々ならぬ理由で二人は離れた、エマさんはスイスへ行ったのだと。
互いに譲れぬ夢があったのだろう、涙を呑んで一時的な別れを受け入れざるを得ない理由が必ずあった。だが、だからそれは必ず再開するという事実の味付け足り得る。

なぜならば【恋するSunflower】においてエマさんは前を向いていない。俗な言い方をすれば、スイスでの新しい恋に目を向けていない。ただ、俺との思い出を抱きしめて生きている。
なれば必ず二人はまた結ばれる。そう、この曲の非常に深い点として離れ離れの状態ではあるが別れや新たな出会いを想起させるものは一切描かれていない点にある。
本当にただただ、今は別々のところにいる。というだけだ。

分かるか、だからこそ【恋するSunflower】だ。【あなたに向かい恋をしている わたしはSunflower】なのだ。離れ離れになっても、離れたからこそ今だって【恋をしている】わけだ。この想いは不変だ。
自分を「Sunflower」つまり「ひまわり」に例えて繰り出す【あなたに向かい】というフレーズよ。一般的にひまわりは太陽に向かい花を咲かすとされているな。
要するに「あなたという太陽に向いて花を咲かせる(綺麗な姿を見せる)」ということを歌っているわけだ。あまりにも、圧倒的に愛おしい。この火力は群を抜いてずば抜けている。
あまりにも一途、それでいて純情。あのエマさんの笑顔が目に浮かぶ。本当に心の底から愛おしい。

非常に俗っぽい話をして悪いがSunflower、つまりひまわりの花言葉に「あなただけを見つめる」というものがある。
これは決定打というよりもダメ押しに近い。

あとはいつ、彼女を”迎え”に行くのか。それともここで"迎える"か、それだけだ。

どんな時でも思い出せるよ

エマさん。あなたと過ごした時間だけが俺の全て。この街で見つけた、まるで奇跡のような出会いから全てを覚えている。

二人で一緒に歩いたあの海沿いの道。季節の移り変わりで景色が変わる中、変わらないあなたの笑顔だけが俺の人生の煌めき。

あの「写真」を撮った時から季節もすっかり変わった。それでも微笑み合っているあの時から全く気持ちは変わらない。それはあなたも同じだと、そう思えるから。
次の夏には、変わらないあの笑顔を見られるのでしょうか。あのかけがえのない夏のように。ああ、二人で過ごした時間だけがこの胸を温かくする。

あの頃の二人じゃないからこそ、いつだってあの頃のように迎えたい。ひまわりが太陽に向かい咲くように、太陽もまたひまわりを見るために天へ昇る。
必ずまた逢える、その時は近い。ああ、本当に愛おしい。早く迎えたい。

俺だけの─────「Sunflower」を。

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