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世界観を尖らせる

今、僕は自分のことを尖らせるフェーズだと思っている。あえて情報も制限して、内に内に力を働かせている。あえて自分の周りに自分だけの小さな井を作り、あえてその小さな井の中に住む蛙となっている。

井の中の蛙や自分の殻と聞くと、色々と悪いイメージばかりが浮かんでしまうが、別に悪いことばかりではなく、僕みたいな必要な人にとってはすごくいいことだと思っている。外側を見ることで見えてくる世界がある一方で、外側を見ないで見えてくる世界もある。僕は後者の方が限定的で希少価値が高いとすら思っている。

基礎があるから他を知れる

何故、僕がこのような内にこもる生活をあえてしているのか?

それは、「生きてる世界をあえて狭くして自分の中の基礎となる世界観を尖らせている」ということがなかなか大きいように感じる。勿論、その他にも色々な理由はあるものの、あえて世界を狭くして自分の基礎を確立することで、その後がうまくいくようになるなと思ってるという理由は結構大きい。

僕は、人の思想は究極的に言ってしまえば「比較」でしかないと考えている。個性とかその人らしさと言われているものさえも、ある一定の基準に基づいた比較の集合体でしかなく、その人らしさを決めるのは、間違いなく基準であり、そこからどのくらい離れているかという差であると思っている。

つい最近まで働いていた会社で、僕は歴史・経済の分野に所属していた。僕が主に扱っていたのは歴史だったが、入った時は歴史も経済も何もわからない状態で、どの分野にもほとんど関心のないような状況だった。

しかし、仕事をしなければならないから歴史や経済について語れるようにならないとならなかった。特に議論が白熱しやすい分野なので、自分の意見を持っているということが大事であった。

そこで一番感じたのは、人間は何かしら一本の軸を持っていないと話すこともできなければ、判断することもできないということだった。

配属された当時の僕は、自分のクライアントさんの言うことを全て丸呑みにしていたし、盲目的にそれを正しいと思っていた。というより、丸呑みにするしか方法がなかったと言った方が正しいかもしれない。

その時期は、クライアントさんのことや商品のことを学ぶためにも、ひたすら自分のクライアントさんや会社が契約しているクライアントさんの言うことを学んで、自分の中に一本の軸を作っていった。そこには、客観的な批判などなく、言うこと全てを受け入れて、自分の思想へとしていった。

そして、何ヶ月経ったところで僕はある程度であれば、歴史や経済について語れるようにもなり、僕より3世代くらい上の方とも歴史や経済について話せるくらいにまで自分の中に基礎となる部分ができていた。

そして、土台ができ、土台を基にしながら外と触れることで、初めて自分との違いを理解することができ、考えの多様性や自分の思想の正当性を知ることができた。何かしら一本の軸が自分の中に通っていたからこそ、他の人の意見から何倍もの知見を得られることができ、客観的に自分自身を見ることもできた。

一つの意見を丸呑みにすると聞くとすごくよくないような印象を受けるが、結果的にある情報を盲目的に丸呑みしたことで、自分の中の尖った基礎の部分を確立することができ、それを持って外と触れ合うことで、自分以外の世界を知ることができた。

この経験から、僕は外を効率よく知るためには何かしら一本の軸を自分の中に持つことが大切だなという考察を得た。その意見が合っている合ってない関係なしに、確固たる自信を持って人の話せるくらいの煮詰まった、尖った軸を持っていること自体が大切であると思った。

尖った世界観は脆く、そして強い

基準があるからこそ自分を知ることができ、自分を知っているからこそ他人の違いに気づくことができる。

尖らせた自分の中の世界観は、一度尖らせてしまえば外の世界を知ることで色々かけて削ぎ落とされていくものはあるものの、世界観自体はより尖ったものになっていく。

しかし、丸い世界観は外の世界を知ることでより丸みを帯びてしまう結果となる。丸はおろか、何の世界観も持っていなければ、外すら知ることができない。

現代は、世界がグローバル化されており、常に誰かと繋がっているため、隣の人ととも自分と違う人とも距離がすごく近い。少し外に行けば、すぐに外の世界を見ることができるが、その一方で、自分の世界感を尖らせることは難しい。出る杭は打たれるし、尖ったものは叩かれて丸められてしまう。

特に、企業などで仕事をするようになれば、必然的に思想は少なからずは丸まっていくし、社会性の獲得と同時に鋭利な自分の世界観は喪失していく。思想が行動を生み、行動が最終的な結果を生むと考えると、同じような丸まった思想は他と同じような結果しか生まないことは目に見えており、尖った世界観こそが斬新な結果を生むのは自明の理であろう。

だからこそ、自分の世界観を僕はすごく気にしていて、今はそれをひたすら尖らせるためにあえて情報を遮断したり、他との接続を切ったりしている。これが合っているかどうかわからないが、僕は経験値からこの行動が比較的いい解だと思って行動している。

たまに、自分の中に入ってきてしまう外の世界の情報によって、自分の不足に気がつき、へこんでしまうこともあるが、今は何より尖らせることが大切で、人間としての大きさは後々いくらでも取り戻せるものだと思っている。

今はひたすら尖らせるだけである。それが今の僕の最適解であり、22歳の若造が考えた今のところの結論である。

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1997年の日本生まれ。