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クリエイターと著作権

「いかにを多くの人を楽しませるか」

クリエイターやエンターテイナーたるものにとっては、この課題が至上命題になるであろう。一人でも多くの人に、できれば1mmでも深く自分の表現や創作が伝わって、それを面白いと思っていただければいいなと考えるであろう。

純粋な気持ちをも規制する「現代の著作権」

先日、大学のサークルで大変お世話になった先輩の結婚ムービーを作らせていただくことになった。二人の生まれてから今に至るまでと二人の出会いから結婚までを紹介するあれだ。

一生に一度の幸せな結婚式で流れる自分たちのムービー。自分たちが主役になることを許された時間なのだから、自分たちを余すところなく表現したい。好きな写真に好きな音楽、好きな映画に好きなブランド...

自分たちの「好き」で埋め尽くされたムービーで自分たちを表現し切りたいと思うのは普通な考えだろう。しかし、現代社会において、自分の好きをムービーとして公に表現することは許されない。

外部に依存している(自分が作っていない)ほとんどの「好き」は著作権において守られており、それを使用すると犯罪を犯したことになってしまう。純粋な自分の「好き」を表現しようと思うと、その先には犯罪が待っているのが現在の社会である。

権利は諸刃の剣

ブランドや製作者からすると、確かに「著作権」がなければ自分の作品を悪しき模倣者から守ることができず、すぐに複製されて我が物顔で再販されてしまう。

現代のデジタル社会においては、複製の限界費用がほぼゼロなので、自分の作った価値は著作権がなければ一瞬にして消えてしまうに等しい話になる。

ただ、ここで疑問を呈したいのは「著作権」によって本当に守ることができているのか、そしてこれからも守ることができのかということだと思う。

正直、海賊版やコピーブランドが横行している現代において、著作権は一部機能しているものの、出てくる方が規制する方よりも多いため、意味を成していないケースも多い。

大々的にパクるということはないが、一部を模倣するということは日常茶飯事で、どこまで模倣すると著作権に侵害するのかというのもグレーゾーンである。

現在注目されているブロックチェーン技術は、著作権を守る方向で進化を続けており、これがうまく実装されると著作権を明確にすることができるという。

しかし、こんなにも海賊版が横行し、純粋な気持ちさえも踏みにじってしまうような不都合な部分がある以上、本当に「著作権を守る」というのが最善策なのかというのは考えものであるとしか言いようがないように感じられる。

人の作品を使ってその作者を貶めるようなことをする人は確かに良くないし、人の作品を使って楽して儲けているような人を見るのがムカつく人もいるだろう。

一方で、純粋な気持ちでそれを使いたいのに、著作権によって使えないということで悲しんでいる姿のがいたたまれなく思っているクリエイターもいるだろう。

著作権に限らず、権利は自分を守ってくれるが、他方で幸せにした人の数を減らしているのは事実である。

無料化の波が変える権利の形

現在確実に来ている「無料化の波」によって、創作物の定石が少しづつ変わって来ている。

見せないで売る手法が、先に見せて確認作業や記念して買ってもらう手法に変化したり、そのコンテンツ自体を売るのではなくて、その先にある体験やコミュニティを売るという流れまで出てきている。

クリエイターにとって、最も深刻な問題といっても過言ではない「権利」の問題だが、ここが思考停止になったクリエイターはあとあと自分の首を自分で締めるようになってしまうので、ここにはしっかりと向き合わなければならないと最近つくづく感じている。

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1997年の日本生まれ。