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趣味と仕事と距離感と。

「好きなことを仕事にする」

最近流行っているこの言葉が巷では擦り切れるほど叫ばれているが、その反面好きなことを仕事にしないほうがいいと意見も多数見受けれられる。

気軽に始めた趣味が仕事になってしまった瞬間、従来感じていた楽しさが全くなくなってしまい、昔の趣味がつまらない小遣い稼ぎの義務的なタスクに転落してしまうことはよくあると聞く。

人間はどうもやらなくちゃいけなくなった瞬間に、それが退屈で辛いものに感じてしまう節があるらしい。

今の自分も多分にもれず、その状況にあって、あんなに好きだった読書も毎日「数」に追われているし、好きで始めたはずの映像編集も何故か最近は嫌々ながらにやっていることが多いように思われる。

ではなぜ、人は権利として趣味だとそれ自体を楽しむことができるのに、義務になると楽しさを忘れてしまうのだろうか。このことについて自分なりに少し考えてみようと思う。

組み合わせと距離感

僕は、世の中の重要なファクターとして「距離感」を常に大事にしようと考えている。

それは人間関係に限らず、その作業との距離感も大事な距離感だと考えている。趣味の場合は少し離れている距離感になるし、仕事の場合はそれよりもさらに近づいた距離感になる。

作業とその人の距離感は、人間関係と同じで距離感が近くても大丈夫な人もいれば、一定の距離感を保てないと一気に嫌になってしまうものもある。

「やらなくちゃいけなくなった瞬間に、それが退屈で辛いものになってしまう」というのはまさに、その作業が一定の距離感を保てないと一気に嫌になってしまうものということを意味しているのだと思う。

厳密にいうのであれば、今対峙している角度やポジションが近づきすぎた時に合わない感じになっているというのが正しいだろう。

というのも、何事も色々な側面があるので、自分にもたくさんの分人的な側面もあれば、その作業にもたくさんの細かな側面があるから一概に近いとダメとは言えないからである。

今は、その近づいている面同士があっていないだけで、自分の向いている方向を変化させたり、その仕事の捉え方を変えたりすることによって、一定の距離感を保てないと一気に嫌になってしまうものが距離感が近くても大丈夫なものになる可能性は十分にある。

ほとんどの組み合わせは一定の距離感を保てないと一気に嫌になってしまうなので、「やらなくちゃいけなくなった瞬間に、それが退屈で辛いものになってしまう」ように感じてしまうが、どこかの組み合わせには必ずそこを突破できる組み合わせがあると思っている。

ただ、「距離感が近くても大丈夫=良い」だということは決してなくて、その人に最適な距離感があるので、そこは自分の身体と相談しなければならないことだとは思う。

好きで始めたことは言い訳できない

自分で決めたことを守れないのは精神的に苦しい。

だが、自分の身体が拒否していることをするのは難しい。故に、自分で決めたことなのに自分が拒否しているという状況は負のループは自分を苦しめる方向に進んでいく。

それに加えて、それをしないとお金が稼げないといった外部環境が入ってくると、自分と外部環境との板挟みになるので、どんどんと自分を責めてしまうようになってしまう。

そんな時こそ、その作業との距離感や組み合わせ方を見直した方がいい。その作業の好きな部分に焦点を当てるであったり、その作業への考え方を変えるであったり、何かしら変えることによって活路が見えてくる。

やらされている仕事の方が断然きついようにも見えるが、やっている仕事の方が言い訳ができない分きつかったりすることもある。「嫌だ」と思いながら好きだった作業をなくなくやることは、自分との折り合いをつけられなくなってしまう。

仕事と遊びの過渡期だからこそ、今一度距離感と組み合わせ方を考えたいところである。

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1997年の日本生まれ。