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私の生きることへの原動力

久々に更新します。

東京EX THEATER ROPPONGIにて 先月行われた、私が心酔するバンドのツアーファイナル。
そうですね、トップ画像を見ればお分かりかと思いますが、「人間椅子」です。

人間椅子、ご存じでしょうか。
1987年以来、35年に渡って活動し続けている、3ピースロックバンドです。
ギターのワジー、ベースのケンちゃん、ドラムは数回メンバーが交代して現在はノブさん、通称アニキです。

私は彼らの歌う日本語ロックに支えられて生きています。

彼らの音楽に初めて出会ったのは私がまだうら若き乙女であった女子中学生の週末の深夜。
幼馴染のエッちゃんが泊まりに来ていた晩のことでございます。

当時洋楽一辺倒だった私は週末の夜は毎週欠かさず小林克也の「ベストヒットUSA」を見ておりました。
その晩もいつもの如くベストヒットUSAを見ようとTVをつけたところ、私と違ってナウなヤングだったエッちゃんに
「なにその番組。イカ天見ようよ」
と言われ、当時JCに大人気であったイカ天を見ることになりました。
当時の邦楽の流行りに全く興味がなかった私は釈然としませんでしたが、たまに泊まりに来たエッちゃんがそう言うのならここは譲っておくか…と渋々イカ天にチャンネルを合わせました。

初めて見るイカ天。
週明けに皆がキャッキャと話題にするので番組の存在は知っていましたが、見るのはその時が初めてでした。

何のバンドが出ていたのか…
ぼんやりと、見るともなくただ画面を眺めていたので全然記憶にありませんが、確か数組目に出てきたのが「人間椅子」でした。
当時の私は、流行りに疎い、オシャレに興味のない、ガリ勉タイプの文学JCでした。
愛読書は横溝正史、江戸川乱歩、コナンドイル、聞く音楽はTHE BEATLES、DEEP  PURPLE。
そんな私の耳を打ったのが、人間椅子の「賽の河原」。

重いロックのメロディに載せた、賽の河原にいる哀れな子供のことを歌う歌詞に度肝を抜かれ

「なんだこれは」

と画面に釘付けになりました。
エッちゃんに「このバンドなに!?」と聞いても、明らかに流行りの音楽ではない暗く重いロックに興味のない彼女は「知らない〜。」と、彼らについての情報はないようでした。
今と違いネットのない時代、気になったことがあっても自力で調べるのは難しい。ましてやバンド名も分からない素人のグループについては調べようもなく、「あのバンドは一体なんだったんだ…」と思いつつ、日々の中に埋もれていってしまいました。
ただ、

これはこの世のことならず
賽の河原の物語

という歌詞と、その後に続く

ひとつ積んでは父のため
ふたつ積んでは母のため
みっつ積んでは人のため

という歌詞が、いつまでもいつまでも心に残っていました。

彼らの音楽との再会は、それから一気に数十年ブッ飛びます。

あれは2018年。
中途採用で入ってきた人物が新たな直属の上司になり、色々ときな臭い動きをし始め、私が所属する部署とその周辺の関連部署が次第にざわつき始めていました。
転職活動を始める人も見え始め、これはそろそろ潮時だなと見切りをつけ、私も一気に転職活動を進め、心機一転、新たな職場へと勤務を始めました。

そこでうまくいけばめでたしめでたしでしたが、心機一転し過ぎて未経験のジャンルの職種への転職だったため、ストレスフルの生活の始まりとなりました。

これはちょっとミスったかなぁと思いつつ、粛々と日々過ごしておりました。
心の支えは、毎日の通勤時間中にヘッドホンで爆音で聞くHR/HM系の洋楽。
BLACK SABBATH、Deep Purple、LED-ZEPPELIN、AC/DC……
あぁ、いつ聞いても、何度聞いてもいいなぁ…心が開放されるなぁ…と思いつつ、しょぼくれた毎日を送っていたある日、突然、上記の歌詞が脳裏に浮かびました。

そうだ、イカ天で聞いたあの曲。
あれ、なんて曲だったんだろう???

当時、なんというバンドのなんという曲だったのか、結局判らずじまいでしたが、今は21世紀。
私の手の中には、スマホという文明の利器がある。
そしてその中には、当時は存在しなかったGoogleというざっくりなんでも教えてくれる先生がいる………!!!!!

「イカ天」「これはこの世のことならず 賽の河原の物語」等々のキーワードでggったところ、それが当時イカ天に出演した「人間椅子」というバンドの曲であるということが分かりました。
そこからは早かった。
人間椅子についてggり、彼らが当時からずっと現役で活動し続けていることが分かったのでApple musicでアルバムを漁り、全てのアルバムをダウンロードし、通勤時間の音楽は洋楽から人間椅子へと完全交代をしました。

彼らの音楽の素晴らしい点は、心が求めるHR/HMのビート、メロディでありながら、なんと言っても全ての歌詞を日本語だけで作っているというところ。
BLACK SABBATHもDeep PurpleもLED-ZEPPELINも聞いてるだけで心癒されるけども、いかんせん英語なので所々しか何を言っているのか理解できない。
曲全体で言わんとしている内容まで理解するのは難しい。
ところが人間椅子の場合、全ての歌詞を日本語で歌っているため、曲を通して言わんとしていることが全て理解できる。
曲と歌詞とが、一体となって理解ができる。
こんなに素晴らしいことがあるだろうか。

私の通勤時間は彼らの音楽に酔い痴れる時間となりました。
彼らの音楽を聴きながら、ストレスに抗う日々。

そんな中、今や持病となった多発性硬化症(MS)の発症。

不慣れな業種に馴染めぬままの休職。
退院の目処も立たない。

これから自分はどうなってゆくのか、どうすれば良いのか、全く分からなくなっていました。

その初発入院の最中、彼らの公式サイトで思い切って初投稿したQ&Aに、ベース担当の鈴木研一氏、通称ケンちゃんが、その人柄が滲む優しいお応えを返してくれたのです(あまりの嬉しさに記事にしていますhttps://note.com/my06/n/n7b54823c0384)。

ケンちゃんが、私に向けて、私だけに向けて、メッセージをくれた。
なんという喜び。
私の暗夜に、光が差した瞬間でした。

それ以来、更なる転職やMSの進行、周りのMSへの無理解など厳しい状況に喘ぎつつもなんとか生き続けておりますが、彼らの作るメロディが、ビートが、歌い上げる歌詞が、私の生きる原動力となっているのです。

誰かの作ったものが、全く関係のない赤の他人の生きる支えとなっている。
とてつもないことだと思います。

誰でも、生きることに不安を抱く時はあるかと思います。
それは誰にでもある日常の小さなことが原因かもしれないし、原因不明の病が原因かもしれない。
私はある時突然自分が原因も分からず根治も出来ない病を患っていると知り、運良く早期確定診断を受けることができましたが、今後医学が飛躍的に進歩してくれない限り小康状態を保つことはあっても良くなっていくことはありません。
再発を防ぐ薬の効果か今のところ大きな再発はまだありませんが、いつ再発をするのか、再発をすれば次はどのような後遺症が残っていくのか全く分かりません。

でも、もしまた入院が必要な大きな再発を起こしたとしても 更に重い後遺症が残ったとしても。
彼らの音楽が、私の歩く道を僅かでも照らす光となり続けてくれると信じています。

彼らの音楽こそが、私の生きる原動力なのです。

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