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動悸のない日常A

小紫作
 ことの発端はアルバイト先で、「○○人とつく流行っている言葉知らない?」と聞かれ
たことだったと思う。三十も年上のおじさまというには品がありすぎる、いつも髪の毛が漆みたいに黒黒と人工的な光沢を放つ先輩だった。
私はリサイクルショップに持ち込まれた古着の鑑定をするため、ルーペを蟻を観察する自由研究中の小学生男子のように一心に見ているときだったから「はあ」という気の抜けた声しか出なかった。
「相川さんってZ世代だよね?今の子達ってワークマン女子とか言うじゃん。じゃあなんとか人とか言うのかなって」
ナントカジンと反芻させるも宇宙人しか出てこない。いやいやそもそもZ世代は今の高校生であって大学生の私はZ世代に入るのかも怪しいとさえ思ってしまう。
「えぇ、あんまり言わない気がしますけど、どうなんでしょうね。また思い出したら伝えます」
きっとその時は来ないのだろうなと思いながら曖昧に返事をした。面接でもないため相手も次の瞬間には「このボタンのパンツ、偽物じゃね?」と顔をしかめていた。
 私は頭の中でずっと蜘蛛が糸を引くようにシーと考えていた。○○人、若人、老人、これは歳を表す肩書。見る人見られる人、例えば芸能人が見られる人ならば世の中9割は見る人になる。では画家は?見る人でありながら見られるものをつくる、違うキャラクターを動かす作家や映画監督なんかよりもより作家自身とリンクさせられる画家は何になるのか。そこまで考えてそういえば、美術部だった高校生の頃、変人と呼ばれている何もかもが少し風変りだった友人を思い出した。
(あの子は今何をしているのだろう)
小さな疑問は膨れ上がり、息を吐いて萎んで消えた。心には不完全燃焼のモヤッとした灰色だけが残る。こうしたときに人は逃げ出したくなるらしい。唐突にどっかへ行きたいと思った。
 衝動を少し、投げやりではないけど目的はない。動悸は色々。そんな意味不明の感情で一人旅に出た。無理やり意味を持たせるならば同期のない旅とかいう自分に酔った奴しかやらないようなへんてこで一般的な旅。方角だけおみくじで決めた。幼稚園のころからお世話になっている顔見知りの神主さんが、「相川さん家のお孫さんが来たよ」という受付のおばさんの声で呼び出される。神主さんは寝ぼけた顔を小窓からのぞかせた。
「あーあーおみくじ?ちょっとまっとてな。あゝ、おばあちゃん元気かいな?」
そんな他愛もない話をしながら一番先に人差し指にあたった紙を取る。最後に会釈だけ忘れずに木の陰で細く折りたたまれたおみくじを開いた。
「吉、か。つまらん」
北が凶。過激な思想家が書いた小説、寺の放火犯の動悸に習って北に行くことにした。
 翌決行日。持ち物は充電67パーセントのスマホと有線イヤホン、あと一万円チャージしたICカードをポケットに入れた。急行電車に飛び乗って景色に山がいよいよ近くなったとき、一文字も読めない看板が出てきたから降りてみる。
「のぶ、しん?わあー、山だ」
コントラストの強いコンビニの看板や、先祖代々が経営していたのだろう鈴木とか藤原だとかの名がつく接骨院もなく、ただ山となけなしのコンクリートの道が、上からポイっとおかれたような地形で広がっていた。
まさに田舎の景色だと思って進むと緑と茶色の自然の色しかない世界で、赤いおもちゃみたいなヒールが一足道端に転がっている。靴自身が一歩踏み出したような光景に惹かれふらふら向かうと、「閉店セール」と書かれた靴屋だった。奥を見ると店主らしき白髪交じりの、白いタンクトップを着たおじさんが煙草を吸っている。埃をかぶった色とりどりの彩度を落とした靴は、まるでそこが靴の墓場かのように見えた。蝉が一節を奏で終わるくらいに悩んでから、そのヒールをろくに試着もせずに買った。すぐ隣にあった駅のロッカーでつま先が黒くなったスニーカーと履き替えて鍵を閉める。再び歩き出すとカツカツと田舎景色には似合わない音が響いた。私は足元を気にしながら北へ向かった。
 「す、すみません。あの、ごはんまだやってたりしますか」
途中でこうなれば普段行かないような変な所へ行こうと、ショーウインドウの端に蜘蛛の巣がかかるような、全てが茶色い配色の中華料理店に入った。
「はいはいはい、やってるよ」
やってっよと爪で弾くようなイントネーション。湯気が上がる調理台から店主が顔を顰めて笑った。そのすぐ目の前に常連らしき黒いスウェットの作業着と私服の中間あたりの装いをした男が肩肘を置きながらラーメンを一心不乱にすすっている。最奥から二番目の、柱が角になっている机に迷いながら座る。くたびれて端が二重になった手書きのメニュー表には天津飯、中華丼、餃子といった料理が辛うじて読み取れた。
「はい。お冷です。注文は?」
少し圧を感じる語尾でいつの間にか大仏のようなパーマを当てた女性が顔を覗いてきた。
「あ、えっとぉ…ラーメン」
つい最後に見たものを頼んでしまうのは私の好きじゃない癖だ。
(本当は天津飯を食べたかったのに、莫迦)
少し後悔しつつ何も言わずに去ってしまったおばさんの丸い背中を見守りながら、ひっ
かき傷が所々で反射するプラスチックのコップに入れられた常温の水を飲んだ。
(あ、川の、草の根っこの匂い)
そう一度認識してしまうと二口目が何となく飲みにくくて、店内をただきょろきょろソワソワしながら汁物・ラーメンが来るのを待った。おばちゃんの親指が入ったまま運ばれてきたラーメンはインスタントの麺をじゅくじゅくに煮たみたいであまり美味しくはなかったが、原形をとどめないほどまでに煮込んだチャーシューは美味しかった。何の肉かは分からないが。一杯700円の満腹感を感じながら暗い店内を後にする。ショーウインドウの天津飯を目の端で見て、背伸びをした。天に突きあげた腕が腰から震えるのを感じる。少し道にそれたところでカシャと一枚写真を撮った。少しブレた赤い看板とショーウインドウの中にあるラーメンを端に添えた一枚をSNSに雑に投稿した。
 次は資料館か美術館か分からない他とは違う作りの建物に入ったり、地図アプリが莫迦になって遭難しかけたり信じられない位大きな蜘蛛がいつの間にか手の甲に乗っていたりとたしかに「凶」にふさわしい出先となった。最近読んだ小説の主人公をまねて煙草片手に小さな木造の二階建ての旅館へ泊まってやろうかと思ったが、ヒールが折れたので帰ることにした。折り返し地点、イヤホンのコードでヒールを乾いたナポリタンみたいにぐるぐる回して固定し、行きに入った中華料理店で天津飯を頼んで写真を撮った。 記念に料理屋の名前だけを文字に入れてインスタに上げた。
 夜。さて、帰ろうとスマホを見ると、一年は会っていない友人のインスタが画面に通知された。誕生日を祝うだけの連絡がすうっと上まで続くような友人は高校生の頃、美術部だった当時一番仲の良い友人だった。インスタに赤いヒール、ラーメン、森の中の資料館をただ何の文字も添えずに流していたけれど、最後に店名を添えてアップしたからか赤いハートマークが一年振りについたのだ。
「誕生日おめでとう」
「今年こそは絶対あそぼ」
そんな言葉の羅列を上へ上へスクロールすると「信細市の引っ越し完了!桜良の好きなハーゲンダッツを補充して待ってます。溶けるる前に家に来いよ」とメッセージが掘り返された。擦れた足の筋が痛いのを誤魔化しながら、真夜中、駅の石垣の上に座る。今、メッセージを送ると蜘蛛のような糸の繋がりは消えるかもしれない、いつかいつかの先延ばしの約束。蜘蛛の糸を切るのはきっと簡単で、それよりも巻き戻して蜘蛛が糸を垂らすのを待つ方が難しい。
「このままでもいいかもしれない」
今までもそうだったようにこれからも変わらない関係で、気心の知れた「知人」の関係性でいいのかもしれない。なんなら相手もそう願っているかもしれない。そんな思いが電車の汽笛の音と共にかき消された。
「それでも私は、知人じゃなくて友人になりたいよ、もう一度」
人差し指でメッセージ画面の紙ヒコーキのような三角を押した。
『ハーゲンダッツが溶けていなかったら週末、会いに行きます』
 日が落ちた後の終電間際の電車は、ここが地元に向かう電車だと忘れそうになるくらい変わった空気間をもつ乗車客が存在を放った。
片道3320円の北旅行。窓の外を見ると一つ窓の大きな光が段々と高く小さく積まれる様子がパズルみたいで面白い。電車はいつもスマホを見るか寝てしまうため、こんなにも一心に窓を見ていたのは小学生生学年振りかもしれない。そうこうしている間に真っ暗になった世界で知っている景色が流れ、読める漢字の駅名の、一番安易な名の駅で降りた。
見慣れた接骨院と古びた薬局に、スナックから野太い歌声が漏れる最寄り駅に降り立つ。
たかだか二十四時間も経っていない旅行、一日SNSを見ていれば何事もなく終わってしまうような時間のなかで確かに何かが変わったがして。細胞が反転したような気持ちになった私は、履き古した靴擦れのしないスニーカーでゆっくりと帰る。人々の小さな夜の喧騒が小さくなるなか、ジーンズの右ポケットに入れていたスマホが一回、猫の欠伸のように震えた。

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