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白昼夢

はちみつねこ作
 Aと出会ったのは、高校二年生の春だった。
新学期のクラス替えで、一年の頃にできた友人たち全員と見事に離れてしまった私は、始業式の日から暇を持て余していた。そんな私に話しかけてきたのが、隣の席になったAだった。
Aはとにかく人との距離の測り方が下手だった。そしておしゃべりだった。そんなAが当時の私にはうっとうしかった。しかし、Aは私の露骨に嫌そうな顔にも気がつかなかった。Aは同時にとんでもなく鈍いやつでもあったからだ。
Aは休み時間になるたび、私に話しかけてきた。だいたいがどうでもいい話だった。私は常に話半分で聞いていた。そうしてあっという間に一年が過ぎ、Aのあしらい方もわかってきた頃。

Aは突然いなくなった。

それから数年。
Aから手紙が届いた。
手紙の消印は、一度聞いたことのあるAの生まれ故郷の村のものだった。今、Aはこの村にいるのだろうか。
行ってみようと思ったのはすぐだった。言いたいことも文句も、さようならも言えなかったのは腹が立ったから、わざわざ訪ねて行ってこの怒りをぶつけてやろうと思ったのだ。

Aの村は山の奥の奥のさらに奥にあった。
電車を乗り継いで、数時間に一本のバスに揺られること一時間。ようやくたどり着いた。秘境のような場所だ。
Aの家は、ここからさらに南西に三十分ほど歩いたところにあるらしい。
この田んぼが広がる中に民家がぽつぽつあるだけの道を歩くのか。迷いそうだ。しかも、街灯すらない。この村の住人は夜に出歩かないのだろうか。
何もないあぜ道を、ときどき辺りの景色を見回しながら歩いていると、だんだん日がてっぺんから下り始めた。はやくAの家にたどり着かないと、この本当に何もないところで野宿しなければならなくなる。それだけはいやだ。
歩くペースを速め、ただひたすら歩くことに集中していると、目の前に少し大きな民家が見えてきた。瓦屋根で木造で造られている。
洗濯竿のある庭を横切り、引き戸の前に行く。インターフォンを鳴らそうと思ったがなかった。仕方がないので、引き戸を叩くことにする。
すぐに返事があって、引き戸が開く。現れたのは、数年ぶりのはずなのにあの頃とまったく変わっていないAだった。
こんなにあっさりと再会できるとは思っていなくて、私は固まった。しかし、Aは驚いた様子もなく「久しぶり」と挨拶をしてくる。
今までいったいどこにいたのかとか、なんで急にいなくなったのかとか、突然連絡をよこしてきてなんのつもりだとか、いろいろぶつけてやりたい言葉はあった。しかし、のんきな声に言いたかったことが全部飛んでいってしまった。なんとか挨拶だけは返す。
それから呼吸を整えようと深呼吸したところで、奥からAのお母さんらしき人の声がした。
「お友だちが来たの?今日はもう日が暮れるから泊まっていってもらいなさい」
 空を見るとあかね色に染まり始めている。もともとバスで戻った駅の近くにあるホテルに一泊する予定だったから、お言葉に甘えるのもいいかもしれない。
 私がお礼の言葉を言おうと口を開いた瞬間、Aが遮るように有無を言わさない口調で言った。
「まだ明るいから大丈夫。送っていくよ」
 そのままAは返事を待つことなく、私の腕を引いて村の入り口の方へ歩き出す。慌てて私も足を動かした。Aの強引なところは変わっていない。
 この道を歩き慣れたAが一緒だったからだろうか。思ったより早く、村の出口のトンネルにたどり着いた。Aとはここでお別れだ。
「ここから先は何があっても振り返っちゃダメだよ」
 意味はよくわからなかったが、とりあえずうなずいておく。
 Aに手を振ってトンネル内に入った。中は灯りも何もないが、不思議と真っ暗闇ではない。壁に絡まる蔦や葉っぱの色までよくわかる。出口の光はまだ遠い。
 何メートルか出口に近づいたところで、ふいに何かが肩に触れた。振り返って確認しようとして、Aの最後の言葉を思い出す。振り返ってはダメだ。きっと虫か何かがぶつかったのだろう。そう思うことにして、止めていた足を動かす。
 それからだいぶ歩いてようやく目と鼻の先に光が見えてきたところで、今度は誰かの声が聞こえた。それは大好きだったおばあちゃんの声に似ている気がする。懐かしい気持ちになって振り返りそうになった。だけど、Aの言葉と何かが引っかかった。そうだ。おばあちゃんは私が中学生になる前に亡くなったはずだ。途端、おばあちゃんに似ていると感じていた声が、耳障りな金切り声のような、雑音のような音に変わる。おおよそ生き物が出せるような音ではない。そう感じた瞬間、怖くなって振り返ることなく目の前の光に飛び込む。
そこは道の上だった。外に出れば、不快な音は止んだ。もう振り返ってもいいと直感的に感じた。
恐る恐る背後を確認すれば、さっきまで歩いていたはずのトンネルがない。そこにあったのは生い茂る草木で行く手を阻まれた道だった。かろうじて下り坂だったのだろうということはわかる。こんな坂、行きも帰りも通った覚えがない。しかし、妙に足が疲れている感覚がある。坂とわからないまま通ったのかもしれない。
空を見ればまだ太陽は高い位置にあった。村で見たときは沈み始めていたのに。ふと、トンネル内から見えた光はこれだったのではないかと思った。
 坂を下るのは恐ろしく思えて、それとは反対方向に歩き出す。しばらくすれば、見覚えのあるバス停に着いた。バスはまだしばらく来ないらしい。
 バスを待つ間、考える。
そもそもAの出身だと思っていた村は、何十年も前に廃村になったはずだ。Aの生まれのはずがない。それにこの辺りにあった村や町はすべて合併されて一つの大きな市になったらしい。Aはその市の生まれだった。いつか教室で自分の生まれ故郷の話をしてくれたことがあった。だから、村の名前に覚えがあった。
いや、それだけではない。確か、私がAに会った最後の日。Aは音信不通の友人から手紙が届いたと言って、私に見せてくれた。その手紙の消印もあの廃村と同じものだった。だから、Aの手紙の消印を見てあの廃村のものだとすぐにわかった。さらにAはその友人の出身地がそこだとも話していた。いつもAの話をまともに聞いていなかった私は、それが廃村だったことをすっかり忘れていた。Aはその時点ですでにおかしくなっていたのだろう。私がAの出身地をあの廃村だと思い込んでしまったのと同じように。そしてその友人に会うためにこの村を訪れたのだとすれば。
そこで思考は止まった。バスが来たからだ。
席に座れば、急激な眠気に襲われて眠ってしまった。

私があの廃村に行くことになった原因の手紙は、いつの間にか消えていた。

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