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仮にそいつをAとする

作・おいさん

【仮にそいつをAとする】
 人間、誰しも妙に記憶の端に引っかかっている人物がいるものだ。
 仮にそいつをAとする。
 Aは自身を「部活回遊魚」と名乗っていた。Aの所属は「帰宅部」または「無所属」としか言いようがない。が、実際はありとあらゆる部活に顔を出しては、しばらくそこで過ごし、いつの間にかいなくなっている…を繰り返していた。つまり、Aはこの学校のありとあらゆる部活と部室をグルグル回っていたのだった。なので、「部活回遊魚」らしい。
 最初の頃は教師陣も難色を示していたが、これがまぁ全くもって害がない…わけではないけども、(集中を乱す的な意味で。)言い方を変えると「特になにもしない」プラス「1つの部活に居座ってるわけではない」おまけに「気にしなきゃいい」ので、1年経つころには黙認されてしまった。
 自分が所属していた吹奏楽部にも度々Aは現れた。大抵は楽器倉庫やパーカッションの練習場所に立ち寄り、使っていない打楽器を適当に鳴らしたり、誰かに頼まれたのかスタンドの錆びを落としたりしていた。そうして数日いたかと思うと、いつの間にかいなくなり、また2,3カ月経つと目撃されるのが常だった。
 こんなことをしているもんだから、当然「部活ガチ勢」の奴らからは非常に嫌われていて、Aが現れるとあからさまに態度が悪くなったり、聞えよがしに文句を言ったりするメンバーもいた。かくいう自分も、流石に悪口までは言わないにしても、授業が終わり、教室の清掃をして、階段を上って音楽室へ向かい、楽器倉庫でAの姿を見かけると途端に全身の体重が、特に肩のあたりが一瞬ドッと重くなるような気がしていた。練習中も、何かやらかしていないだろうな、と時折気になる。
 はっきり言うと、自分はAが苦手だった。
 その日は夏のコンクールのオーディションを控えていて、自分も気が立っていた。いつもより早く部室に来て、最終調整を念入りにやろうと明け方の階段を駆け上がる。
 我が吹奏楽部は、県内ではそれなりに強豪校。全国大会にも毎年…というわけではないが、それなりに進めたりする学校で、吹奏楽部を目当てに進学する生徒もいるレベルだった。
 コンクールに出場する生徒は厳正なるオーディションによって撰ばれ、審査基準には下級生も上級生もない。実力だけがものを言う弱肉強食の世界であった。そして、去年、自分は、落ちた。
地区大会でも、県大会でも、自分が座っていたはずの椅子は違う奴を乗せていて、金管は強い照明を浴びて時折ぼんやりとした光を客席に寄越した。課題曲も自由曲も、カフェかレストランのBGMのように聞こえた。そのくせして運指は無意識の内に音符の上をなぞっていく。
 人生史上最高に最低な夏だった。
あんな思いは二度とごめんだと自分を𠮟咤し、この1年練習に励んだつもりだ。自分は1stを奪い合い、それ以下になると落胆、絶望するような「ガチ勢」ではないと思っていた。しかし、それなりにコンクールには出たい欲があったことに去年のオーディションは気づかせてくれた。
できれば1st、いや3rdでもいい。今年こそあの舞台と席を手に入れてやる。
 その人生史上最高に燃えていた日に、Aは現れた。
Aはいつも吹奏楽部にいるわけではない。なんせ「部活回遊魚」である。現にこの夏は吹奏楽部内での目撃例が一切なかった、はずだ。
普段は姿を見かけたところでチラッと見て、すぐ気にも留めない存在にするはずのAだが、この日だけは事情が違った。
一世一代のチャンスを前に、気が逸れるようなものは排除しなければ、と思うがままに口を開いた。
「…何でお前ここにいんの」
「楽しいから」
Aは音楽室のメトロノームを、テンポ60で弾いた。かつ、かつと振り子が揺れる。
「この間まで居なかっただろ」
かつ、かつ。
「今日もいないとは限らないよ」
かつ、かつ、かつ。
「楽器も吹かないくせに毎回毎回来やがって」
かつ、かつ。
「だって、部活回遊魚だから」
かつ、かつ。
「なんで今日にかぎって来るんだよ!」
かつ。
「オーディションだからだよ」
きん。とメトロノームのネジが切れた。
「意味わかんねぇ」
口から零れた言葉が呼び水になって、頭に血が上っていく。
「…やる気もない奴が来られると目障りなんだよ!!本当お前なんの目的でこんなことやってんだよ!!」
されど1年たかが1年。1年間で溜まっていたフラストレーションは自分の想像よりはるかに大きく、思ったよりデカい声が出た。
一度堰を切ってしまったらもう止まらない。
「ここに来てるやつはみんな音楽と向き合って、本気で楽器演奏して、練習して、譜面覚えて、コンクールに出たいから頑張ってんだよ!!なのにお前は何もしないで、何の権利でここに居てるんだよっ!!!」
言いながら言葉はぐちゃぐちゃで、でもこいつに何か一言ぶちまけてやりたい、こいつの何かしらを責めてやりたい思いが溢れて止まらなかった。
ああ、自分は思ったよりこの部活が好きで、本気で向き合っていたんだ、と気づいた。
「うん、だから楽しい」
かりかりかりかり、とメトロノームのネジを巻きながらAは答えた。
「アツいね、きみ。オーディション頑張って。」
メトロノームをテンポ60で。音合わせのテンポで。ネジを巻きなおしたメトロノームの振り子を指で弾いて、Aは楽器倉庫を出ていった。

【仮にそいつをAとします】
 人生において、忘れられない人物という存在は誰にでもいるものです。仮にそいつをAとしましょう。
 「部活回遊魚」を名乗るAが、我が映画研究部の戸を開いたのは少々息が白くなり始めた季節でした。
 部員1名、風前の灯、孤軍と化した我が部で、人ひとり増えたことがどんなに嬉しかったか!「英語の勉強になるから」という大義名分のもと、旧校舎の空き教室に、スクリーンを物干し竿に吊るして、持参した毛布を被って『キングスマン(字幕)』を鑑賞していた僕は建付けの悪い扉がガタガタと開けられる音に心を躍らせました。
 丁度かの有名な「マナーが紳士を作るんだ」のシーンで、扉の鍵が閉められる場面、まさにその時に教室の扉が開かれたのです。
 僕は背後に人がいる気配を感じつつ、映画に集中するよう努めました。それでも、自分ではない他人の視線が、僕の好きなものに僕以外の視線が注がれている喜びが背中を電熱ヒーターのように焼いていました。
 映画が終わり、すっかり暗くなった教室の電気をつけてから僕はようやく振り返りました。しかし、そこにはもう誰もおらず、ただ冷たい鉄のロッカーが鎮座しているだけでした。
 それから、僕とAとの言葉の無い交流が始まりました。
 僕が好きな映画を上映する(もちろん字幕で)。すると背後の扉が開いて、Aが入ってくる。二人で一緒に映画を見て、終わるころにはAはいなくなっている。僕は感想をノートに書いて、部のポストに入れて帰る。それが2カ月ほど続きました。
 終わりは突然訪れました。旧校舎が老朽化により、冬休み中に取り壊すことが決まったのです。それに伴い、映画研究部も廃部が決まりました。
 元々、Aを入れたって部活動として認められる部員数を大きく下回っていた部活でした。だから廃部になることに、悲しみこそすれ、怒りなどは沸いてきませんでした。ただ、独りぼっちなのが寂しいだけでした。
 その日は、映画研究部最後の上映会でした。僕は、最後の映画として『ハリー・ポッターと賢者の石』を選びました。僕の一番好きな映画でした。僕が、映画の面白さの、扉を開けた作品でした。僕に映画の魔法をかけてくれたディスクでした。そして、もし、Aが見に来たら、続きを見てくれるかもしれない。そんな期待を込めた上映会でもありました。
 スクリーンの中で、蛇の展示室のガラスが消えた頃、教室のドアが開く音がしました。僕は意を決して、今までやらなかったマナー違反を犯しました。
「ようこそ、映画研究部へ」
 上映中は私語厳禁。どこの映画館でもそうです。(最も、今では応援上映なんてものもありますが。)でも、映画研究部という劇場は、旧校舎という劇場は今日でおしまい。だから少しくらいマナーを破ってもいいだろう。と僕は思いました。
「今日の上映はハリー・ポッターの第1作目だ。楽しんでいってくれたまえ!」
 映画が終わり、重たく感じる照明のスイッチをのろのろと押し上げ、振り返った僕は思わず叫びかけました。まるで窓ガラスの向こうに殺人鬼を見つけた時のように!
Aがロッカーに背を預けて、ただひたすらにこちらを凝視していたのです。お互いの視線が合うのはこれが初めてでした。
「感想は」
たった2カ月、されど2カ月。同じ映画を見てきた者として言いたいことは沢山ありました。でも、この劇場はこれでおしまいです。それに、今、目を話したら、Aは魔法のように消えてしまうんじゃないかと、そんな気がしました。
「感想は、そこのノートに書いてくれよ」
僕は震える手でロッカーの上に置いてあった感想ノートを指さしました。
Aはノートにちらりと視線を向けると、傍に置いてあったペンを手に取り、何か書きつけてから教室を出ていきました。
僕はしばらく呆然とした後、慌ててノートに駆け寄り、中を見ました。
ずっと僕の字しか書かれなかったノート。沢山の映画の感想でいっぱいにしたかったノート!それに最後の最後で僕以外の字が刻まれることになるとは!
ノートの新しいページには、こう書かれていました。
「楽しかった」
僕は、この日だけ、感想文を書きませんでした。
その言葉は、このノートの最後の言葉として、あまりに十分すぎたからです。

【仮にあの子をAってしとく】
一回も話したことないのに覚えてる人っていない?
仮にあの子をAってしとくんだけどさ。
Aはね、女バスの練習してる時、ふっと気づけばタイマーの傍に立ってた。
 こんなこと言ったらせっかく模擬試合やってんのによそ見すんなって先パイに怒られそうだけどさぁ、みんなユニフォーム着てる中で、自分と同じ学年色のジャージ着て、特になーんもすることなくあのでっかいタイマーの横に立ってるんだよ、気にならないって方がおかしいよ。
…いやまあ、そのうちあたしも慣れて、いつの間にか「景色」になってたんだけどさ。
 Aはずっといるってわけじゃなくて、本当に「気づいたらいる」って感じで。例えば普段気にならないタイマーの、あのビーーッ!って音がいつもより耳に響くなぁ、って時にタイマーに目を向けたら居るわ、って感じだった。
Aは「部活回遊魚」らしい、ってチトちゃんが言ってた。チトちゃんは学内の噂に詳しい。そんなチトちゃんが言うことには、Aは全部の部活をぐるぐる回ってるらしい。何それ。
ジャージ着てるのに外周にも参加しない、ストレッチも腹筋背筋も参加しない。ワックスかけない、本当に見てるだけ…あ、待って、ネットの外に出たボールは拾ってた。とにかくまぁ、Aはそれくらいしかしない。マジで何したいのか分からん子だった。
だから、2年の頃には居ても「景色」になってた。
 あの日は、週末にある他校との交流試合に向けた模擬試合をしてて、あたしは模擬だけど初めてスタメン入りして、めちゃくちゃ張り切ってコートに入った。
流石に先パイたちは強くて、ガードめちゃくちゃ固いし、隙あらばボール取りにくるし、もう一瞬でも気が抜けなかった。特にあたしは、試合序盤でキャッチをミスって、そのまま点取られたから、そん時の周りの「やらかしたよコイツ」って目がもうめちゃくちゃ怖くて、絶対ミスできない!って、うなじにどろっとした汗をかいてた。やばいやばい、って。なんか挽回しなきゃって、それだけ思ってた。
 その気持ちとは逆に、試合後半になるとバッシュが鉄でできてるんか?ってくらい重くて、正直目まぐるしく変わる試合展開についていくのがやっとだった。相手の攻めを切り返して、こっちの攻めになって、チトちゃんのドリブルを負いながら3ポイントラインに近づいた時だった。
チトちゃんが、あたしにパスを回した。
チトちゃんの目が「行ったれ」って言ってた。
そのまんま、なんも考えずに、パスを受け取ってシュートを打った。左手は添えるだけ。
自分が打ったのかってくらい、綺麗な放物線を描いて、ボールはゴールに吸い込まれていった。リングを一周して、ころんとネットの中に落ちる。
タイマーが、ビーーーーーッ!って、耳に響いた。
反射で振り返って見た景色の中に、Aがいた。タイマーの隣で、目を見開いてあたしを見てた。笑ってた。
全力で手ぇ叩いちゃってさ、誰よりキラキラした目であたしを見てた。
なんだか、女バスのどのメンバーに褒められたよりもそれが嬉しかったんだ。
それがあたしの人生で、一回しかなかった、3ポイントシュートだった。

【仮に奴をAとする】
 1回見ただけで記憶に残っているのは、奴がある種の有名人だったからだろうか。
 仮に奴をAとする。
 そう、「部活回遊魚」のあいつだ。
 もしかしたら、奴は今までに何度か野球部に来ていたのかもしれない。だけど、俺が奴に気づいたのはあの1回だけだった。
  それは俺が出場した最後の試合の日だった。吹奏楽部が応援歌を演奏し、俺の野球部最後の試合が幕を開けて、投げて、打って、打たれて、一挙手一投足に割れんばかりの歓声が上がって、ユニフォームを泥だらけにして、ありがとうございました、と頭を下げて、俺の青春が幕を閉じた。
 甲子園行きたかったな、と山本が独り言みたいに呟いて、おい馬鹿今言うなよって、俺も泣いた。新聞部が一眼レフをこちらに向けてきたから、あわてて涙を拭いて、笑顔を作った。
 その一眼レフの向こう側、新聞部の後ろにAがいた。カメラのレンズと同じくらい、俺を見ていた。
 「たのしかった ありがとう」
 あちらこちらから聞こえる声の中で、Aの口がそう動いていた。
 何故かは分らんが、絶対、確信を持って、Aは俺に向かってそう言ってる、と思った。
 だから俺は、全力で親指を上に上げて、サムズアップして、笑って見せた。3年間最高に楽しかったって言ってやりたかった。
 新聞部のカメラのシャッターが、何度も切られた。

【仮にその子をAとしよう】
 ある生徒がいた。「部活回遊魚」と名乗り、様々な部活に顔だけ出しては帰っていく、幽霊部員の対義語みたいな生徒だった。
仮にその子をAとしよう。
もちろん、Aは私が顧問を務める部活に来たこともあるし(その時はプールサイドにひたすら突っ立っていた。)さらに言うならば、私はAの担任を務めたこともある。
Aは一貫して、部活動の活動には関わらず、顔だけ出して帰っていく生徒だった。
 ただの生徒、しかし生徒。卒業式の日、私はAの最後の学年担任として、そして一個人の好奇心として、彼に質問しておきたいことがあった。
「なぜ、君は「部活回遊魚」なんてことをしようと思ったの?」
Aはいつものように笑って答えた。
「全部、楽しそう、だったからです。先生。」


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