ジョブクラフティング・ワークエンゲージメントとは
私は現在、睡眠やメンタルヘルスについて勉強しているのですが、なぜこのような項目を勉強するようになったのか…それは漠然と「仕事に対する内なる不満」を持っているからだと感じています。
今日は仕事のメンタルヘルス対策について勉強し、そのことに対する違和感があったので文章にしていきたいと思います。
ジョブクラフティングとは「働く人が自分から、仕事や人間関係に認知的・行動的に工夫を加えること」とあります。
クラフティング=Crafting=工作を意味します。
与えられた仕事をこなすのではなく、仕事に工作する・工夫するという意味だと考えています。
”これらはワークエンゲイジメント=Work engagementにつながるとのこと”
ワークエンゲイジメントとは仕事から活力を得て生き生きとした状態であり、「活力」「熱意」「没頭」の3つの要素から構成されます。
またワークエンゲイジメントは「仕事の資源」によって高められてると考えられています。
仕事の資源とは「仕事のストレスを軽減し、個人の成長、学習、発達を促す働きを持つ要因」と定義されています。これには仕事上の作業や課題に関するもの(裁量権があるなど)、チームや人間関係に関するもの(上司や同僚の支援があるなど)、組織の在り方に関するもの(経営陣との意思疎通がとれているなど)の3つがあると考えられており、これらがあるほどワークエンゲイジメントは高まると考えられています。
これらはメンタルヘルスを維持するために必要な働き方として教えられている内容です。私自身も正しいことだと思いますし、自分の人生を自発的に生きることが重要なので、これらはきっとメンタルヘルスを維持するのを助けると思います。
ただ、なぜか少し違和感を私は感じていました。理由はマルクスの資本論を少しだけ知っていたからなのではないかと思います。
マルクスは資本主義のリスクに対して注意喚起しています。資本家と労働者の貧富の格差はこれからもどんどん加速していくだろうと…
ジョブクラフティングもワークエンゲージメントも私たちの労働力を最良の状態で確保するための思考ではないかという疑念がわいてきました。
メンタルヘルスが損なわれている人間というものの商品価値は資本家からすると低いものになると思います。メンタルヘルスを維持しつつ最大限の労働力を我々から搾取する…過労死や精神疾患などのリスクを抱えながら働き続けた後でも資本家は「大洪水よ、我が亡き後に来たれ」なので、思う存分搾取され、そのあとの人生はご自由にという感じなのだと思います。
不幸中の幸いなのは、私たちは国に保障されているため生活保護だったり失業手当だったりがあるので、マルクスの時代よりかはマシだとは感じます。
メンタルヘルスを維持するために重要なのは私たちの働き方に対する思考の変化を求めることなのでしょうか?それを全面的に支持しているように感じ恐怖を感じています。「あれ?また気づかぬうちに搾取されていた?」と。
私は医療職で、特に看護師時代は労働力を最大限提供することに美徳を感じていたので、この資本論のリスクにどっぷりはまっていたのではないかと今になって思います。
今は失業保険を受けながらのんびりと映画を見たり、こうやって自分があまり勉強してこなかったものを深めたりして生きています。それでもここまで来るまでに仕事をしないことによる役割喪失から抑うつ状態でもありました。労働力であった自分・搾取されていた自分、そこに役割を感じていた、自分の生きる価値を見出していた。そんな自分に気づかされました。
私自身生きるのにそんなにお金がかからないタイプです。なので、最大限の労働力を提供し給料を得るのではなく、自分の商品価値を最小限の労働力で提供し必要な分の給料を得る生き方も悪くないかなあなんて思っています。