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10年前に整形した私が今思うこと

22歳の冬、私は両目を整形した。


小さい頃に撮った家族写真。父親が私の顔写真を見て「キツネみたいな目だね」と言って笑った。


それから私は自分の顔が大嫌いになった。


学生時代のアイドルは浜崎あゆみだった。日本人離れしたくっきり二重に近づきたいとみんなが憧れていた。私は大学に入ってから、奥二重の瞼に一生懸命アイプチをした。

可愛ければ友達も沢山できる。

可愛ければ男子にチヤホヤされる。

可愛ければ何だって手に入ると思っていた。


3年ほどアイプチをしていたが、遂に瞼がかぶれて腫れてしまい、奥二重だった瞳は一重になってしまった。さすがに母親も娘を不憫に思い、整形に賛成してくれた。

両目の埋没法。8万円。安いと思った。

麻酔も術中もとても痛かった。術後、数日は腫れと痛みが続いた。


お正月明け大学に行くと、友人が整形したの?と声を掛けてきた。私は「そんなお金ないよ〜」と誤魔化した。

もうアイプチなんてしなくて良い。

私は心から整形して良かったと思った。




10年経ち、私の目はどうなったかというと、元の奥二重に戻った。有名女優の姉が整形したというニュースを見て、自分も整形していたことを思い出した。

年齢を重ねるにつれて、自分の目の大きさや低い鼻を気にすることはなくなった。それはおばさん化したからと言われればそれまでだか、ある日をキッカケに私は自分の顔も悪くないと思うようになった。


仕事中、80過ぎたお年寄りの女性が私の顔を見て「あなたって優しい顔してるわね〜」と褒めてくれた。私はその言葉がとても嬉しかった。美人か不細工か、二重か一重か、そんな単純なものではなく、優しいという顔があることを私はその時初めて知った。


優しい顔ってなんだろう。


それから私は鏡の前で表情の研究をするようになった。日本人は恥じらいの文化もあり、あまり表情を表に出さない傾向があるが、私が出会ったアメリカ人やオーストラリア人は明らかに違った。ビッグスマイルは相手を幸せな気分にしてくれるし、呆れた時や甘い言葉を囁く時のなんとも言えない表情はとても魅力的だった。もっと自分の気持ちを表情として解放して良いことを知った。

芸能界でもない限り、社会に出れば顔が可愛いかよりも、礼儀正しいか、素直であるか、粘り強いか、そんなことが評価される。

小説家志望だった社長との会食では、最近読んだ椿姫やマノンレスコーについて話すと大いに喜ばれる。美人かどうかは関係ない。

年齢を重ねるにつれて、外見の美しさよりも言葉の選び方や声の抑揚、所作や心のあり方が人の美しさを決めること、人を魅了できることを痛感する。


このnoteを書きながら、私の目は何のためにあるのだろうと考えた。

相手の気持ちや心の傷をこの目で見ることができますように。

優しい眼差しで誰かを癒すことができますように。

まだ見ぬ美しい地球の大自然を見ることができますように。


私は自分に与えられたこの身体の小さな部分にこだわらず、全体としてどう存在したいのかをこれからも考え続けたい。






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