見出し画像

「はたして」 SFショートショート

割引あり

 「はたして」

 未来が観えると、不幸・悲劇になる。
物語では、ほとんどこうなってるけど、私はそうは思わない。
私にとっては、今まで倖せだったからだ。
確かに、未来が観える力が使えるようになった頃は、気味悪がられもしたよ。
だけど、ある時に判ったんだ。
他人の、不幸な事ばかり云うから、いけないとね。
誰だって、明日死ぬよとか、明後日交通事故で酷いケガをするよ、なんて云われたら、まるでこっちが悦んで云ってるような気にさせて、厭ぁな気にもさせるさ。
だから、そう云った他人の不幸になる事を云わなければ、全然悲劇になんかになりゃしない。
例え100円でもいい、もう直ぐ貴方はお金を拾うよとか、不細工な男とでも結婚できるなら、貴女はいい家庭を持てますよ、とか云ってあげればいいんだ。
 そりゃぁ、こちらとしてはその人が死ぬ方が重大な事だから、本人に報せてあげなけりゃ、非人間的・情がないと自分では思えて、かなり心が痛いけど、誰も死ぬ日を教えて欲しいなんて望まないからね。
それに、死ぬ瞬間まで悲劇は知らない方が、コロッと死ねて倖せだって私も思うよ。
 私だって、自分の事はまったく判らないからいいんだ。
もし、自分の未来が観えるなら、こんな詰まらないものはない。
できのいい映画だって、観られるのは精々2~3回だもの。
けど、時々自分の死ぬ日を、どうしても知りたがる人たちがいる。

ここから先は

1,209字

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?