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だから、私は「書く」ことを選んだ。



こんにちは~。今日も今日とて、お元気ですか。
最近「話す」「書く」という2つのツールを使って、物事をアウトプットするということを覚えたSusanです。

以前書いたnoteのように、「もっと気楽に行こう」のマインドがなくなっていたので、ほぼ一発書きnoteを更新しようかなと思います。

最近、私には少しだけnoteをスタートしたときの心持ちから変化していることがあります。それは、「とりあえず、インプット過多で頭が重いから自分の気持ちをただ吐き出したい」から、「この想いを共感してくれる”たった一人の誰か”に伝わるようにアウトプットしたい」という感情に変化していったことです。

世の中には、写真を撮る、絵を描く、文章を書く、歌を歌う、想いを話す、ダンスを踊る、作品を演じる、など、本当に様々な表現方法がある中で、私は「文章を書く」ことが一番自分に向いているなと思います。逆に言えば、それ以外の表現方法が向いていなかったとも言えます。

ただ、私は「文章を書く」ことについても、得意なほうではないのではないかと思います。書きはじめると、伝えたいことを全部を詰め込みたくなってしまって、毎回膨大な文章量になってしまうし、まとめるのが苦手だという自覚があります。どういう角度から書くのか、どのくらいの守備範囲で書くのか、どの程度の文章量で書くのか、そこの調整が破滅的に苦手なんですよね。

それでも、「文章を書く」という表現方法を使い続けたのは、いくつか理由があるなって思いました。思いつく限り羅列してみます。

・簡単に一人で自分の好きなペースでできる表現方法だから。
好きな時にどこでも書くことができる。一人でも伝えたいこと・自分の考えさえあれば書くことができる。辞めたいと思ったら、自由にお休みができる。そういう面が気軽だったのかも。

・自分で読み返した時に、気になる部分を修正することができるから。
写真や絵は世に出してしまうと修正が難しいなと。写真も絵も加工や修正はできるかと思うけど、私にとっては文章よりハードル高い。一度投稿を消して、再投稿しなければならない、という過程が面倒だったので、加筆修正が可能なのはありがたい。(それが良いことかどうかは別として)

・一番自分が「伝えたいこと」「考えてること」を具現化できる表現方法だったから。
これが一番大きいかもしれない。過去は絵を描くことも好きだったし、歌を歌うことも好きだった。演技をして誰かに感動を伝えたい、と夢を見ていた時期もあった。ただ純粋に、それらの表現方法では自分が納得できる「クオリティー」が担保できなかったし「伝える」ことができなかった。

本当はこういう情景を描きたいのに、こういう体勢の人物画を描きたいのに、と頭の中で想像していたより、低クオリティーのものが出来上がってしまう。そんな感じです。歌についても、作曲やボイトレなど専門的な部分をもっと本格的に習って努力してみれば、もしかすると見える世界は変わったかもしれない。ある程度まで挑戦したものもあれば、勇気と自信がなくて諦めてしまったものもありましたが、結局自分が「納得できなかった」んです。

そういう意味で、「文章を書く」という作業は、諦めた期間があっても、いつでも簡単に再開することができたのはありがたい部分でした。断続的だとしても書き続けていれば、段々と自分の感情や考えを言語化することに慣れてきましたし、それなりに「自分が納得できるレベル」の文章を書けるようになったわけです。

今の私にとって ”自分の感情を一番正確に伝えることができる表現方法” が「文章を書く」ことなんだと思っています。得意なわけじゃないんですけどね。

だから、私は「書く」ことを選んだ。

いつか、他の表現方法も選べるようになれたらもっと表現の幅が広がるのかなと思ったり。次に習得したいのは、私が最近ラジオを聴いたり、ラジオで話すことを楽しいと感じてるので、「話す」かな。また、Twitterでもスペースを開こうと思うので、もし機会があればぜひ聴いてみてくださいな。

まとまりのない、ほぼ一発書きのnoteでした。


2022.09.27
Susan

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