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家庭に外部の人間が入ること

今の社会では家族がひとつの単位となり、
家族の内側と外側には明確な境界線が引かれてしまった。

家庭のあれこれに外の人間が首を出すことはまずない。
子育てや育児に悩んでも、お隣さんが助けてくれることはない。
どうしてもどうしても困って、役所に相談に行って、はじめてだれかの目が家庭に入ってくる。
そんなものだろう。

でも、それでいいのだろうか。
基本的に人間関係は複雑な網目をなしているから、
互いの緊張関係や相互作用によって、辛うじて成立しているのだと私は思っている。
この世界にたくさんの人がいるのに、関われる人はこの人とこの人だけ、しかもそれはランダムです、とか言われたら、まじでやっていられない。

あるご家庭に入って、お子さんとコミュニケーションをとる機会をもらった。
お母さんとお子さんの会話を見ていると、お子さんが一生懸命言葉にしよう、自分の納得できる言葉で話そうとしているのに対して、お母さんが大まかに言いたいことを掴みたくて、間を待たずに質問している様子が見られた。
お母さんはついついお子さんに関わる困りごとが口から溢れてくる。

決して責めているつもりはない。
むしろお子さんと関わってきた中で、一番よい関わり方を常々考えられてきた/いることはとても伝わってくる。

何が言いたいかと言えば、家庭にこそ外部の人間が入り込む必要があるのだ。
ずっと固定化されてきた母子関係は二人だけで何とか変化させられるものではない、ということである。

地域の中でつながりをつくろうという動きは、孤独や孤立、医療、介護、福祉、教育などあらゆる分野から叫ばれていることだろう。
ミクロな視点で考えてみれば、関係性の網目は一定程度は複雑な方がよいはずなのは明らかではないか。
関係性の悪循環は、大抵別の関係性が刺激を与えてくれるはずだろう。

私は家庭の内外の境界線を溶かし、ゆるやかなつながりがデザインされた社会を目指したいと思う。




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