危ういコミュニティに参加してきた感想
ある映画の自主上映会を見に行った。
私はその映画が見てみたくて言ったが、他の多くの参加者は別のコミュニティで紹介されてやってきた40~60代位の方ばかりだった。
どうやら映画を見ることではなくて、コミュニティに集う人たちと会いに、コミュニティに参加している自分に会いに、やってきていたようだ。
そこで何が起きていたのかを記述して、その良さと危うさを考えてみたいと思う。
起きていたこと
自主上映会は、映画の鑑賞とトークライブ(監督×起業家)の2本立てであった。
参加者の方との交流で、事前にランチ会や、事後に懇親会があった。
集っていた人たちは半分以上がだれかとの知り合いのようだった。
150名ほどの参加者の中で、100名くらいはどうやら同じコミュニティの人たち?
ケア業をしている人、専業主婦、サラリーマン?っぽい人、奇抜でエレガントなお洋服を召している人、いろんな人がいた。
40~60代の方々は口々に、このコミュニティに出会って、人生が変わったと話していた。
どうやら登壇していた起業家や主催者たちがそのコミュニティのトップ、もしくはトップと関係性が深い人のようだ。
「お金だけが人生だと思っていたけど、人だと気づいた。」
「何でもやってみることが大切だと思って、〇〇さんの後援会を企画した。みんなが来てくれて嬉しかった。」
「私もあそこで講演会を企画したことがある。」
私にも気をつかって質問をしてくださった。
「こういう講演会には来たことがある?」
「いや、あんまりないです。」
「たくさん行ってみなよ!」「人生変わるよ!」「事前に色々調べてから行ってみてね。」
ある方はこんな話をしてくれた。
「〇〇(起業家さん)の案内で、カンボジアに行って、そこから人生が変わった。それ以来こういった講演会にはよく来ている。」
「学校のPTAの役員をしていて、そこでも講演会をしようと思っている。前年踏襲の形式的なことより、〇〇さんのお話しを聞いてほしい。」
起業家さんともお話しをした。
「僕は講演会はあくまで自分の会社の利益のためにやっている。お金を稼ぐ手段の中で講演会にしたのは、ライトを浴びてキラキラとしたところで目立つのが好きだから。」
主催者さんはこう言った。
「私はあくまでやってほしいとお願いされたからやった。」
「テーマはどうして多様性にしたんですか?」
「今の時代、多様性とか大事だからね。」
分析(良さと危うさ)
あれやこれやモヤモヤをたくさん抱える時間だった。
よい点といえば、
まず、そこに集う人たちが以前よりもいい人生になった、と思えていることだろう。
よく生きられていると思えることは幸せなことで、それが矛盾に満ちていようとも大事なことであるに違いない。
そして、実際に行動が伴っている人が多い点もよい点だろう。
講演会に参加して、いいな!と思って、また講演会を企画してみる。
行動力が伴っていて、勇気のあることだと思う。
とはいえ、やはり色んな危うさがあったと感じる。
3点に分けよう。
1点目、やっていることが誰のためでもない点。
いつも同じような話を、同じ方々に向けて話している講演会に何の価値があるのか、私には理解ができない。
起業家さんもあくまでお金稼ぎのためと(濁してはいたが)言っていた。
2点目、搾取構造でしかない点。
結局これはすべてお金を上部の人間が得るために、つくられたコミュニティに過ぎない。
本当にコミュニティ参加者のことを思ったら、その人たちの実現したいことをともに考えるべきではないか。
ステップアップのために自分の講演会を企画させて、それを応援したいというコミュニティ参加者の方に参加してもらう、その中でお金を回している。
3点目、結局誰もエゴから抜け出せない点。
トップも、コミュニティ参加者も、結局自分の内側ばかりを見て、だれかの人生を想っている自分に酔って、トップがお金を稼げるパッケージをつくって、参加者はそれを自覚なく消費して、ここまで気持ち悪い構造があるだろうか。
みんな自分の人生のことしか考えていない。
とはいえ、私がそれを口だけ出して否定している、自分の正しさを示そうとしているエゴの塊ではないか、と言われたら否定できる自信はない。
それは間違っていると思う、あなたにはきっとこんな可能性・力がある、と伝えられて、ともに実現できるような力をつけるために、私はまずは目の前のことを取り組むしかないなと思った、時間だった。
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