ヨロンとセロン

※過去に当サークルのHPで公開された記事です。
(公開日:2018.2.27 執筆者:松本)
2つの記事を纏めたため長くなっていますが、ご容赦ください。

世論=メディア?


前回まで3回、機器についての話をしました。脱線してスマホと若者とか語っちゃってましたが。

 今回からちょっと真面目な話をしてみようと思います。コラムの花形(だと思っている)である社会問題についての話です。論題としてはマス・メディアと世論です。タイトルだけでも新聞のコラムっぽさが出ますね。でも今回はまだその本題に入りません。その前準備だけしていきます。

 というのも、この論題は非常に繊細で面倒です。下手に触れると怒っちゃう人もいます。なので、知識面での準備もそうですが、資料の面でも準備が必要です。ただ、準備を頑張っちゃうといつまでたっても記事が完成しないので、ある程度は突っ走っていきます。恐らく長々と書くと思いますが、その大半は問題提起で終わっちゃうかもしれません。

 あとですね、これまで記事の文字数を押さえていたのですが、今回からは文字数を押さえずに書きます。これまでは大体1000字ぐらいを目安に書いていました。大体流しながら読める限界です。(自分基準)ですが、今回の論題に限っては文字数よりもその質で考えていかなければなりません。ある事象を徹底的に分析して投影していく予定なので、あんまり文字数とか考えない方がいいかなと思っています。

 さて、前置きもほどほどにしましょう。今回の論題は先程も述べたように「マス・メディアと世論」です。これを取り上げようと思ったのは、旅行先で行った図書館で読んだ本の一説に「メディアが世論に敗北した」という言葉(原文通りではないですが、大意としては合っています)がありました。一応メディアの勉強を僕はしているので、この「世論とマスコミ」の関係についても少しはかじっています。ですので、この言葉の言わんとすることは大体分かります。

 さて、皆さんは「世論」と「マスコミ」を等式で結ぶことは出来ますか?もっと言いましょう。「世論」は現在どうなっていると思いますか?これだと思う人、理解ができない人様々だと思います。

 ちょっと考えてみましょう。これを読んでいるあなたは保守ですか?それともリベラルですか?現在の新聞はどう思いますか?

 今回は皆さんが見ているものと現実との微妙なズレをちょっとずつ解体していきます。これを読み終えたとき、皆さんがどのような意見を持つかはわかりませんし、強要もしません。皆さんの考えは思想の自由が保証してくれます。現代の日本において、あなたを保証するのは神ではありません。法律です。法律があなたを保証しています。僕ももちろん保証されています。

 では早速いきましょうか。「マスコミ」「メディア」「世論」「インターネット」そして「データ」が今回のキーワードです。

ヨロンとセロン

さて、早速世論とメディアについて話していきましょう。いつもみたいな前置きは無しです。いれたかったけど思い付かんかった。

皆さん、世論調査は知っていますか?各新聞者やテレビ局、最近だとインターネットの情報サイトでもやっているところがありますね。世論調査は読んで字のごとく、世論を調査したデータのことです。大体月に1回行っています。

 じゃあ世論ってなんやねん、となります。まずこの言葉って何て読みますか?「ヨロン」ですか?「セロン」ですか?

 読み方に関してはどちらでも正解です。というのも「ヨロン」は元々「輿論」と書かれていました。言葉の意味はお馴染みの「世間の人々の意見・考え」です。じゃあなぜ「輿論」が使われなくなったかというと、単純に「輿」という漢字が当用漢字表に含まれなかったからです。当用漢字は超簡単にすると日常生活で使いやすい漢字のことです。確かに「輿」なんて書きにくいですもんね。新聞で使おうにも細かすぎてつぶれちゃいそうです。まあそんな感じで「輿」は使われなくなり、元々「セロン」と読んでいた「世論」がそのまま「ヨロン」とも読むようになったのです。ちなみに「セロン」も意味は一緒です。英語では「public opinion」といいます。

ちょっと脱線しましたが、ともかく世論とは「世間の人々の意見や考え」です。あり得ない例えをひとつ出すならば、某お菓子会社が「きのこ」と「たけのこ」に関してのアンケートを行ったとします。それも全国100万人規模です。そして仮にですが、結果が「きのこ」支持が60%だったとします。これが統計的にちゃんとした抽出の仕方をしていれば、全日本国民の約6割が「きのこ」を好むという結果になります。これが世論です。今回の世論は「国民の過半数がきのこを支持する意見を持っている」となります。

 非常にくだらないですが、これも世論です。漫画などの人気投票もある種世論調査とも言えます。そしてこの世論調査こそ既存のメディアが国民の声の代弁者となり得る要素です。そして、世論は国家を動かす力を持っています。

 日本は民主主義国家です。民主主義とは国家の舵取りを国民の手で行う国家体制のことです。国民の一人一人が主権者であるといえます。しかし、主権者の全員が政治に参加すると決まることも決まりません。人数が多すぎます。なので、色々なことを円滑に決定するために、多くの国家が採用しているのが間接民主制です。これにより国民は間接的に政治に参加していることになります。

 間接民主主義政治体制において国民の声を表明できる機会は定期不定期に行われる選挙です。選挙を通じて自分達の意見をその意見が近しい議員に託し、擬似的な政治参加をするのが間接民主主義の真髄なのです。

 勿論、そこには世論があります。個人の意見を集約して国民の意見の代弁者である議員を選出していくので、世論が直接的に反映されているといえます。よく選挙の次の日とかにニュースで「民意」とか「大義」とか見るでしょ?ああいうのです。

 これで世論と国家が結び付いたと思います。最近の新聞だと、選挙が終わるたびに「民意はどこへ」とかいう文言を見る気がします。僕はそれを見ると「いやいや、選挙結果が民意ですがな」と思ってます。

 ここで疑問が浮かびませんか?「民意はどこ?」とメディアは言いますが、そもそも「民意は最初どこにあったの?」となりませんか?メディアはあたかも民意を自分達の所有物として扱っているようにも見えます。たしかに世論を集めて発表しているメディアは一見民意の代弁者となっているかもしれません。でもより狭い部分で見てみると、メディアは民意の代弁者とは言えません。なぜなら、もしメディアが代弁者となるなら、世論調査の結果は全て同じになるはずだからです。

 僕は昔、世論調査を行っている新聞テレビなどの結果をまとめたことがあります。同じ月に行った世論調査を全部並べてみると、非常に面白い結果が出ます。一番分かりやすい例を出すと、内閣の支持率は一番大きいものと小さいものを比べると大体10ポイントぐらい違います。(図1)

ヨロンとセロン-図


図1 内閣支持率比較表

たかが10ポイントと思うかもしれませんが、100点満点での55と45は受けとる印象が全く異なります。なぜかと言えば、100のちょうど中間点である50を越えているかどうかで、過半数が支持、不支持という結果に見えるからです。

 恐らくメディアはまだ世論調査=民意の総意であると考えています。もし本当に民意ならば先程も述べた通りこの数値はほとんど一緒でなければなりません。しかし、出てきた結果は10ポイント以上も離れています。

 これにはインターネットの普及が絡んでいると考えています。その話はもう少し後で話すとしますが、少なくともインターネットが普及していない時代は世論調査=民意でした。国民のほとんどがメディアから情報を入手し、それをもとに意見を作っていたからです。しかし、現在は違います。情報を入手する手段は多様化しました。この多様化がメディアの神話を崩していくことになるのです。

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