ナーロッパに行こう

※過去に当サークルのHPで公開された記事です。
(公開日:2019.9.4 執筆者:松本)
複数の関連する記事を纏めたため長くなっていますが、ご容赦ください。


ナーロッパに行こう

 まずはナーロッパという言葉の解説をしなければなりません。古典派氏(@aar_kotennha)のツイートより引用すれば、ナーロッパとは「なろう特有の①新大陸式奴隷制度②特に理由のないハーレム制度③魔法あるのに農業関連が遅れがち④魔法あるのに移動手段が遅れがち⑤魔法あるのに文化レベルが遅れがち。これらを内包する世界」となります。しかし、これだと点でバラバラであるため、再定義を行います。

 さて、ナーロッパという言葉を語るにおいて最も大切な『小説家になろう』という小説投稿サイトについて簡単な概略を記します。小説家になろうとは株式会社ヒナプロジェクトが運営する小説投稿サイトです。プロからアマチュアまで幅広い層の書き手が思い思いの文章を手軽に投稿できるサイトです。その中で最も勢力が強いのが『なろう系』と呼ばれるジャンル群です。なろう系という言葉を定義するのは非常に難しく、抽象的な外枠での定義に留まってしまうのですが、それでも無理矢理定義をつけるのであれば、「小説家になろうに投稿された小説の中で、その時々の人気ジャンルの設定を模倣、再構成することで描かれるもの」となるでしょうか。簡単に言えば人気作品のオマージュや設定の引用(これもあまり適切な表現ではないですが)を積み重ねた作品です。その結果が行き着く先として、作品内容が似通ってしまう。つまり、設定のテンプレ化が発生します。

 そのテンプレ化された設定の一つの着地点が“ナーロッパ”です。世界観としては先程の引用の通りですが、現代のハイファンタジーの潮流の一つとしてこのような世界観の乱用が発生したのです。

古典派氏によれば「別にきっちりとした説明がほしい訳じゃなくて、ガバでもいいからそれに至った理由が読者としては欲しいんですわ。

「昔めっちゃ偉い神様が美人の女神囲っていたから男はどんどん女を囲え」みたいなクッソ適当な理由でもいいから」「なんかリツイート先がちょくちょく目に入るけど、僕別になろう式異世界描写が嫌いな訳じゃないんですよ?ただもう少しフレーバーテキストでも構わないから、突っ込んだ設定書いてくれると妄想が広がると言う感じがあるんですはい」また夜切漣は小説家になろうに投稿した『ナーロッパでいこう! ~中世欧州風ではなくゲーム的近世風のすすめ。すぐに使える通貨風習文明技術のお話』では「ファンタジー異世界はゲーム世界であり、中世欧州ではない、と思っています。近世に近いんじゃないかな」と述べています。

 さて、ここまで二つの論を提示しましたが、分かりやすく論点を幾つかに絞っていきましょう。まず一つ目、『ナーロッパはどのような世界を基準にしているのか』です。これは“中世ヨーロッパ”という単語を使用していながら全く中世ヨーロッパではないために、本当にモチーフにしたい世界とは何か、という原点に立ち返った論題です。ナーロッパの議論の原点として「そもそも中世ヨーロッパ風って何だよ」というものがありますが、そこに立ち返って考察していきます。

 次に、『魔法は文明レベルを飛躍的に向上させることができるのか。また出来ないのか』です。ファンタジーといえば魔法がつきものですが、魔法を利用すれば生活が便利になるはずです。生活水準やインフラ等は現代まで行かなくとも近世中期から近代手前ぐらいまでの水準にはなるでしょうし、全く違うベクトルに進歩していてもおかしくありません。

 しかし実態として、戦闘では魔法を使ったとしてもそれ以外での魔法の使用はあまり多くありません。ここでは産業に魔法を組み込むことを“魔法化”と定義しますが、魔法化の発想と限界について探っていきます。

 最後に三つ目、『ハーレムを成立させるためにはどのような理論をでっちあげればいいのか』です。よく主人公の周りにはヒロインが沢山いて、皆主人公を狙っているというものがありますが、モチーフにされた世界を考慮すればそのような事はほぼあり得ません。作者の願望といってしまえばそれまでですが、折角ですので成立させる方法について考えてみましょう。

 本論は様々な論点を“無理やりにでも成立させるためにはどうすれば良いのか”を考察していきます。設定に理由を求めた際に、彼らの世界は○○だからこうなっているのですと声高に宣言できるようにするにはどうするべきか考えるものです。それでは早速見ていきましょう。

ナーロッパに行くんだよ

 前回のあらすじ!ナーロッパってなんやねん!では解説していきます。

 ではまず、ナーロッパ世界の基準を考えてみましょう。生活基準を顧みるとナーロッパは“近世”に当たります。これは多くの識者が提唱している論ですが、一体どういうことなのでしょうか。

 “中世”という時代の始まりは5世紀に西ローマ帝国が滅ぼされたことで幕を開けます。そこから現在の欧州地図の原型が徐々に誕生していった時代、それが中世です。ゴート王国やイングランド、ドイツにイタリア、ポーランド……様々な国家が登場しては消えていくそのような時代です。

 農業をはじめとした産業も中世では一気に質が下がります(といってもローマ帝国の技術力が桁違いなのもありますが)。その古代式科学統治の時代に取って代わったのが宗教、具体名を出すならキリスト教です。中世においてはこの教会権力が大きな権力を握っていました。

 その他詳しい説明は省きますが、中世ヨーロッパという時代はかなり暗黒な時代です。よく「う●こを窓から捨てる」という表現がなされますが、衛生意識というのもそれぐらいでしたし、農業生産力が落ちたために食糧供給も厳しくなったある種の冬の時代です。そこから領主の下で励み、何百年の時を超えてルネサンスを迎えるのです。そこまで約千年、何とも言えない時間がかかっていますね。中世ヨーロッパとは、失われた歴史の再発見の時代なのです。

 一方のナーロッパですが、これは一言で言い表せます。近世です。描かれているほとんどのものは中世に存在しません。騎士はいましたが、あんな高潔な物でもありません。魔女狩りもほとんどないですし、衛生管理が低いために流行り病が蔓延しました。しかし、近世に入るとそれらは徐々に顔を出してきます。つまりはナーロッパとは近世ヨーロッパ的な世界といえるでしょう。

 ただ、そう簡単に物は進みません。何故なら実在の社会ではどうにも説明できない物もあるからです(そもそもあんな世界は作者だってよく分かってないだろとは言っちゃいけません)。

 これも別の側面から見ることで解決します。それはゲームの世界観です。TRPGやウィザードリィからはじまるRPGの冒険者組合がこれらの世界観に補強をしています。否、RPG的世界観をベースに自分の盛り込みたい要素を詰めた世界こそナーロッパなのです。現在のなろう作家であればドラクエが基盤でしょうか。そのドラクエ的世界観を能力マシマシ主人公が適当にやって何故か女にモテる物語がなろう系とも言えるでしょう。

 続いては魔法についてです。不肖、僕も魔法を用いた物語を執筆している身分として色々考える部分はあります。僕は現代社会に魔法を加えたローファンタジー(この時のローファンタジーは現代社会に魔法を混ぜ込んだ物語とします)を執筆するのが好きなのですが、今回は完全異世界であるナーロッパの魔法について考えてみましょう。

 古典派氏が述べていた論点である「魔法があるのに文明レベルが遅れている」に関してですが、可能性としてはあり得えます。どれだけ便利なものがあっても、それを活用できる人々がいなければそれはガラクタになります。古代ローマのテクノロジーもイスラム帝国時代のアラビアン技術も古代中国の長い歴史も、当事者がいなくなり、価値観が変化すれば一瞬でゴミになります。魔法は特に体系化し辛い分野になるとは思うので、文化継承という面では非常に扱い辛い物になるのではないでしょうか。そう考えるとこの一見パラドックスに見えるこの論点も答えが見えてきます。

 魔法はあくまで技術とセットです。杖や箒、タクトなど魔法を行使するために必要な小道具は多くの作品に登場します。異世界系ファンタジーであれば刀剣に代表される武器にも魔力発生補助が備わっていますし、ローファンタジーであれば『ストライクウィッチーズ』に代表されるストライカーユニット、『幼女戦記』の演算宝珠の様に魔法を科学時術によって強化、補助する作品が多々あります。ハイファンタジーとローファンタジーでは世界の構造が根本から違いますが、どのような世界観であれ「魔法を道具に落とし込めること」は非常に重要な意味を持っています。これはいったいどういう事でしょうか?

 おそらくですが、「道具に落とし込めること」とは「人間が手懐けていること」のメタファーであることを示しています。魔法に関わらずスペースファンタジー物での恒星間超速移動装置、SF特有のビームライフルやビームソードなども実社会の現代人であれば手に余るような物でも、フィクションの世界であれば取り扱える。より詳しく言うなら、「頭の中で取り扱えるオーバーテクノロジーはフィクションで演出可能である」という事です。魔法もこれに当てはめることが出来ます。魔法を取り扱えるテクノロジーの進歩もフィクションの醍醐味であると言えます。

 少し話題が逸れましたが、ナーロッパの魔法が何故文明レベルを進化させないのかの仮結論をまとめます。それは“中世”という文化レベルでは魔法を取り廻せる技術はそれほど発展していないとおそらく考えています。蒸気機関や電気、原子力など人類の長い歴史の中で急速な発展期イノベーション・エイジが訪れます。魔法“科学”にも同じようなものが訪れるのだと思いますが、それは“中世”ではないという事なのでしょう。つまりナーロッパ人に魔術は少しだけ過ぎた技術であるという結論でこの章を締めたいと思います。

 まず、ハーレムより先に奴隷について考えてみましょう。奴隷は人類の歴史において非常に重要な役割を持っていました。古代のギリシアやローマの奴隷は有名ですし、大航海時代からの奴隷貿易もあります。アメリカ南北戦争での奴隷解放宣言の一節は非常に知れ渡っているでしょう。

 奴隷について考える上で最も大切なことは「人として扱わない事」です。アリストテレスの「生命ある道具」という表現が分かりやすいですが、あくまで奴隷は道具です。用途は様々ですが、基本的には労働力として利用されていました。人の代わりに家を建てたり道を作ったり、死んでも替えが効くし、要らなくなれば売ればいい。それぐらいの存在です。

 ここからは奴隷の表現の話になってきますが、まず奴隷には主体がありません。何故なら道具に言葉はいらないからです。動くか動かないかそれだけです。ですので、もし奴隷少女を物語に登場させるなら、人間にするところからはじめないと少々おかしくなります。もし奴隷が主体性を持つなら、奴隷制自体をきちんと考えないといけません。古代からの悩みである「奴隷が反乱したらどうしよう」を解決できるように社会システムを作らなければ後に矛盾が生まれてしまいます(スパルタみたいに最強になればええんやという思考でも面白いかもしれませんが)。

 続いてハーレムについてですが、「主体性の強すぎる女を複数人囲う」という事実を中世っぽい世界で矛盾なく表現できるのか、これにつきます。別に一夫多妻制自体は違和感がありません。問題なのは女性の立場が妙に大きいことです。女性である意味があるのかないのかは物語を堪能する上で割と必要な要素になっていきます。例えば、女だけど家継のために男に育てられた騎士とか、修道院の女神官とかなら分かります。あとは娼婦でしょうか。この職業も歴史が長く、それなりの地位があるために使い勝手は良いでしょう(その代わり読者層が求めてそうな処女である可能性は限りなく低いでしょうが)。

 ここでの問題は「実社会では存在しえない職業をどう取り扱うか」です。まずは魔法関連。これに関しては「若い女には特有の呪詛があって、術師として扱える女にはまだ価値がある」という世界観を用いれば容易に取り廻せるでしょう。それこそ“魔女”を使ってもいいかもしれません。とにかく、「術師としての女性」は娼婦と並んでの女性職業として存在できるでしょう。

 ですが、冒険者(この表現もどうかと思いますが)はどうでしょう。10代そこらの女性が大剣を振り回す絵は少し違和感があります。遠距離系武器も空間把握能力が男性より少し劣る女性が業界トップになるのは少し厳しいでしょう。しかし、近場の情報処理能力は高いので暗殺術や近距離戦で軽めの装備を得意とするキャラクターにすれば戦闘面でも活躍できるでしょう。ただし、ゲーム系特有の“パーティ”論で言えば、サポートキャラクターは必須です。盾役と陽動などで使える遠距離キャラでしょうか。とにかく、小隊行動をするならば、このようなデメリットを補いつつメリットを活かせる編成を主人公に行わせるのも手では無いでしょうか。そうすれば、男女比が極端に偏ることもなくなると思います。

 長くなりましたが、ハーレムと奴隷については世界観に依存します。ですので、もしこのようなジャンルを書こうと思うのであれば、見せなくても矛盾しない設定づくりを心掛けないとなりませんね。


ナーロッパに行きたくないです。

 ここまで考えておいて何ですが、そもそも僕はゲーム世界を文字プラットフォームに落とし込むのは相当な能力が必要であると考えています。ステータスが見れるとして、箇条書きに文字を羅列するのは芸がないし、かといって文章で長々と書くのも読み辛い。もっと立ち返れば「神視点の癖にプレイアブルキャラクター」は非常に矛盾しています。『ソードアートオンライン』ですらプレイヤーは学習しています。強キャラであっても学習はする。むしろ強キャラになればなるほど学習量は凄まじいと言えます。

 分かりやすい例として『スマブラ』を挙げます。現在ではオンラインのみならず、オフラインの大会が国内外で行われていますが、その上位のプレイヤーはただ上手いだけでしょうか?キャラの把握もそうですが、一瞬の判断力やアドリブ、ゲームメイキングなど様々な強みを併せ持っています。むしろそう言う人が上位に行けます。逆にただ操作ができる人はある程度で止まります。そこに思考が無ければいけません。

 よくなろうは筆者の願望だの欲望だのと散々に書かれることも多いですが、内容として「主人公(自分)は努力せずに結果を得たい」つまりはローリスクハイリターンであり続けたいことが作品内に出ているからそのような言われ方をするのでしょう。

 話が逸れましたが、チートがあってもプレイヤーは努力しなければならないのが本来のゲームです。メタ世界(神界)という概念もあってもいいかもしれないですが、介入しすぎるのも良くありません。僕が言いたいのは「プレイヤーチートするぐらいならステータスとかそんな細かいことは考えるな」という事です。能力をうだうだ羅列するのではなく、「彼の通った後には木一本立っていることは無い」だけでいいんです。それだけでも「あ、こいつやべーわ」ってなります。つまりはステータスに頼らないやばさの表現を求めることこそが後ろ指刺されないなろう系と言えるのではないでしょうか。

 まとめますと、なろう系はゲーム的世界観に引っ張られすぎていると言えます。テンプレートに固執して自分の表現したい世界観が制限されている可能性があるのでしょうか。僕は異世界系の物語はあっていいと思いますし、転生系のファンタジーで面白い作品がたくさんあるのも知っています。

 先述の通り、文字媒体とゲームのステータス画面の相性は最悪だと思っています。だから表現するなとは言いませんが、その表現方法は考えないといけないと思います。要は萎えちゃうんですね。ステ画面が出てきて「はい、あなたの能力は全部すごいですよ」ってなるの。『ゴブリンスレイヤー』みたいに「主人公はあくまでゲームの駒である」ってなってもいいと思いますし、むしろそちらの方が馴染みやすいのではないでしょうか。

 現状のナーロッパとなろう系を振り返るとするならば、中途半端の一言で言い切れるでしょうか。メタ視点とプレイヤー視点が混在してしまっているのが一番の問題に思います。作者個人の問題でもありますが、ゲームっぽい世界観であれば、もっとゲームをやるべきなのかなというのが今回の結論になります。

というわけでナーロッパを描くもっともな近道はRPGをすることです。あとは歴史の教科書をちょっと読むぐらいでしょうか。それだけでも説得力が随分と変わると思います。妄想を知識で補強することが大切なことでは無いでしょうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?