母の日、薄れていく記憶
少しずつ母の記憶が薄らいでいる。私のことを、兄と間違える日や、名前さえ言えないことが多い。だだ、息子を目の前にして温かな感情はあるようで、限られた記憶を頼りに、言葉を選びながら、会話を繋いでくれている。季節のこと、彼女の視線の先にあるものをみて、手触りや温感・匂いや味・音などできるだけ彼女の五感をつかえるように。
料理好きで世話好きで、小さな町の図書館誘致など町おこし的なことを、精力的にやっていた人だっただけに、この5年の変貌ぶりに戸惑いを隠せなかった。
ずっと母さんを一人にしていたのは父さんじゃないか。
今後どうするかを話し合う際にカッとなって言ってしまったことがある。長らく単身赴任で家を空けていたという負い目を、無常にも責めてしまう言葉だった。プライドの高い父には、火に油を注ぐような言葉だった。益々自分が支えねばと少しばかり意地になって、献身的に父は母を支えていた。母は父の事を父だと認識していないこともあるのにだ。
そんな中この春、母は行方不明になった。知り合いから借りた山を趣味で開墾した畑に父と一緒に行った折、ふと父が目を離した時には、もう母はいなかった。地元の消防団が総出で探索して、4時間後に無事に見つかった。自宅の近くの公園で花を摘んでいたらしい。当の本人は、キョトンとしていたらしい。
翌日電話口に、父がシンドいと珍しくぼやいてくれたのが、不謹慎かもしれないが、嬉しかった。それから、少しずつだが公的なサービスや
介護施設の力も借りながら、過ごせている。
転職を期に故郷に帰ってきて1年半。母のアルツハイマー型認知症は、
一時の穏やかさをみせている。
バラバラだった家族がなんとか前向きに一歩ずつ。コロナ禍で近くにいても会える頻度は少ないが、ようやく家族らしいことができている。
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