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クソみたいな感情を着火剤にしたらわりとなんでもプラスの方向に燃やせる気がするな


「あんたは昔から落ち込むときはドン底まで落ち込むくせに、次の日にはケロッとしてるから心配して損する」

年末に実家に帰省した時に、母親に言われた言葉だ。
ちょうど最近久々にドン底まで落ちることがあって、凹んでいたかと思えば、ケロッとした顔で地元に帰ってきた私を見て、母はキツネにつままれたような顔をしていた。

たしかに私は昔からそういう人間だったかもしれない。
ただ、あえて内省するとするならば、幼い頃から染み付いている反骨精神と、歳を取ったことによって身に付いた自分の感情のコントロール力が組み合わさったことで、自分のメンタルヘルスを保てるようになったのではないか、と自分なりに考えている。

思えば私はそれなりに、幼い頃からいろんな挫折を経験してきたと自負している。
中学生でいじめに遭って若干不登校気味になり、高校でも好きで始めたことがうまくいかなくて、大学受験はのらりくらりとやり過ごしたけど、就活で完全に地に落ちたどころか地面にめり込んだ。
ただ、節目節目で、ドン底の自分をなんとか這い上がらせようと試行錯誤してきたつもりではある。
中学時代は一切話の合わないクラスメイトは自分より頭が悪いからだと心の中で口汚く罵り、見返したい一心で進学校へ入った。(この時既にインキャの片鱗が見える)
高校の時は人間関係の修復のために書くのが憚られるような嘘をついたし(この嘘は墓場まで持っていくつもりだ)
育った家庭環境に対するコンプレックスで自己肯定感の低すぎた私はあの沼津の一軒家から早く離れたくて逃げるように東京に出てきた。
就活で一つも内定が出ないときは一旦全部リセットしたくて一人で突発的に伊勢神宮へ旅に出ることもあったし。(伊勢うどんは最高に美味しかったけど)
あとは失恋した時、もうこの際多少なりとも興味がそそられることは、自分ひとりでなんでもやったるわと思って色んなことをしたと思う。旅行やらボランティアやら気になってた飲食店を1から潰す、ひたすら家にこもってゲームをやる、新しいサークルに入るなど。
ああ、まだあった。煙草。お酒は飲んでも全く楽しい気分になれず、周りとのテンションの格差についていけずにただ頭が痛くて吐き気がするだけだからあまり好きではないけど(好きな人とできるだけ少人数でお酒を飲んで話す、という行為はすきです)、病んでる時に煙草を吸うとその時だけは自分のことを俯瞰で見れる気がして好きだった。今はわりとつらいことがあっても自分を一歩引いた位置で見られるようになったから必要がなくて煙草を吸っていない。
まあ、そんなこんなでひたすらにドン底の状況から考えつくありとあらゆる手を使って這い上がろうとしてきた。

これらの経験は今の自分に活きているし、大人になって社会に出ることで(これは営業経験を通じて培ったスキルだと思う)大学生までに獲得できなかった自分自身を客観的に、フラットに見つめ、かつ、自分をどういう風に相手に印象づけられるか、というスキルが加わったことで、自分の感情のコントロールや浮き沈みしがちだった気分とうまい付き合い方ができるようになってきた。それによって、私のメンタルヘルスは保たれ、メンタルタフネスと言ってもいいほどになれたような気がする。

残念ながら、私はどちらかというと楽しかった記憶よりも苦しかったこと、理不尽なこと、悲しかったことの方がより鮮明に覚えているほうだ。
ただ、これは考え方を転換すると、どうせ楽しかった記憶も時間が経てばさして覚えていないんだから、その時楽しかったんだろうな、ということだけ認識できれば御の字で、苦しかったことをいつまでも覚えているからこそ、見返したいという気持ちや復讐心を原動力に生きていけている。
私はいつも一発逆転勝ち逃げを狙いたい性分なのかもしれない。

色々書いてしまったが、結局まとめたかったのは、自分のコンプレックスやネガティブな感情も、御し方が分かればある程度自分でやり過ごせるようになるということ。
そして、それを推進力の燃料にしていくこともできるということに尽きる。
だから、いつまでもじめじめ燻っていないで、そういう苦しみは積極的にガソリンにしてできるだけカラッと燃やしていきたい。
実際執着しているのは自分自身が抱いた苦しかった、悲しかったという感情だけで、自分をそういう感情をもたらした人や物に対しては、意外と憎しみは消え去っているみたいだし。

最後に、偉そうにここまでさも自分の力で立ち直ったみたいな内容になってますが、辛い時ほど支えてくれたり、話を聞いてくれたり、逆に何も聞かずにいてくれたり、憂さを晴らしてくれた周囲のだいじな人たちには、感謝の気持ちで一杯です。いつも毎度あり!です。

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